灰を被る-2
その街の外れの山には、いつからか、魔女が住んでいると噂されていた。
曰く、子供を攫って喰らうのだと。曰く、悍ましい病気を広げて、街を滅ぼさんとしているのだと。
流言流説、好き勝手に囃し立てる割には実際確かめる者もなく、ただただ曖昧な風評を以って恐れられているだけの、根も葉もない与太話。
だが、人々の生活に仇名す邪悪な存在となれば、この手の噂には尾鰭が付く。
つまり、外法に頼ってでも破滅させたい相手がいる時――魔女に願えば、代わりに叶えてくれるのだと。
* * *
「もっと恐ろしいものを想像していましたか?」
炉の炎が照らす室内に、大小ふたつの影が映し出される。
「私は、名をロザリアといいます。貴方は?」
「…………ルクレツィアです」
「では、ルクレツィアさん」
一瞬、返答を躊躇った少女――ルクレツィアを見やり、黒装の魔女――ロザリアは目を細めて笑う。
「貴方は用心深い方ですね。けれど貴方は、私に頼みがあって来たのでしょう? なれば、口を付けずにいるのは、無礼というものです」
「……ごめんなさい」
「ふふ、構いませんよ」
叱りつけながらも柔和な声色を崩さない魔女に、むしろ酷く気圧された少女は、恐る恐るスープの器を手に取る。寸刻、揺れる液面を見つめた後、それを口の中に流し込んだ。
粘っこい液体が舌と喉に絡み付きながら、体の芯に染みていく。
熱さに耐えかねて、こほこほと咳き込む。口元を手で拭った後、改めて魔女の顔を見上げる。そして、遂にそれを口にした。
「魔女様は、人を殺すことができますか」
ぱちりと、暖炉の薪が鳴る。
「ええ、できますよ」
魔女は、顔色一つ変えずに答える。
少女も負けじと、努めて平静に振舞おうとしたが、揺蕩う視線も、鼓動の高鳴りも、何一つ隠し通せてはいなかった。
「ですが、
「……そう、ですか」
「ふふ。それほどまでに、恨んでいるのですか?」
「……っ! はい、私は――」
一度落胆しかけた少女は、魔女の返答に顔を上げて、拳を握り締める。瞳に、昏い炎がゆらりと灯る。
「私は、
「それは本当に、耐え難いものなのですか?」
「ずっと、我慢してきました。けれど、けれど、もう限界なんです。顔を見るたび、声を聞くたび、思うんです」
最早、隠そうともしない憎悪に顔を歪ませて、魔女を仰ぐ。
「あの女を、ぐちゃぐちゃにしてやりたい……って」
ごおと音を立てて、薪が崩れた。
「そうですか」
少女の言葉を聞き終えると、魔女はくすり、と微笑んで、懐から本の切れ端らしき紙片を取り出す。
「ならば、その方の名前を教えてもらえますか?」
「……! それって……」
「正確に教えて下さいね。上手く掛かりませんから」
「わ、分かりました……!」
少女の表情が、歪んだまま喜びに染まる。仇の名を告げると、魔女はさらさらと紙片に書き記す。
「それと、この方の身体の一部、或いはそれに等しい物品、といったものはお持ちですか? 髪の毛や、大事にしている宝物、などです」
「はい、持っています」
少女もまた懐を漁ると、精密な模様の刻まれた櫛を取り出す。茶色の――少女のものとは違う――髪の毛が二、三本、付着している。
「
「ええ、問題ありません。……ふふっ、準備がいいですね」
魔女は櫛を受け取ると、袋の中に仕舞う。
その様子を興味深そうに、そして不安げに見守っていた少女に対して、魔女は再び微笑みかける。
「では、幾つかお願いがあります。ひとつ、誰にも言わないこと。ふたつ、やり方は全て私に任せること。みっつ、時間が掛かりますから、もう少しだけ我慢すること。宜しいですか?」
「はい、分かりました。……あの、魔女様」
「どうしましたか?」
「私は、何を差し出せばよいのでしょうか」
ぎし、と椅子が軋む。
少女の鼓動が重くなって、数拍、間が空いた。
「言ったでしょう、生業ではないと。ですから、対価は受け取りません。私はただ、私の行いたいことをするだけです」
「けれど……」
「ふふ、心配いりませんよ。貴方の求めるものも、私の求めるものも、きっと手に入りますから」
魔女はあくまで優しく告げると、釈然としない様子の少女の両手から、空になったスープの器を拾い上げる。
「では、ルクレツィアさん。全てが終わったら、また会いましょうね」
魔女はやはり、穏やかな笑みを湛えていた。
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