第74話 ノンバインディング

 事業本部とのテレビ会議が終わると、山田は慌ただしく次の段取りを指示した。


「酒井さん、今の内容で意向表明書のドラフトを修正して、なるはやで決裁書を起案してもらえるかな」

「え、ええっと、まだかなり粗い仕上がりなので、もう少し細かい表現とかも議論できたらいいなと思うんですけど……」


 真奈美も、さすがに、いきなり決裁書起案には戸惑いを隠せなかった。


「内容自体は固まったんだし、は決裁者である部長に回付されるまでに完成させて差し替えればいい。事務的な手番で時間をとっちゃうともったいないから先行しよう」


 山田は雑務担当の中野を呼んだ。


「はーい、また無茶な相談ですか?」


 中野は涼しい顔でずばりと指摘してきた。さすが、MA推進部の雑務を一手に担っているだけのことはある。


「うん。悪いけど、今日意向表明を起案したいから手伝ってくれる?」

「わかりました。鈴木部長決裁ですよね?」

「うん、ノンバインディングだからそれで大丈夫なはずだ」


 ノンバインディング――Non Binding――つまり、法的拘束力がないということ。

 通常の契約書であれば契約内容が法的にも有効になりする。これをLegal Binding(法的拘束力あり)という。


 逆に、意向表明をするけど、まだ本約束じゃないから参考情報と考えてね。というのがNon Binding(法的拘束力なし)だ。なんらかの義務が発生するわけではないので、決裁者はM&A部門の責任者である鈴木部長に委任されているらしい。


(――って、小巻が言ってたわね)


 真奈美は小巻に感謝、そして手伝ってくれる中野にも感謝した。


「で、いつまでですか?」


 少し怪訝な表情で山田をうかがう中野。


「月曜日の午後に鈴木部長に説明しに行くから、それまでに関連部門の確認は終わらせておいて」

「えー!?また特急対応ですか?」

「ごめんごめん、よろしく頼む」


 山田はニコニコ笑いながら手を合わせた。


「……もう、仕方がないですね……あ、酒井さん、早めに資料くださいね」

「あ、はい。ありがとう。すぐに修正して送るね」


 こうして、中野がしぶしぶ決裁書の回付を引き受けた。

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