第2話 出会い

 カンナはいつものように村にたった一つしかない古く小さな神社の境内で箒をかけていた。村人にも忘れ去られてしまったその神社はひっそりと最期の時を迎えようとしているのか、朽ちかけている。カンナが日課のように神社を清めていなければもうすでに、この神社は朽ち果て、存在すらしていなかったのではないだろうか。

 日々を生きることで精一杯の村人たちはこの古い神社に、まで気に掛ける余裕がない。思い出した時にだけお参りに訪れ、お供えをし、祈る。そんな場所だ。目につく傷んだ場所も、汚れもどうにかしなきゃと思いながら日々の生活に追われていく。気が付けばこの小さな神社ぼろぼろになっていた。

 カンナだって以前はこの神社に対して他の村人と変わらなかった。気にかけるようになったのは、せっかく生まれた妹が死産だったからだ。

 やっと生まれたと、姉になったと喜んだのもつかの間。妹は声を上げることもなく死んでいた。小さな体は赤黒く、お世辞にもかわいいとは思えなかった。そんな妹を抱いて泣く、両親の姿を見たカンナは自分には心がないのではないかと思った。大好きな両親に申し訳なく、妹の代わりに自分が死ねばよかったのにと誰もいない神社で一人で泣いていたのだ。

 誰もいない神社に一人きりでずっといれば、その荒れ具合が気になってくるものだろう。その頃からカンナは神社に通うようになった。当然カンナ一人で神社を立て直せるはずもない。出来ることといえば、掃除くらいだ。気が付けば毎朝境内を掃き清めることがカンナの日課になっていた。


「あれ? キミは昨日の」


 カンナの肩が掛けられた声に驚いて跳ねた。

 顔を前髪で隠すカンナを遠目にしている村人からカンナに声を掛けることなんて滅多にないせいもある。だけど、声を掛けられたくらいで驚いては失礼だろうと、平静を装って振り返る。


「あ、ごめん。なんか驚かせてしまったみたいだ」

「いえ、そんなことは……」


 昨日、黒死蝶から助けてくれた若者が材木を手にしていた。旅をしていると言っていた彼が切り出された材木を持っていることに違和感がある。それは旅に必要だとは思えない。いや、商いの商品だというならば違和感なんてないが、彼は見た目からして神官だ。彼自身も神官見習いだと、話していた覚えがあった。


「あの、その木はどうしたんですか?」

「これ? 床が腐っていたのか踏み抜いてしまったところがあるから直そうかと思って」


 カンナ以外誰も見向きもしない神社だ。カンナも壊れた箇所があることは把握していたが、直すことまでは出来なった。どうしたらいいのかわからなったというほうが正しいのかもしれないが。


「床が? お掃除のときに妙に軋む、たわむ場所があるとは思っていたけど、抜けちゃったなんて」

「ああ、だからか」


 若者は一人で納得したように頷いている。なに頷いているのかカンナにはわからない。首を小さく傾げると彼はカンナの持っている箒を指指した。


「キミがここの社を掃除してくれていたおかげで俺たちは快適、とまではいかないけど気持ちよく過ごせたよ。ありがとう」


 神社に関してお礼を言われるとは思っていなかったカンナはなんと答えていいのかわからず、首を振る。今まで誰もカンナが神社を清めていることに触れる者はいなかった。神社に通っていることを知っている家族からも何かを言われたことはない。


「いや、本当に助かったんだよ。床が抜けるほど傷んだ社なのに、きれいに掃除してあるから過ごしやすかった」


 彼の心からの感謝がくすぐったい。

 顔を隠すようになってから家族以外の人とこうして日を置かずに話すこともなかったし、一言二言以上話しをすることもなくなっていた。久しぶりに人と触れ合ったといってもいいくらいカンナは一人でいることが多かった。

 痣があるうちは仕方がないと思っていた。この忌々しい痣がいつ消えるかもわからない。もしかしたら明日には薄くなり、すぐに消えるかもしれないと思っても、この痣は消えるような素振りはなかった。


「俺はシヅキ。キミは?」

「カンナ、です……」


 名前を聞かれるなんて思いもしない。こんなに長く伸ばした前髪に、深く被った頭巾だ。気味の悪い女だと思われて当然だと思い込んでいたカンナは突然のことに語尾が小さくなってしまう。

