第3話 出会い

 カンナの家の前ではたいまつを持った男たちを含めた数人が集まっている。たいまつを掲げるような時間でも、天気でもない。どちらかといえば、昼に届くかというような時間だし、空には秋特有の雲のない群青色の空である。


「待ってくれ! 家の中には家内がいる!」


 カンナの父がたいまつを持つ男の腰にしがみついていた。迷惑そうに困った顔をした男は嫌悪感を隠そうともしていない。

 彼らの視線の先にはカンナの家があった。僅かに開いた扉や窓から黒死蝶が溢れるように飛び回っている。目を凝らせば、家の中は黒死蝶で一杯だ。蠢くように黒いそれは家の中で飛び回り、外にまで零れていた。


「あれを見ろ! 黒死蝶が家の中から溢れているじゃないか」

「だけど、家内は今家の中に……それに、妊娠しているんだ!」

「知っている。だけど、黒死蝶を黙って見過ごすことは出来ねぇ」


 男はカンナの父を引きはがす。それでもめげずにしがみつこうとするカンナの父を殴った。殴られたカンナの父は地面に転がった。


「お父さん!?」


 カンナの悲鳴のような声にカンナの父はさらに縋り付こうと男に向かい、殴られる。そんな様子を娘のカンナが見ていられるわけもない。シヅキと繋いでいた手を振り解き、近づくために走り出す。


「やめて! お父さんに乱暴しないで!」


 カンナの父を囲っていた村人たちが一斉に倒れた。

 なにが起こったのか、皆が一様に顔を見合わせる。今なにが起こったのか説明が欲しいと、カンナの父を見ては呆然とした様子に、カンナへ視線を移す。今この場において行動を起こしているものがカンナしかいない。カンナが何かをしたなんて荒唐無稽なことを思っているわけではない。ただ、動いているものに目が向く。それだけのことに等しい。


「!? ひっ……」


 息を飲むような小さな悲鳴があがる。誰もがカンナを見ていた。

 走り出したせいでカンナの頭巾がずり落ち、前髪が揺れた。それは隠していた顔を僅かだが晒した。ずっと隠していたものが露になる。カンナが恐れていた通り、痣を見た村人たちは畏怖し、嫌悪する。

 カンナの左眼を覆うように痣がある。それが怪我や火傷の痕ならば嫌悪感を感じても、畏怖することまでないだろう。誰もが同情の目を向けたに違ない。


 赤黒くはっきりとした痣は蝶の形をしていた。まるで『黒死蝶』だ。


 魔女の化身とされる不吉な黒い蝶、黒死蝶と見紛う形の痣だ。蝶の形に似た痣というだけも嫌悪するものだろう。だけど、カンナの痣ははっきりと蝶の形をしている。それは見た相手に恐怖と嫌悪を与えるには十分だ。

 カンナに向かって近くに落ちていた石を投げた者がいたって、仕方がない。恐怖からくる行動をなんと咎めたらいいのだろうか。

 石はカンナに当たらなかった。その一個の石が当たらなかったことが、余計に恐怖を増大させる。恐怖のままに行動始めた村人たちはカンナに向かって手当たりしだいに石を投げる。拳大の大きさ、砂利のように細かいもの、大小さまざまだ。

 父を守ろうとしたカンナを、その父は娘を守るように抱きしめる。飛んでくる悪意からカンナを守るには十分とはいえないが、石から娘を守るには十分だ。

 ぶつかった石はカンナの父を痛めつける。肌に痣を作り、皮膚を裂くものある。痛みに顔を歪めても、カンナの父は娘を離そうとしない。大事な娘を守るためだ。痛みなんてたいしたことはない。

 顔に忌々しい蝶の痣が出来てからのカンナの苦労を思えばなんてこともない。


「お父さん! お父さん!」


 子を心配しない親がいないのと同じで、カンナも父を心配し、守りたかった。石が飛んでくる恐怖は当然だが、目の前で傷ついていく父を見るほうが何倍も怖い。父を呼びながら流れる涙。今は蝶の痣なんてどうでもよかった。大事な父を傷つけないで欲しいと、心配ばかりかける親不孝な自分を守らなくていいと父を呼ぶ。言葉にならない思いが声に交じっていた。


