第4話 出会い
カンナたち三人が落ち着くのを待って、場所を村長宅へ移した。黒死蝶の群がっていた家に誰が居たいと思うのだろうか。住み慣れた家でもあっても、やっぱり黒死蝶は気味が悪い。カンナの母の体調も芳しくない。彼女をそのまま家で寝かせておくことは憚られた。
村長はカンナの顔にある蝶の痣に顔を顰めた。ウリュウに乞われるまま前髪を上げたカンナは、村長の隠そうともしないその表情が悲しかった。カンナだってこんな痣を自ら望んだわけじゃない。前髪をもとに戻したカンナは少しだけ落ち着く。ずっと前髪をおろして生活していたのだ。前髪がない視界の広がった世界は落ち着かない。
「村長、少し外れてくれないか」
ホッとしたような顔でそそくさと出ていく村長の背を見送って、ウリュウはカンナたち親子に向き合う。
「神官様。ありがとうございました」
カンナの両親は揃って頭を下げる。お客様の前で横になってはいられないと、カンナの母は気張っていた。両親に倣うように一拍遅れてカンナも頭を下げた。
「お陰で妻を死なせることもなかった。本当にありがとうございます」
「俺はなにもしてないからなぁ」
ウリュウはシヅキをチラリと見遣り、カンナたちに顔を上げるよう促す。
「あの家に関しては俺たちはこれ以上のことはなにもすることがない。シヅキが清め祓ったから今まで通り住むこともできるが、まあ、村の意向に従うことになるだろう」
カンナの家はすでに燃やすことが決まっていた。いくら清められたといっても、黒死蝶が溢れていた家で暮らしていけるような図太さを持ってはいない。この村だってそうだ。あんな気味が悪い家をそのままにしておくことなど、看過できない。
「それで、娘さんのことだが」
ウリュウの声にカンナは息が止まる。なにを言われるかと、冷や冷やとしていた。
「顔の痣のことを考えて俺たちに預けてもらえないだろうか?」
両親は顔を見合わせた。その顔色に安心感と困惑が混じり合っていた。カンナもそんな提案があるなんて思いもしない。責め立てられるか、酷ければ殺されるかもしれないと思っていたからだ。
「あのそれは……?」
「別に、娘さんをどうこうしようと思っているわけじゃない。このままこの村で暮らしていくには生きずらいと思ったんだ。今までは大丈夫だったのだろうけど、年頃の娘さんだ。顔に痣があるだけでも辛いだろうに」
カンナの母が泣き出した。娘の痣を思えば、何もしてやれることがなく悔しくて辛かった。そんな母の背をさすり、カンナの父は頭を再び下げた。
「どうぞ、よろしくお願いします。カンナには辛い思いをさせることしか出来なった。不出来な親で申し訳ないと思っていたんだ」
「不出来なんて……」
カンナは両親に感謝しかない。こんな気味の悪い痣が出来てからだって大事にしてもらった覚えしかなかった。
「お二人が娘さんを大事にしていたことはよくわかる」
「私たちが、ですか? 娘の痣を隠すよう、しいてきたのに?」
ウリュウはシヅキを呼んだ。彼は逡巡し頷き、首元に手を掛けた。しっかりと巻かれた首巻きを意を決したようにぐいと下げた。
シヅキの首に青黒い蝶の痣があった。
右耳のしたから喉にかけてある蝶の痣はカンナのものより大きい。
「シヅキには生まれつきこの痣があった。そのせいで赤子の頃に捨てられている。だけど、お二人はそうじゃない。顔を隠すようにしいたのだって娘さんを思ってのことだろう? 蝶の痣なんて気味が悪いものができた娘さんを家の中に閉じ込めるでもなく、ましてや、捨てるでもなく愛されてきたじゃないか」
声を押し殺すようにカンナの父も泣き出す。娘にたいしてどうしたらいいのか途方に暮れていた。年頃の娘だ。これから縁談の話だってあがってくるはずだ。まだまだ嫁に出すには早いなんて言ってられなくなるのも時間の問題だろう。
カンナは同じような痣を持つシヅキを凝視するように見つめる。自分以外に蝶の痣を持つ人がいるなんて思いもしなかった。変な仲間意識が芽生え、慌てて視線を外した。そんなことを考えてはシヅキに迷惑がかかるだろうと思ってのことだ。同時にシヅキが気まずそうにカンナから目を逸らしたことには気が付かなかった。
「あーそれと、カンナ。シヅキに使った力を見せてほしい」
ウリュウの言葉にカンナの父は吃驚したようにカンナを見る。きまりが悪そうにカンナは父の手を取った。
「……使ったのか?」
「はい。……ごめんなさい。不思議な力を無闇に使ってはいけないと言われていたのに」
使ってはいけない理由を言い含められていたにも関わらず、父の言いつけを守らなかった。カンナの父の顔つきに警戒が混じる。人の顔色に敏感になっているカンナは父の顔色にただならぬことをしてしまったと後悔が押し寄せる。
