#34 もやもやする理由①
「お疲れ様でした! また来週、よろしくお願いします」
挨拶も早々に、次の現場へと向かう乙葉さんとマネージャーの間島さんを見送る。
今日は、朝から二時間ほど優さんのディレクションによる乙葉さんのナレーションや、モノローグ収録が、先ほどまで行われていた。
成瀬くん主演、「反魂香」の撮影に音響班として加わってから、二ヶ月が過ぎようとしている。まだまだ、デスク作業のほうが多い私ではあるけれど、どの仕事も私にしかできないことなのだ。と、いう自信がほんの少しでも持てるようになったことで、あの優さんから遠回しながらも褒めて貰えることが増えた気がする。
乙葉さんが出演する連続ドラマが、秋の新番組としてスタートしたこともあり、映画の撮影スケジュールがこれまでよりも不規則になるらしい。あまり間が空くと、感覚が鈍る可能性もある為、私としては一週間以上の休止期間がとても長く感じられるのだけれど、その分、優さんと同じ休暇が取りやすくなったことに関しては、正直嬉しかった。
そんなことでもない限り、優さんと二人きりになれるチャンスはほとんど無いに等しく、私たちは本当に付き合っているのだろうか。と、疑問に感じる時もあった。もちろん、彼氏らしいことはして貰えないというのは大前提として常に頭の片隅にある。だけど、やっぱり。もう少しだけでいいから、二人だけの時間が欲しい。と、思ってしまう弱い自分もいる。
「どうした?」優さんの、柔和な声にふと我に返る。
「え?」
「ぼーっとして、また悩み事でもあるのか?」
「いえいえ! そんなの無いですよぉー」
私は嘘が苦手だ。そんな慌てふためく私を見つめる優さんの目が、例のごとく不敵に細められる。
「吐け」
「だから、何もないって言ってるじゃないですかぁ……」
「嘘コケ。気づいていないようだから言っておくが、お前、悩み事があるとき、眉間にすっげー皺寄せてるから」言いながら、軽く私の額にデコピンしてくる優さんに、私は苦笑いを返した。
「そ、そうなんだ……」
「で、今度は何を悩んでんだ」
さっき考えていたことを言うべきか一瞬、考えあぐねてしまった。その時、卓上に置かれたままだった優さんのスマホがぶるぶると小刻みに揺れた。誰かと繋がってしばらくの後、すぐ戻る。と、言って優さんは録音室を出て行った。
まただ──。これで何回目だろう。何となく、仕事の要件ではないことだけは私にも分かる。怒っているような、それでいてどこか切なげな表情が何を意味しているのか。私は、追いかけたい気持ちをぐっと堪えながら、優さんが戻るのを待つことにした。
時間にして、五分くらいだろうか。次に利用する人たちの為、録音室前の待合室で待っていると、少し沈んだ様子の優さんを迎え入れた。何かあったのかと尋ねても、また何でもないと言い返されるだけ。
「昨晩、一翔から連絡があった。また急に俺が行けなくなったとしても、お前だけは行かせられるようにすると、伝えておいたから」優さんが、スマホ画面を見ながらいった。
先週、私の誕生日会をして貰える予定だったのだけれど、急に優さんと裕樹くんに仕事が入り、延期になってしまっていた。今週の土曜日の夜を逃すと、また映画撮影が始まる為、全員揃ってというのは難しくなる。
これ以上、斉藤さんの好意を無に出来ない。だけど、優さんのいない誕生日会を想像するだけで、寂しさが込み上げて来てしまう。
「とりあえず、飯食いにいくか」そう言って、卓上に置かれたスーツバッグを持ち、いつものように足早にロビーを後にしようとする優さん同様、私もその後に続いた。
「次のスタジオは、こっから少し距離あるからな」
「……そうですね」
「簡単に食えるラーメンにすっか?」
「……優さん」
「ん?」
「優さんの方こそ、何か悩み事があったりするんじゃないですか?」
俯き加減だったせいもある。前を歩いていた優さんが立ち止まったことに気づいた時にはもう、背中に軽めの頭突きを入れてしまっていた。
「あ、すみません!」
「俺が何に悩んでるって?」優さんが、振り向き真顔でいった。
「あ、いや……なんか、最近の優さん、元気ない時あるなーって思ってたっていうか」
成瀬くんとの合同誕生会の日から、『野暮用』が増えた気がしていたこと。私なりに、彼女になったのだから言いたいことは遠慮なく話そうと決めていた。けれど、いざそれを言葉にしようとすると出来ない。
「私の思い過ごしだったようですね。なんか、余計なこと言っちゃってごめんなさい。急がないと次の現場に遅れてしまうので、早く行きましょう! ラーメン食べにいきましょ」
また、なんとなく気持ちを誤魔化してしまったことに後悔する暇もなく、怪訝そうな表情で歩き出す優さんの後を追いかけるようにして、スタジオを後にしたのだった。
*
──三日後。
「今夜は俺のおごりだから、遠慮しないでね」斉藤さんが、にっこりと微笑む。私も、同じように頷いてその好意に甘えることにした。
