#02 優しすぎですよー
PM 10:34
全ての残業を終わらせ、私たちはいつものBARへと向かった。
エレベーターで1階にたどりついた途端、早足で歩き出す中村さんに置いていかれないように歩調を合わせる。
「あ、あの……今夜は本当にすみません。中村さんもお忙しいのに……」
「そう思うんだったら、日頃から効率よく仕事を終えられるようにしておけ」
「こ、心がけますです……」
それから、ほとんど無言のままお店に辿り着くと、いつものように、斉藤さんが迎え入れてくれた。
このBARのオーナー、
にこっと
「待ってましたよ。随分とかかったね」
「お待たせして、すみませんでした……」
最初は暗くてよく分からなかったのだけれど、よく見ると、肩まであったサラサラ髪がバッサリと切られており、その理由を尋ねる私に斉藤さんは、「気分を変えてみたくて」と、言って少し照れたように微笑んだ。
あんなに綺麗な髪を切ってしまうなんて……と、思ったけれど、無造作なショートヘアの斉藤さんもまた、ものすっごく似合っている。
ここ『MIRA』は、本社から歩いて15分くらいの場所にある為、なんだかんだとここに来ることが多い。
斉藤さんをはじめ、みんな海外で活躍出来るようなバーテンダーばかり。だから、このお店以外のカクテルでは満足出来なくなるほど、ハマっている人が多い。
お店の雰囲気も良く、洋の中に純和風な箇所があったり、他のメンバーも割とイケメン揃いなので、「ここはホストクラブか?!」ってくらい、女性客が大半を占めている。
その後すぐに、奥の個室へと案内された。そこは、かまくらの中にいるような感じで、少し隠れ家的な造りになっている。
ついさっきまで、同僚のありさと
どうやら、ありさ達が内緒で計画してくれていたらしい。ありさからのLIMEメッセージを確認し、思わず苦笑してしまう。
「二人の分も、今夜は俺と
「なんか、すみません。気を使わせてしまって……」
そして、中村さんと私はテーブルを挟み対面して腰掛けると、生ビールと、ほぼいつものメニューを注文した。
厨房へと戻っていく斉藤さんを見送り、おしぼりで手を拭き始める私達の間に、また沈黙が流れる。
(うーん、何を話そうかな……)
何か気の利いた話でも思い出そうとしていた。その時、また斉藤さんがビールジョッキを持って戻ってきて、私たちの前に置きながら言った。
「遥香ちゃん、24歳になったんだよね?」
「あ、はい」
「ケーキも用意してあるから、後で持ってくるね」
笑顔の斉藤さんを横目に、中村さんは無言のまま私のジョッキに軽く自分のジョッキを当て、一気にビールを飲み干してゆく。
「こんな無愛想な人と飲んでいても楽しくないでしょう?」
斉藤さんは、サラッと言ってみせるが、私は余計に動揺しながら返答する。
「いえ、こんな風にお祝いして貰えるとは思ってなかったから……逆に恐縮してるんです」
「って、わけだ」
最後に中村さんが付け足す様に呟くと、おかわり。と、ばかりに空のジョッキを斉藤さんのほうへ差し出した。
「無理して優さんに合わせなくてもいいんだよ。つまらないようなら、俺が付き合うからね」
「お前はホストか……」
斉藤さんは、訝しげに眉を顰める中村さんをチラリと見た後、くすっと笑いながら空のジョッキ片手にまた奥へと戻って行った。
「本当に、お二人とも仲がいいんですね」
「腐れ縁ってやつだな」
「またまた、そんなことを言って……」
大学時代、お二人が剣道部に所属していたという話は聞いている。斉藤さんは、中村さんの2年後輩だったにも関わらず、その腕前はプロ並だったらしい。
「一翔は上を目指していたが、とある理由から、自然と剣道から遠ざかって行った。それと同時に、俺達の縁も切れたと思っていたんだが。偶然とはいえ、こんなところでまた会うことになるとはな」
「再会出来たってことは、縁があって繋がっているんですよ。きっと」
「そう、かもな」
テーブルに腕組みをするように両肘をつき、何かを思い出しながら語る中村さんの眼差しは、今までに見たことも無いほど穏やかだった。
「生、おかわり持って来ましたよー」
再び斉藤さんがやって来て、中村さんの分のジョッキをテーブルに置くと、またいそいそと厨房へ戻って行く。
「そう言えば、斉藤さんはどうしてここのオーナーに?」
「それは、いつか
今まで、斉藤さんのことを深くは考えたことが無かったのだけれど、私の知らなかった過去話を聞き、そんなことがあったのかと思うと同時に、中村さんのある言葉に頭を捻った。
(直接聞けって、どういうことだろう?)