 誰もかれもが隣人の小さな村だ。改めて名前を言うようなこともないせいもあって、変に緊張してしまう。


「カンナには世話になりっぱなしだな」


 そんなカンナの緊張も知らずシヅキは笑みを浮かべていた。若者らしいさわやかな笑顔はカンナに人との触れ合いの心地よさを思い出させてくれる。それは同時に寂しさも一緒に思うものだ。

 やっぱり人に避けられる生活は寂しく、辛いものがあった。せめてもの救いは家族がカンナを気味悪がることなく、痣ができる前と変わらずに接してくれることだろう。それすらもなかったら、カンナは自ら命を絶っていたかもしれない。それだけの痣が顔にある。

 つい気になって無意識にカンナは頭巾に手を伸ばしていた。シヅキの視線が痣に向かないようにと頭巾から離れた手は顔の前をゆっくりと降りていく。


「カンナは……いや、なんでもない」


 シヅキがカンナから視線を外した。それに気が付かないカンナじゃない。人の視線に敏感になっているせいもあるだろう。なんでもないたったそれだけのことに傷ついてしまう。相手がなにも思っていなくても、仕草だけに傷つく。カンナ自身なんとも面倒くさいと思うが、気になって傷ついてしまうのは仕方がない。今ではもう、そういうものだと達観しつつあるが、それでもだ。慣れた村人たちからの視線とはまた違うせいか、彼が神官皆習いのためだろうか。


「カンナ。床の修繕を手伝ってくれないか?」


 シヅキは神社の扉を開け放つ。掃除をするときでも、両開きの扉を全開にしたことはなかった。朝の清々しい光が神社の中を照らす。何度も掃除のために入ったことがあるはずだが、いつもと違うように見えた。それは扉の開け方が違うからだろうか。それとも、他の要因があるのかわからない。わからないが、それは些末なことだとカンナは捨て置く。

 それよりも室内の最奥に見事に踏み抜いた跡があった。掃除のときにそこのたわみが気になっていた場所だ。


「昨夜祈りをささげようにして、やってしまった」


 申し訳なさそうに言われても、こうなるまで神社を放置していたのはこの村だ。シヅキのせいではない。


「怪我はしなかった?」


 見事なまでに大きな穴は、子供であれば簡単に穴の中に入れそうなくらいだ。そんな大きな穴を踏み抜いたと聞けば、怪我の心配をして当然だ。なんでもなさそうに歩いていたって、打ち身は痛いし、かすり傷だって気になる痛みのはずだ。そのくらいの小さな怪我であれば大事はないと安心していいものだろう。目の前のシヅキには痛がっている様子はない。


「大丈夫だ。あの穴をあけたのは連れなんだ。くくっ……変な声を上げて落ちるから……」


 シヅキは昨夜のことを思い出したのだろう。噛み殺しきれず笑いが漏れている。


「変な声って……その人は」

「大丈夫。ウリュウは丈夫だから」


 一度治癒の力を使った相手だから怪我の有無が気がなったのだろうか。いつもはそこまで人の怪我を心配しない。いや、正確には心配している。カンナが手を差し伸べれば、その怪我は簡単に治る。目の前で苦しんでいれば助けたいと思うのが人の性だろう。

 治癒の力は人に知られてはいけないと、他人に使ってはいけないと、父親に言われていた。その力を得たのは顔に痣ができてからだ。気味の悪い痣に、不可思議な力があると知られれば、それだけで平穏な生活は遠のいていく。顔を隠した生活が平穏とは言い難いが、後ろ指を指されるだけでなく、石まで投げられるような生活だけは避けたい。

 シヅキの床を手直ししていく手付きは、本当に神官見習いなのだろうかと、疑いたくなるほどのものだった。

 床に鋸をいれるだけでも難しそうだというのに、シヅキが行う姿は簡単そうに見えた。ギコギコと響く鋸の音は小気味よい音を立てていた。


「この板をはめるだけの簡単なことしか出来ないけど、穴が開いたままよりはいいだろう」


 シヅキからしたら簡単なことかもしれないが、カンナからしたら完璧に思える修繕だ。手伝いだってたいしたことはなにもしていない。それでもシヅキはカンナにお礼を言うものだから、恐縮しっぱなしだ。


