第12話 宿屋に泊まろう

 メルに物理的に背中を押されて辿り着いたのは冒険者ギルドからはかなり離れた場所にある宿だった。表通りに面してこそいるが、これだけ遠いと冒険者は利用したがらないだろう。


「メルシアさん、おかえりなさい」


 宿に入るとすぐにカウンターがあって、ふくよかな中年女性が出迎えてくれる。


「トリエラさん、ただいま。連れがいるんだけど空き部屋ある?」


「ありますよ。一部屋と言わず二部屋だって大丈夫ですとも」


「二部屋は要らないかなあ。ひーくん、ここでいいよね」


「この町のことはさっぱりだし、メルに任せるよ」


「お客様を連れてきてくれたのね。うちは素泊まりで一晩銅貨20枚から。朝食は5枚で提供しているわ。メルシアさんみたいに月借りしてくれるなら、銀貨10枚にするわよ」


 えっと、銀貨10枚は銅貨320枚だから、16日分で一ヶ月借りられるのか。


 と、そう考えたところでふと疑問に思う。


「ねえ、メル、一月って何日?」


「26日だけど、日本では違うの?」


「日本だとほとんど30か31日だね」


「へぇ、変なの」


 とにかく一ヶ月契約なら16日分のお金で済む。しかし残念ながら手持ちがそんなに無い。


「持ち合わせがないのでとりあえず一泊でお願いします」


「あらあらそうなの。残念ね。メルシアさんの隣のお部屋も空いてるけど、それでいいのかしら?」


「じゃあそれで」


 僕じゃ無くてメルが答える。僕はいいけど、メルはそれでいいんだろうか? メルがいいって言ってるんだから、いいんだろうけど。


 僕は銅貨で20枚を支払う。


「はい。これがお部屋の鍵です。無くさないでくださいね」


「ひーくん、荷物置いたらお風呂行くよ」


「お風呂があるの!?」


 てっきりこっちの世界ではお風呂は貴族が嗜むものとかそんな感じで珍しいんじゃないかと勝手に想像していたけれど、そうではないみたいだ。


「あれ? 日本じゃお風呂珍しかったりする?」


「ううん。助かるよ。もう汗だくでさ」


「そっか、着替えもないんだっけ。入浴料は銅貨1枚だけど、洗濯屋で乾燥までしてもらうと銅貨3枚いるよ」


「必要経費だなあ」


 とにかくこれで1日に必要な経費は大体分かった。一食は銅貨5枚前後みたいだから、三食で銅貨15枚。一泊が銅貨20枚。風呂と洗濯で銅貨4枚。アーリアに10日滞在するための税金が銀貨1枚だから、1日銅貨3.2枚。1日に銅貨43枚は稼がなければならない。


 持っている銀貨が5枚で、1枚が銅貨32枚分なことを考えると、余裕は無い。


 僕よりステータスの高いメルの稼ぎでも結構ギリギリな感じだ。


「んー、そうでもないかな。町中の日雇いでも銀貨2枚からが相場だし、魔物狩りが稼げないだけだよ」


 公衆浴場への道すがら僕の懸念をメルに伝えるとそう返事が返ってきた。


「つまり普段は町の中で働いて、お金に余裕があるときに魔物を狩る感じなの?」


「そうだね。私の場合、月に15日は酒場での仕事が決まってて、それで金貨1枚って契約してる。酒場の仕事が休みの日に魔物狩りにでかけてるんだよ」


「なるほど。僕も仕事を見つけないとヤバいかな」


 てっきり毎日魔物狩りに出かけているものだとばかり思っていた。


「ひーくんは日本でどんな仕事をしてたの?」


「僕? 僕は学校に通ってるんだ。まだ働いた経験は無いよ」


「学校って、もしかして勉強するところ?」


「もしかしなくてもそうだよ」


「学者の卵だったのかあ。道理で運動不足なわけだよ」


「いや、日本では僕らくらいの年齢だとみんな学校に行くんだよ。アルバイトで働くことはあっても、本格的に働き出すのは18歳とか、22歳とかじゃないかな」


「うへぇ、みんな勉強ばっかりしてるんだ。信じられない。親がお金を出してくれるの? 22歳まで?」


「日本じゃそういうものだからね。義務教育って言ってさ。15歳までは学校に行かなきゃいけないし、少なくとも20歳くらいまでは親が子どもの面倒を見るものだよ」


「へぇ~、びっくり。こっちだと働けるようになったら働くのが当然だよ」


「文化の違いというやつだね」


 返しながらも、親という言葉が出たことで僕は当然ながら自分の親のことを思い浮かべる。檜山たちが無事に橿原ダンジョンを脱出していたとして、彼らは僕のことをミミックに食われたと報告するだろう。


 当然ながら親にもその知らせが行く。


 驚くだろうし、悲しませてしまうだろう。


 死体が発見されない以上、すぐに死んだという扱いにはならないが、ダンジョンでの行方不明者は半年で公式に死亡扱いとなる。そうなると両親は空の棺で葬式を執り行うことになるだろう。


「早く強くなって帰らなきゃね」


 僕が黙り込んだことでその心中まで察したのか、メルは優しくそう言った。

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