今この場で怪我らしい怪我をしているのはカンナの父だけ。その父は首を横に振り、力を使わないように警告してくる。だが、相手は神官だ。嫌だと突っぱねたって構わないだろうが、相手の社会的地位を考えればそれは悪手だ。この村でこれ以上ない悪評を流されるかもしれないし、魔法を使っての武力行使だってありえる。カンナが神官と一緒に行く上でどんな扱いをされるかもわからない。治癒の効果時に現れる蝶を不吉だと言われてしまえば、本当にどうするともできない。
「……どうしてシヅキに使った力を今は使えない? いや、使わないんだ?」
カンナの父が慌てて頭を下げる。
「どうか、ご容赦ください!」
叫ぶような懇願にウリュウは目を点にする。
「なにか、勘違いしていないか? 俺はその力を咎める気はない。単純に気になっただけだ」
カンナの父はそれでも頭を上げなかった。なにも考えなかったカンナの行動に父が頭を下げる姿は心が痛かった。申し訳ないし、そんな姿を見たくない。カンナは父の背に手を当てた。
父の怪我に光が集まる。目を凝らせばそれは赤い蝶だ。
「カンナ!」
咎めるような声の父に申し訳なさそうに小さく微笑む。
赤かった蝶は紫へと変わり、青くなり役目を終えたと姿を消す。カンナの父にあった無数の傷はきれいになくなっていた。
「……奇跡だ」
ウリュウは今の光景に魅入られていた。小さく呟かれた言葉は本心だろう。これが二度目となるシヅキも目を見開ている。
カンナはウリュウに向き直り額を床に押し付ける。
「わたしはどうなってもいいから、父と母には」
「待て!」
ウリュウはカンナの言葉を止めた。それは彼が意図していたものではないからだ。
「待て待て待て! 俺はあなたたち家族をどうにかしようなんて思ってない」
神官の印象が悪くないか、なんて独り言ちるくらい、カンナたちの様子に困惑していた。
ただの村人であるカンナたちが神官に触れ合う機会はそうそうない。神社に神主でもいれば違ったかもしれないが、生憎とこの村の神社は荒れ果て管理する者がいない。
「一晩で治るような怪我でなかったシヅキの怪我が、目を離した隙に治っていたから気になっただけだ。怪我を治すような魔法はないから」
ウリュウは大きく息を吐いた。
「あなたが娘の力を隠そうとしたことは正しいよ」
ウリュウは指先を光らせた。魔法を今日初めてみたカンナたちは指先が光る不思議な光景に目を奪われる。
「こうして指を光らせただけでも人々は注目する。それが、カンナは怪我を治すんだ。注目されるだけじゃすまないはずだ」
この村の中しか知らないカンナでも、その言葉は十分と脅しとなって身に入り込む。どんな権力者に利用されるかわかったものじゃないということだ。利用されるだけならまだ、マシだともいうことも。
「その力をシヅキに使ったのは悪手だな」
カンナの父は険しい目をウリュウに向ける。
「そう怖い顔するな。シヅキも」
険吞な様子はカンナの父だけじゃない。ウリュウ側にいるはずのシヅキも今にも噛みつきそうな顔をしていた。
「俺は彼女の力を利用できる立場じゃない。シヅキもそれくらいわかっているだろう。俺たちが黙ってしまえば治癒の魔法なんて存在しない」
「あの、それは一体どういうことなんですか?」
カンナの疑問に答えたのはシヅキだった。
「誰にも言えない秘密が一つ二つ増えたところで、なにも問題ないってことだ」
それは暗に秘密を抱えているということだ。それでもカンナの父の険しい顔は変わらない。
「俺たちはお二人に信じてもらうしかない。大事な娘さんを預かる重みは重々承知している。……嫁に出したと思え」
嫁に行くなんてまだまだ先の話だとカンナは思っていた。痣の有無はともかく、両親の庇護のもと、これから生まれてくるであろう弟か妹の世話を楽しみにしていた。家を出るのだと、実感が沸き上がってくる。今にも泣き出したい思いを抑え込み、両親へ向き直った。
「今まで、ありがとうございました」
それ以上の言葉が出てこなかった。代わりに溢れてくる涙が邪魔で仕方がない。涙で滲んではっきりと見えず、更に痣を隠すための長い前髪だ。両親の泣いている姿を見なくて済むことに、初めて蝶の痣があってよかったと思った。
「あーこれも聞き流してくれていいけど、カンナの名前の由来はなんだ?」
カンナもそれを聞いたことはなかった。父のトイチという名前が十一番目の子だからというように、意味なんてないと思っていた。もしかしたら聞いたことがあったかもしれないが、忘れるくらい意味のないものだと冷めた考えをしていた。
「お恥ずかしいのですが、私たちは学がありませんので神無月に生まれたから『カンナ』と名付けました」
話を聞いたウリュウはそうかと一言だけ返しだけだった。
幾千幾億と繰り返される二人の恋 ゆきんこ @alexandrite0103
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