ありさとMIRAに着いた頃にはもう、裕樹くんと斉藤さんが一切の準備をしてくれていて、去年も案内された個室のような席へと向かう。テーブルの上には、所狭しと料理が並んでいて、いつでも始められるようになっていた。
「あれ、昼過ぎまでは行けるって言ってたのに……」
と、裕樹くんがスマホを見ながら訝し気に眉を顰めた。きっと、私に送られてきたものと同じ文面が、優さんから届いたのだろう。
本当に忙しい人だよね。と、苦笑する斉藤さんと、忙しすぎるんだよあの人は。と、呆れ顔で言う裕樹くんから、奥の席へと促されるようにしてありさと並んで腰かける。
「でも、いくらなんでも断れなかったのかな。自分の彼女の誕生日会だってのに」ありさが、怒ったように言うから、
「それでもいいって、私が決めたことだし……」
と、私は宥めるように言い返した。
本当は、優さんから『行けない報告』を貰ってから、優さんのことばかり考えてしまっていた。去年、優さんに介抱されながら、"自分の思うままに生きろ。俺が傍にいるから"と、言われた気がして嬉しかったんだよな、と。
「やっぱ、遅れてでも来るように言うわ」
ありさがスマホを手にしたから、それを私がやめさせようとして斉藤さんに制される。
「俺も優さんに会いたかったけど、こればかりはしょうがない。そんなことより、今年のバースデーケーキは、期待しててね」
「こっちから何も言わなくても、来られそうなら連絡来るだろ。もう腹減ってたまんねーから始めるぞ」
いつものように仕切り始める裕樹くんからも、元気だせ。と、言われているような気がして、私はありさを宥めながら明るく振舞うようにした。
「今日は、飲みまくるぞー!」
それから、私たちは美味しいフルーツケーキも頂きながらいろんな話で盛り上がった。仕事の話はもちろんのこと。ありさと裕樹くんの同棲生活のことや、途中から少しだけ加わってきた末松さんからも、お付き合いしている彼女との近況報告を受けた。
そのどれもが、幸せな気持ちになれる内容ばかりで、自然と頬も緩みっぱなしだったりする。
「いいなぁ、幸せそうで」
それも、私の素直な感想だった。
「遥香だって幸せじゃない。中村さんと付き合えたんだから」ありさがカクテルグラスを片手に、私の顔を覗き込むようにしていった。
「うん。とっても幸せだよ……」
今年は絶対に飲み過ぎないようにすると決めていたし、そんなに飲んだ覚えもないのだけれど、思っていたよりも自分の中で消化しきれなくなっていたのかもしれない。どういう訳か自然と涙が溢れそうになって、私は急いでおしぼりを広げ顔を覆った。
「また酔っぱらっちゃったみたい。ごめんなさい……」
「なんかあったんでしょ。あたしらにも言えないことなの?」
ありさの、少し厳かな声に私はゆっくりと目の下までおしぼりをずらした。きっと、眼も耳も赤くなってしまっているに違いない。
「俺たちで良ければ、話してよ」斉藤さんからも励まされ、嬉しさから余計に涙がこぼれてしまう。ありさも、斉藤さんも、裕樹くんも、私からの言葉を待っていてくれたらしい。
「じつは……」
ここ最近、誰かからの電話の後、優さんが何か考え事をしていることが多くなったということ。それに対して、さり気なく尋ねてもはぐらかされてしまうことなど。これまで、自分の中だけで処理し続けていた思いの全てを吐き出してみた。
「私には言いづらいことなんだろうなって思ったら……なんかこう、寂しくなっちゃって。彼女になれた後のほうが、優さんを遠くに感じてしまっているみたいな……」
「中村さんのことだから、水野を悲しませるようなことはしてないと思うけど。俺と一緒にいる時も、何度か同じようなことがあったんだよな」
と、裕樹くんが腕組みしながら何かを考えるかのように真顔でいった。特に気にすることはなかったそうなのだけれど、裕樹くんから見た優さんも、これまでとは違って見えていたらしい。
「深刻そうな顔で話してた時もあったから、俺も何も聞けなかったんだけど、彼女なんだからその辺は遠慮することないんじゃないか?」
「裕樹の言う通りだと、あたしも思う。もうすぐ、また撮影も始まるんでしょ? その前にちゃんと解決しておいたほうがいいよ」
本来の私なら、きっとここで頷けていたと思う。だけど、それが出来ないから困っているのであって、
「それはそうなんだけど。なら、どうして私に言ってくれないのかな」
そんなふうに捻くれた返答しかできないでいる。二人も私と同じように俯くなか、今まで黙ったままだった斉藤さんが、静かに口を開いた。
「遥香ちゃんからしたら不安かもしれないけど、優さんはああ見えて誠実な人だから。優さんのこと信じて待ってあげて欲しい」
「……私もそうしたいです。けど」
「うーん、やっぱりそうだよね。俺が遥香ちゃんの立場だったら、同じようにもやもやするもんな」
そう言って、斉藤さんは大きな溜息をつき、
「これは、言うべきか迷ってたんだけど──」
と、躊躇いながらも思いの全てを話してくれたのだった。
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