「これが終わったら昨日の、紫苺を採りに行こう」


 シヅキの申し出にカンナは首を傾げた。なぜ、紫苺なのか。旅人が保存の効かない草の実を必要とするものだろうかと、疑問だ。いや、紫苺を保存する方法はあるが、時間がかかる。それならば購入した方が効率がいい。


「あ、昨日俺が潰しちゃったから、お詫びに、ね?」


 律儀なシヅキにカンナは笑ってしまう。紫苺なんて高価なものでもないし、今の季節ならば採り放題ともいえるような代物だ。冬に備えて紫苺の収穫はしなくてはいけなが、人の手を煩わせてのものではない。


「気を遣わなくても大丈夫です。昨日は私が助けられたのに」


 そうかなと笑うシヅキにカンナも一緒になって笑う。人と笑い合うなんて本当に久しぶりだ。目の前にさがる前髪がなければ、カンナは痣のことを忘れていただろう。


「カンナは」


 シヅキの手がカンナに伸びる。

 カンナは昨日のことを思い出して、体を強張らせた。シヅキが無体なことをするはずはないと、信じている。いや、自分にはそんなことを思わせるようなものはなにもないと思っている。それでも伸ばされてきた手を、怖いとカンナは両手で頭巾を掴み、深く引く。

 シヅキの手はカンナの前髪を除けていた。


「あ……」


 見られた。

 顔にある忌々しい痣を見られてしまった。

 カンナの頭の中をそれだけが占めていく。どうしようと思うよりも、見られてしまった恐怖が心を鷲掴みにする。

 両親にこの痣だけは人に見られてはいけないと、言われていた。治癒の力は良いものかもしれないが、この痣のせいで勘ぐって見られるだろう。誰もが好意的に見てくれるわけじゃないと。

 全ては痣のせいだ。

 こんな痣がなければ、カンナは前髪で顔を隠すこともなければ、頭巾を深く被るようなこともなかった。村人から遠巻きにされることもなかった。


「カンナ……」

「あ……あの、これは」


 シヅキになんと言えばいいのかわからない。まともに彼の顔を見ることもできない。嫌悪の表情を見ようものなら、カンナは気を保っていられない。シヅキの手を払っても、見られてしまったことをなしにはできないだろう。時間を巻き戻せたらとどんなにいいだろうか。

 シヅキに痣を見られる前に。 

 今日神社でシヅキと会う前に。

 昨日紫苺の収穫に行く前に。

 こんな痣ができる前に戻れたいいのにと、思わずにいられない。

 隠れるように頭巾を深く引く。そんなことで隠れられるはずもないとわかっていても、カンナはこの場から逃げ出すために、走ればいいということすら浮かばない。


「……ごめん。見られたくなかったよね」


 シヅキの言葉にカンナは心がえぐられるようだ。相手が嫌悪感を持っていようと、いまいと関係なく、すべてカンナを嫌っているように聞こえてしまう。もうそれはどうしようもないことだ。カンナの体はガタガタと震えていた。


「本当にごめん。……家まで送るよ」


 シヅキに手を引かれて立ち上がったカンナの視線はずっと下にあった。シヅキが首元を気にするように襟巻を直したことも気が付かなかった。

 ただただ怖くて仕方がない。手を引かれて歩いているだけでも、いつシヅキが声を上げるかもわからない。痣があると、言いふらされるだけならまだいいのかもしれないとすら思ってしまう。

 家へ送ると言われたが、行先がいつ変更されるかもしれない。シヅキは神官見習いだ。見習いと神官の違いなんてカンナをはじめ、村人たちにはわからない。小さな村でも、人の集まる場所というものはある。そこで、カンナの痣を責められたら、治癒の力を神官の扱う奇跡の力を神官でも何でもないただの村娘のカンナが神霊契約もなしで使った異端だと責められたら……最悪のことばかりがカンナは思い浮かんでしまう。

 カンナの不安を気に掛けることもなく、シヅキはカンナの案内のまま道を進む。それもまた、カンナの不安を掻き立てる要因の一つだ。カンナ一人でいたほうが今は恐怖が薄まるだろう。痣を見られた相手と一緒にいることがこの上なく、不安を掻き立てていた。

 カンナの不安は全く当てはまることもなく、家の近くまでシヅキは黙って送ってくれた。

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