第38話 女の記憶②

-美優-

心が壊れてしまった彼女の行動はもはや常軌を逸していた。


ある日は彼に会いたいが為に会社にまで行ってしまう。

自分が自主退社に追い込まれた会社にだ。


「あの彼に会いに来たんで通してもらっていいですか?」

数週間前に退社したのは知っていたが理由までは知らない警備員は、彼女があまりにも平然とにこやかに言うものだから

『何か約束はしてあるのだろう』

そう思い警備員は彼女を通してしまう。


そして彼のいた部署に行き

「あの彼に会いたいんですが何処にいますか?」

「彼、連絡する間もないくらい忙しいみたいなんで会いに来たんですが」


そう言って元同僚達に問いかける。

その場にいた全員が口を閉ざし静まり返る。


『こいつ何言ってるんだ?』

『何、堂々と来て、そんな事言ってるんだ?』


全員が呆気に取られ、そして少し恐怖した。

『絶対にこいつはおかしい』と。


「あの彼はほら、貴女と色々あったからこの部署にはいなくて」

1人の女性社員が少し及び腰になりながらも説明する。


「えっそうなんですか?じゃあ今は何処にいるんですか?教えてもらってもいいですか?」


静まり返り特異な雰囲気に包まれるその場でも悠然と振舞う彼女の態度が異常さに拍車をかける。


「あ、あの、貴女、自分のした事わかってるの?教えられる訳ないじゃない」

女性社員がそう言って拒絶すると


「・・・お前もか・・・お前も私と彼の邪魔をするのかー!!」

突如取り乱し、隠し持った包丁を取り出し女性社員に襲い掛かる。


女性社員は間一髪、身をかわし難を逃れた。


騒ぎを聞きつけた警備員が駆け付け、彼女は取り押さえられた。


会社は一連の騒ぎを表沙汰にはしたくなかったため警察には届け出ず内々で収める事にした。


別のある日、彼女は彼の家を訪ねた。

「あの彼に会いたいんですが出してもらえますか?」


平然と、とんでもない事を口にする彼女に対し奥さんは愕然がくぜんとした。


「な、何言ってるの貴女は?おかしいんじゃない?」


「えっ何がですか?彼に会いに来たんですよ。ほら彼の子供もいるし」

そう言って赤ん坊を見せる。


「はっ!?何言ってるの?その赤ちゃん誰!?何処から連れて来たのよ!?」


「だからこの子は彼と私の子供よ。彼ったらいつも言ってたもん『子供との約束が・・・』『子供とどうしても・・・』って。だから私の所にも子供がいれば彼は戻って来てくれるのよ」


「け、警察。警察呼ぶからね!!」


そして駆け付けた警察によって彼女は連行されて行った。

連れていた赤ちゃんは近くの鍵がかかっていない民家から勝手に連れ去っていた。


彼女は誘拐の容疑で暫く警察に拘留されたのち、釈放された。


ここまで来ると当然、彼も彼女との関係を断ちたいと思うようになり彼女を拒絶するようになる。


仕事帰りに待ち伏せされたり、家に押し掛けられたりしても彼は拒絶し続けた。

「俺がお前みたいな頭のおかしな女と一緒にいたい訳ないだろ!」

「もう二度と俺の周りに近づかないでくれ!」

何を言っても彼女は聞こうとはしなかったし、認めようとはしなかった。


結局彼は仕事を辞め、遠くに引っ越す事で彼女から逃れて行った。


1人残された彼女は暫く彼を探し途方に暮れた後、いつも待ち合わせしていた木の下で喜怒哀楽を表す事もなくただたたずんでいた。


彼女は無表情のまま涙を流し頬を濡らす。

怒ったり悲しんだりする事はなく、ただ涙する。


そして彼女はいつも待ち合わせしていた木にロープをかけ自ら命を絶った。


彼女は最期、涙を流しながらも少し微笑んでるようだった。


暫くしてその木の下では女の霊が度々目撃されるようになり、地元の人々はその周辺に寄り付かなくなり地主は頭を抱えていた。


そしてある建設会社が格安でその辺り一体を買い取り、住宅地として売り出す事になった。


勿論建設会社は幽霊騒動も承知しており、その元となった木を抜いてしまおうと言う事になり従業員の男性が重機を使い木を抜いてしまった。


その建設会社こそが後に健太君の家の横で幽霊ビルとなった『E産業』であり、その木を抜いたのが幽霊ビルの火事の後に変死体として見つかった、年老いた男性であった。


健太君の家とE産業跡地の幽霊ビルは元々あの木があった場所に建っていたのだ。


不倫したり自分勝手な行動を起こした彼女を擁護するつもりは無い。


ただ愛する人が違えばきっと結果は違ったはず。

彼女は彼の事をあまりにも愛し過ぎたのだろう。

最も非難されるべきは彼の方だ。


彼のした事は許される事ではないし、私は絶対に許さない。

下衆の極み、クズ野郎、この低俗な男を表す言葉はこんな物では表現しきれない程に憤りを感じる。




「・・・美優ちゃん」


呼びかけられ目を覚ます。


「最低!!」

『バシッ!!』

怒りに任せて思いっきり右手を振り抜く。


ふっと我に返ると健太君が倒れ込み私の右手は痛みで痺れていた。


周りの状況を見渡し、自分のした事に気付き慌てて健太君に駆け寄る。


「ご、ごめんなさい!私思わず・・・手が出て・・・本当にごめんなさい!健太君大丈夫?」


健太君が吹っ飛ぶ程、自分で思いっきりビンタ喰らわしておきながら「大丈夫?」なんてよく言えるな、と自分で思う。


「な、なんで?俺何かした?」

健太君は左頬を押さえながら困惑している。


「ち、違うの。ごめんなさい。健太君は何も悪くない。悪いのはあいつ。いやとりあえず悪いのは私」

もう私は謝るしかなかった。

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