「お父さん!」


 はたと石の雨が止む。助かったと思っていいのだろうかと、顔を上げた。二人に向かって石を投げていた村人たちが皆倒れていた。


「これは……?」


 そこに村長とシヅキの旅仲間のウリュウが現れた。黒死蝶が大量に発生したと、聞いた村長がたまたま居合わせた神官の男を連れだってきたのだ。二人には黒死蝶よりも先に倒れている村人たちが目に入った。見ただけでは外傷はないように見え、怪我人はカンナの父だけ。なにがあったのだろうかと訝しくて当然だ。


「……シヅキ、何をした?」


 ウリュウは当然ようにシヅキに声を掛けた。


「俺はなにもしていない。問題はあの家だ」


 シヅキはカンナ親子から二人の視線を家に向けた。カンナの蝶の痣を思えばこそだ。あの痣は誰にも見られたくないと思うものだろう。シヅキの配慮が足りなく、隠していた痣を覗いてしまった罪悪感がずっと胸を締め付けていた。カンナと同じだというのに、全く思いつきもしなかった。

 家は相変わらずだ。側で起きている騒動など知らないといわんばかりに、黒死蝶は蠢くように家の中で羽ばたいている。


「なんだ、あれは?」


 誰が見ても気味が悪く、嫌なものだろう。神官であり、様々な地に赴くことの多いウリュウですらあの黒死蝶の発生事案ははじめてだ。


「神官様! あの、家の中には家内が」


 村長とウリュウの存在に気が付いたカンナの父が縋り付くように跪く。後に倣うようにカンナは額を地面につけていた。


「あの中に人がいるのか?」

「あ、はい。家内はつわりが酷くて、家の中で寝ておりまして……」


 黒死蝶が一羽でも触れれば不幸に見舞われるという話がある。その真偽は確かではないし、その不幸が死を意味しているのか、悲運なのかはわからない。だが、家の中が覗けないほどの数となればどうなのだろうか。いや、黒死蝶だからではなく、虫が群がればそれだけで気持ちが悪い。気持ちが悪いだけで済めばいいのだが。

 ウリュウはカンナ親子からシヅキに視線を向ける。


「シヅキ」


 シヅキはウリュウに頷き返し、家に向かって歩き出した。胸の前で彼の両手が様々な形を作る。


「あの、なにをしているのですか?」


 カンナの父は不安をそのまま口にする。黒死蝶を追い払うため、妻がいる家に火を放たれる心配はないと思いたい。男たちが持っていたたいまつの火はまだ消えていない。地面に落ちてもまだ燃えていた。


「大丈夫だ。シヅキが今から黒死蝶を祓う」


 大丈夫と言いながらウリュウの顔は硬かった。不敬かもしれないと思いながらも、カンナは前髪越しに覗き込んだ。ウリュウが母の無事を口にしてはいない。あれだけ沢山の黒死蝶だ。そう簡単に無事を口にはできないのだろう。

 神官は奇跡の力といわれる魔法を使う。一般の人には決して使うこの出来ない不思議な力だ。村で細々と暮らしているだけであれば、奇跡の力を目にすることはないだろう。この村に神社があっても、荒れ果てているくらいだ。一度も見ることなく生涯を終えることだって珍しくない。村長だって白髪頭になって初めて見る。

 カンナの家が氷に包まれ、キィンという静かな音と一緒に氷が砕け散り消える。次いで中も見えないほど羽ばたいていた黒死蝶は凍り付きゴトゴトと固い音を立てて落ち砕けた。砕けた黒死蝶は水が蒸発するように消えていった。

 黒死蝶の居なくなった家の中にシヅキが入っていく。心配になって顔を上げたカンナの痣を村長とウリュウに見られてしまう。だが、今はそんなことを気にしていられないくらい気が気ではない。母の無事を祈って手を合わせる。

 シヅキが家の中から出てくるまでそう時間はかからなった。カンナの母を支えるようにして家から出てきたのだ。カンナの父が駆け出し、カンナは力が抜けたのだろう。その場で声を上げて泣きだした。ずっと我慢していたものが涙に洗い流されるようだった。

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