#03 ビッグチャンスですよー
斉藤さんが持ってきてくれたお水を半分くらい飲んで息を整えた。次の瞬間、少しの間蹲っていたからか、急に気持ちが悪くなり。
「す、すみません。中村さ……吐きそ……ぅ」
「マジか……」
こういう時の思考は、どういう訳か速く働くもので、トイレまでは間に合わないと判断した際の、行動とは……
(どどど、どうしよう……どうしたら。あ、あれだ! あれしかない!)
「ごめんなさ……っ……」
結局、テーブル端に寄せておいた、大きめの空お椀にリバース出来たことで、なんとか治まったのだった。
その後、再度お水を持ってきてくれた斉藤さんから、「偉かったねー」と、誉められたのだけれど、私はめちゃくちゃ恥ずかしくて、半泣き状態のまま謝るばかり。
誉められた理由の一つは、お椀ピッタリに収められたこと。もう一つは、その場を盛り上げたことなんだとか。飲みの席では、そういう表現もあるらしい。
スッキリしながらも、ガッツリ落ち込む私に、中村さんは、「そろそろ帰るぞ」と、苦笑混じりに呟いた。
「あ、はい。なんか、何から何までほんっとにすみませんでした……」
「気にすんな」
次いで、呆然としている私を残し、斉藤さんとテーブルを離れる中村さんを目にして、いろんな意味で大きな溜息が漏れ出てしまう。
あの仕事の鬼が、私の為に時間を割いて祝ってくれたことは勿論のこと。酔っぱらってしまった私の傍で寄り添ってくれたことも含め、優しすぎた。
(今までのこと、なんか信じられないなぁ。あの中村さんが……ほんとに中村さんなのかな。)
中村さんは、しばらくして斉藤さんと一緒に戻ってくると、私と同じ目線まで腰を下げ、こちらへそっと手を差し伸べた。
「立てるか?」
「あ、はい。あのお勘定は……」
「今夜は、俺達のおごりだ」
中村さんに支えられながら立ち上がる。斉藤さんも、私のバッグと上着を手に、「タクシーを呼んであるから」と言って、優しく支えてくれた。
そして、お店の玄関先で斉藤さんから上着と荷物を受け取り、改めてお礼を言って、停車していたタクシーに乗り込んだ。次いで、中村さんからタクシー券を手渡される。
「一応、家に着いたら連絡しろ」
「……了解です」
「明日、遅刻すんなよ」
そう言って、中村さんが身を引くとほぼ同時にゆっくりとドアが閉まった。
走り出すタクシー。後方を振り返ると、斉藤さんが胸元で小さく手を降ってくれている。
私も、まだ少し吐き気を伴いながら、手を振り返した。
中村さんはというと、店内へ戻ってしまったのか、私が振り返った時にはもう、その姿はなかった。
あくまで、上司として一部下に接してくれただけなのだろう。
(そうだよね。あの鬼上司があんなに優しいわけないよね)
「……っ……」
そんなふうに思った。途端、微かに淋しさを感じた。
『水野はそのままでいい。これからも、俺がフォローしていくから』
(あれ、なんだこれ。なんでこんな気持ち……)
窓の外。
流れ行く街灯を何個も見送りながら、私はさっき投げかけられた言葉を胸に、いつの日かきっと、中村さんの隣に立てるよう、決意を新たにしていた。
*
*
*
Truth
翌日。
いつものように出社し、午前中の仕事を終わらせ、そろそろランチにしようかと思った。その時、収録現場から戻って来た、同僚の上原ありさと
何となく、二人して不機嫌そうに見える。
「おはよぉ、遥香。昨夜は待っててあげられなくてごめんね」
ありさが、両手のひらを合わせて可愛く言う。と、今度は裕樹くんから小さめの紙袋を手渡された。
「これ、お前の好きなやつ。さっきの現場の近くに、偶然同じ店舗を見つけたから買ってきた」
「ありがとう! 食べたかったんだよね、これ」
きっと、例のプラリネチョコレートに違いない。そう思って、遠慮なく中身を確認し、1粒口に頬張った。
「んん~! やっぱり、ここのミルクチョコレートは最高過ぎるぅぅ。ありがとう。何よりも嬉しい」
極上のとろけ具合に、たちまち身も心も癒され始める。
と、夢見心地なのもつかの間。どう見ても、2人の間に溝ができてしまったかのような雰囲気を感じて、私はそれとなく問いかけてみた。
すると、ありさが少し呆れたように顔を歪めながら、事の経緯を話してくれた。
それは、「ああ、またかぁ」と、いう内容で、犬も喰わないだろうものだった。
「でさ、スタジオ間違えるなんて、有り得ないでしょ!? ね、有り得ないよね?」
と、ありさが怒りを抑えるようにして私に問いかけてくる。それに被せるようにして、裕樹くんも反撃に出た。
「そういうお前こそ、原作者と監督の名前を間違えて覚えてて、恥かいてただろ!」
「あー、もう。自分のこと棚に上げて、なんなのよ、その偉そうな態度は!」
ケンカするほど仲がいい。
もう、私からすればお似合い過ぎだし、仕事上での相性は、これ以上無いほど良いと断言出来る。なのに、当の本人たちはそれに気づいていないのか、犬猿の仲って感じなのだ。
裕樹くんは、イケメン俳優並にカッコいいのに、もしかしてゲイ?と、思うほど女性の噂を聞いた事がない。
ありさも、学生時代から常にモテてたのに、社内では『男嫌い』か、『独身主義』なのではないかと噂されるほど、男っ気が無い。
2人の白熱したバトルは、まだまだ終わりそうもないと判断した私は、例のごとく、さり気なく話を聞いている振りをしながら、バッグからお財布を取り出し、いつものお弁当屋さんへと向かうことにしたのだった。
エントランスを出て、ほぼ目の前にあるコンビニ脇に見知った顔を見つけ歩み寄る。
「あれ、斉藤さん?」
「遥香ちゃん!」
「昨夜は、ご迷惑かけてすみませんでした……」
「全然だよ。それより、二日酔いとか大丈夫?」
「少し頭痛はしますけど、大丈夫でした」
上下黒のスーツ姿で佇んでいた斉藤さんに答えると、コンビニから同じように黒いスーツ姿の見知らぬ男性が現れ、斉藤さんに微笑んだ。
「ごめん、待たせた」
30代前半くらいだろうか。野球選手のようにガッチリとした体格の、優しそうな人だ。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
斉藤さんは、その男性に返事をして私に微笑むと、「またお店に遊びに来てね」と、言い残して、二人は近くにある地下鉄乗り場の階段を下りてゆく。
(一緒にいた男性は誰なんだろう?)
まるで喪服のような格好が気になり、私は、お二人の姿が見えなくなるまでその場に佇んでいた。
その後、唐揚げ弁当を買ってオフィスへ戻ると、ありさと裕樹くんの姿は無く、そこはいつにも増して閑散としていた。昼過ぎからは、大概の人が外へ出ているからなのだが、今日は特に少ないような気がする。
そんな時だった。
お弁当を前に、何通か届いていた最新メールをチェックして、あの有名な大手映画会社からの依頼を受けていたことに気付き、思わず目を見開いた。
「う、嘘おぉ。すごっ! これはマジでヤバい!」
何度もその文面を読み返してはニンマリと顔を綻ばせ、私は逸る気持ちを抑えながら、全員に転送した。
「これは、中村さんの腕の見せどころだなぁ」
この時の私は、まだ知らなかった。私の周りで、不思議なドラマが展開されることを……。
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