次々と、注文した品々が運ばれて来る中。私はいつかその機会が来たら聞いてみようと思いつつ、箸を手にした。
・
・
・
しばらくして、バースデーケーキまで用意して貰うことになった私は、改めて、お祝いをされることとなった。
「さ、一気に吹き消して」
斉藤さんから促され、私はお二人に見守られながら、2と4のカラフルなロウソクの火を吹き消した。
「お誕生日おめでとう! 遥香ちゃん」
「ありがとうございます! なんか、子供の頃以来ですよ。こんなふうに、本格的なケーキでお祝いしてもらうの」
改めてお礼を言って、ぺこりと小さく頭を下げると、斉藤さんは3人分のケーキを切り分け始める。
「おい、お前も一緒に食うつもりか……」
少し呆れ顔で言う中村さんを横目に、斉藤さんはケーキを切りながら、「メンバーが増えたんで大丈夫なんですよ」と、にこにこしながら答えた。
「俺も、遥香ちゃんのお祝いをしたいんで」
「………」
斉藤さんは、黙り込む中村さんを見ながら楽しげに笑うと、ケーキをお皿に乗せてそれぞれに配っていく。私も、そんなお二人の会話を楽しみながら、目の前のフルーツケーキを見遣った。
「美味しそぉぉー」
「せっかくの誕生日だし、優さんではここまで気が回らないだろうからね」
あの中村さんを黙らせてしまう斉藤さんを凄いと思いつつ、不機嫌そうな中村さんの顔色を窺いながらも、私は、「いただきますね!」と、苦笑いを返しながら一口頬張った。
斉藤さんも同じように一声上げると、ケーキを美味しそうに頬張っていく。その横で、中村さんも少しずつケーキに手をつけ始めた。
「めちゃくちゃ美味しいです!」
「遥香ちゃんの口に合って良かった」
思わず感想を口にすると、斉藤さんも満面の笑みを浮かべた。
その笑顔を可愛いと思いつつ、対照的に仏頂面のままケーキを食べ続けている中村さんもまた、可愛いと思うのだった。
その後も、3人で他愛も無い話に花が咲き、時が経つのも忘れ、飲み続けた。
自分の誕生日くらい羽目を外してもいいだろう。という、甘い考えでいたのがいけなかった。
いい気になって中村さんと同じ日本酒を飲み続け、いつの間にか自分でも知らないうちに酔っ払ってしまっていたのだ。
「……ううっ……」
テーブルに塞ぎ込む私に、斉藤さんは優しく声をかけてくれる。
「大丈夫?なんか、顔色が悪くなってきたような」
「普段飲まねぇ日本酒なんか飲むからだ」
と、中村さんからは軽く窘められた。
「……らって、初めて美味しいって、思えたんれすもん」
私は呂律が回らなくなりながらも、また日本酒を口に含むと、斉藤さんの心配げな顔と、中村さんの呆れたような顔を交互に見つめた。
酔っているという自覚はあった。
でも、日頃の想いを抑えることが出来ずにいた。
「私、こうしたいって思ってても、なかなか出来ないことが多いんですよね。そんな私のこと……中村さんはどう思ってるん、でぇすか?」
すぐ目の前のグラスを通しているせいで、困り果てているであろう中村さんの顔が歪んで見える。
「どう、とは?」
「私のこと、どぉぉしようもない奴だと、思ってるんですよね。私ってば、やっぱ向いてないのかなぁ。この仕事……」
斉藤さんの、「お水を持ってきますね」と言う声がして、視界からその姿が無くなり。重たくなった目蓋を開けていられなくなって、そっと目を瞑った。
何やっちゃってるんだろう。と、落ち込んだ。その時、すぐ傍で仄かに優しい温もりを感じると同時に、目の前のグラスがすーっと視界から消えて行った。
「俺は、見込みの無い奴には何も言わない主義でな。お前には才能があると思っているからこそ、キツイことも言ってきたつもりだ」
その思いがけない言葉に一瞬、トクンッと心臓が跳ねた。
咄嗟に、隣にやって来てくれていた中村さんの方を向こうとした。次の瞬間、軽い眩暈とともに重心が崩れ、マズイと思った時にはもう既に、中村さんの腕の中にいた。
抱え込まれ、広い胸元に顔を埋めるような形で蹲ったままの私に、中村さんはまた囁くように言う。
「中途半端に辞めていく奴らもいるなかで、水野は、不器用ながらも諦めずに頑張り続けている」
「……っ……」
「だから、いつか報われる日が来るんじゃないか」
視界がさらに狭まると同時に、私の背中に添えられていた温かい手のひらによって、そっと摩るようにして介抱される。
「仕方ねぇな。今夜だけは、弱音でもなんでも受け留めてやる……」
ぶっきらぼうながらもそう言われ、何となく、心が満たされてゆき、これまでの苦悩がほんの少しだけど解消された気がした。
「す、すみません……」
「まったくだ」
まるで、お父さんが娘をあやしているような格好だけれど、その優しすぎる抱擁に躊躇いながら、私もゆっくりと中村さんの腕に手を添えてみる。
同時に、男の人の抱擁って、こんなにも安心感を得られるものなのか。と、初めて実感した。
「水、持って来ました、よ……」
斉藤さんの姿は見えなかったけれど、いろんな意味で身動きの取れない私は、中村さんに抱えられたままお礼だけを返す。
「あ、ありがとう……です」
「いえいえですよー。お水、ここに置いておくね」
カタッという音がした後、いつもの微笑むような息を耳にして、すぐに斉藤さんの気配は消えた。
斉藤さんがどんな顔をしていたのかを考えると恥ずかしくなったけれど、それでも、あの中村さんが私を受け止め続けてくれたことが嬉しかった。
「いつも怒られてばかりですけど、これでもですねぇ、私なりに一生懸命やって来たつもりなんですよぉぉ……」
ゆっくりだけど、これまで面と向かって言えなかった精一杯の想いを告げた。中村さんは、そんな私の言葉を黙って聞いてくれている。
「何度も諦めかけたけど……それでも、中村さんについて行けば、間違いないと思って……」
「水野はそのままでいい。これからも、俺がフォローしていくから」
(……っ……)
中村さんの、いつもとは違う少し掠れたような優しい声に戸惑いながらも、私はこくりと小さく頷いた。
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