第142話 カラオケで歌おう
「それで、ここは何をするところなの?」
2杯目のスポーツドリンクを飲み終えたメルが聞いてきた。
「歌を歌うところだよ」
「歌? 歌うためにお部屋に入るの?」
「外で歌ってると変な人だって思われちゃうからね」
「そうなの? アーリアでは歌ってる人よく見かけるけど」
「言われてみたら、歌いながら歩いている人いるなあ」
頻繁にというほどではないけれど、アーリアの町では歌っている人を見かける。普通にその辺を歩いている人が、だ。夕方になると楽器を持って歩いている人を見かけることも多い。その辺の飲食店からは賑やかな演奏と歌声が聞こえてくるものだ。
酒場で働いていたメルからすれば、一般人がそこらで歌うのは日常だったのだろう。
「日本ではあんまり外で歌わないんだ。音楽で食べていこうって目指している人くらいかなあ」
「音楽で食べていく? 分かった。吟遊詩人だね!」
「まあ、似たようなものかな」
僕は吟遊詩人の歌を聴いたことがないのでなんとも言えないが、当たらずとも遠からず、というところだろう。音楽を奏で、歌うことに違いは無いはずだ。
「でも日本って楽器持って歩いてる人いないよね」
「ケースに入れて持ち歩いている人はちょいちょい見かけるかな」
アーリアではみんな楽器をそのまま持ち歩いてたから、ケースに入った楽器がメルに分からないのは仕方ない。
と、思っていたらメルがぽんと手を打った。
「あ、分かった。スピーカーってやつだね!」
アーリアとは少し異なるが、日本だって音楽で溢れている。コンビニでの店内BGMだけでなく、都会に出ればそこら中から音楽が聞こえてくる。
初めの頃はメルはどこからともなく聞こえてくる音楽にびっくりしていたが、今ではもう慣れたものだ。どうやらそこから正解に辿り着いたらしい。
「そう、スピーカーがあってそこから音楽が流れてくるから、それに合わせて歌うんだ」
「じゃあなにか歌ってよ!」
「うーん、僕はそんなに歌が得意じゃないよ」
「いいのいいの。ひーくんが歌ってるの聞いたことないもん」
「そういや、そうかも」
アーリアの曲は、当然ながら僕は知らない。弦楽器や打楽器で奏でる音楽は耳心地が良いのだけど、歌詞を知らなければ歌いようがない。
「うーん、何がいいかな」
歌うのが嫌いなわけではないけれど、僕の聞く音楽はちょっと流行りからはズレている。端末を操作して検索してみるが、いま自分の中で流行っている曲は収録されていなかった。
こういう時、自分は世間からズレているのだなあと再認識する。流行りの曲が悪いわけではないのだけど、自分で見つけたという特別感が好きなだけかもしれない。いや、良い曲なんだよ。良い曲なんだけど、なんで流行らないかなあ?
「あ、じゃあこの曲は?」
僕が迷っていることに気付いたのか、メルは比較的最近の日本の曲を鼻歌で歌って見せた。多分、どこかで耳にして覚えていたのだろうけれど、凄い記憶力だ。あと、音程もずれていない。
「それなら、うん、あるね。ちょっと歌えるか自信がないけど」
僕は端末から曲を選択し送信する。そしてマイクを持った。
「それは?」
「これはマイクって言って、なんて言えばいいかな? あ、あ~~」
僕はスイッチを入れてマイクに声を乗せる。
「ええ~~!? ひーくんの声がおっきくなった」
「こういう機械なんだ」
僕は声をマイクに乗せたまま言う。
「おもしろーい。私も、私も」
伴奏は始まっていたけど、僕はメルにマイクを渡す。
「あ~~、ええ、あれ、なにこれ。私、こんな声じゃないよ!!」
「ああ、自分で聞こえてる声と、実際に出てる声は違うからね」
「え、え、え、え?? どういうこと、私こんな変な声なの?」
「変じゃないよ」
「だって、私、こんな声じゃないもん!」
「まあ、最初は違和感があるよね」
僕も幼い頃、初めて動画に撮られた自分の声を聞いた時は衝撃を受けた覚えがある。
「違うもん!」
「そうだね。メルが聞いてるメルの声を聞けないのはさびしいな」
恐らくそれはどうやっても共有できないものだ。メルがどんな声を自分で聞いているのか、僕は知ることができない。
「どうして自分の声が違うの?」
「確か体の内側を通る音も聞こえちゃうから、それで自分の声は違って聞こえるんだったと思う」
「じゃあこうしたら私の聞いてる声がひーくんにも聞こえるかな?」
メルは僕に顔を近づけて、僕の額に自分の額を合わせた。自然と、他意は無い感じで。僕は高鳴る心臓をなんとか鎮めようと必死になる。
「あ、あー、聞こえますか? ひーくん、私の声、聞こえる?」
「メルこそ、僕の声が聞こえる?」
「変な感じだね。これがひーくんの聞いてるひーくんの声なのかな?」
「どうかな? 分からないけれど、そうであって欲しいな」
「ひーくんも私の声聞こえる?」
「うん。聞こえてるよ。いつものメルとはちょっと違う声」
僕らはお互いしか知らない声を知った。
気が付けば曲は終わってしまっていたけれど、僕らはずっとそうして笑い合っていた。
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