Bitter × Milk
Choco
On my birthday night... <誕生日の夜に…>
#01 鬼上司と新米社員
もしも、運命の赤い糸を、誰もが気付かないうちに手繰り寄せているのだとしたら───
都内 Truth
「はぁぁ、終わらないかもしれない……」
溜息混じりに呟きながら、PC画面右下のデジタル時計部分が19:59から20:00に変わるのを見つめている。
私は、
そんなうちの会社『Truth』は、ATL(Above the line)を基に、テレビやラジオなどを用いたプロモーションを行い、主に舞台や映画などのディレクション、音響制作を中心とした戦略を実施している。
社員は、総勢16名。3階建ビルの外観は、カラフルなヨーロッパ風のレンガ造りで、内装は、ほぼモノトーンで統一されている。そのわりには、絵画や観葉植物がアクセントとなって、海外オフィスを意識した、開放感のある気持ちの良い空間となっている。
1、2階は事務所、3階には小規模ながらも、収録や編集を行う為の音響スタジオも設置されている。
人に何かを伝えるお手伝いが出来て、それに関わっている人達と共に成長できる素敵な仕事だ。
今はまだ雑用処理が主な仕事だけれど、いつの日かきっと、誰かに頼られる存在になってみせる。
私でなければ成し得ない事。
「あなたに任せて良かった」と、言って貰えるその日まで、諦めずに頑張り続けたい。が、現実は常に厳しく、本当にこの仕事をしていて将来は大丈夫なのかと、自問自答して、落ち込むこともしばしば。
昔から、『人生は失敗の連続である』とか、『失敗があるから成功があるのだ』などという名言のように、私も今は挑戦者なのだ。と、何度も自分に言い聞かせ続けている。
けれど、自分の夢を叶えられる人はそう多くない。いわゆる、世間で言うところの勝ち組にもなれないかもしれない。そうだとしても、限界まで頑張っていくことに意義があるのだと、そう思い、マイペースながらも邁進して来た。
新たに決心を奮い立たせる。と、同時に、静かなオフィスにお腹の音が微かに鳴り響いた。
常備していた、お気に入りのミルクチョコレートも底を尽き、ケーキの代わりにせめてコーヒーでも淹れに行こうとして席を離れた。その時、遠くから中村さんがやってくるのが見えて、思わず緊張の色を隠せないまま迎え入れる。
「お、お疲れ様です!」
「やっぱ、まだここにいたか……」
中村さんは上着を脱ぎ、ネクタイを緩めながら、窓際に設置されている黒皮長ソファーに腰掛けると、背もたれに上着をかけ、深い溜息をこぼした。
「まだ終わらないのか」
「え、あ……はい」
「何でも一人でやろうとするな。無理なら無理と、遠慮なく言えよ」
「はい! すみません」
焦ってまた残りの仕事を片付けようと、デスクに着いてはたと気付く。
(あ、コーヒー飲もうとしてたんだった……)
「あの、コーヒー淹れようと思うんですけど、中村さんも飲まれますか?」
「おぅ」
「了解です」
すぐに給湯室へ行って二人分のコーヒーを用意して戻り、長方形のガラステーブルの上にそっと置いた。
「お待たせしました」
今日は、いつものブラックに、中村さんの好きなビターチョコレートを2枚添えてみたのだけれど、先にチョコを開封して口にしたことで、かなり疲れていることが見て取れる。
この長身でスーツの似合うイケメン上司が、
生粋の江戸っ子だからか、口は悪いけれど腹に溜めず、恩情ある面倒見のいい方で、見ての通り、裏方でいるのがもったいないほど容姿端麗である。
少し長めの黒髪オールバックがとても似合っていて、サイドに流れた髪が、時々、目元を覆っていたりすると、凝視出来ないくらい大人カッコイイ。
入社して以来、ズケズケ言われっぱなしで落ち込みながらも、ずっと中村さんを目標にしてきた。
どこがどういうふうに良いのかと言うと、こう見えて、下町のお兄さん的な親しみやすさと、漢気を持ち合わせているからだ。
あれは、忘れもしない会社面談日。
いつもの電車内で、痴漢に会ってしまった私は、勇気を振り絞って、現行犯の証拠を掴もうと様子を窺っていた。その時、私の背後から痛みを堪えるようなくぐもった声がした。と、同時に、中村さんが痴漢であろう男性の左腕を捻り上げ、おとり捜査官並の手際の良さで、取り押さえていたのだった。
気風が良くて、曲がったことが大嫌い。何より、生まれる前からプログラムされていた、世間のルールに流されずに生きている人って、なかなか見つけられないのではないだろうか。
入社して間もなく、私を助けてくれた男性が自分の上司になる人だと知った時は、正直、ちゃんとついて行けるか不安だらけだった。けれど、一緒に働いていくうちに、いろいろな事に感化され、気がつけば敬愛の想いでいっぱいになっていた。
中村さんの疲れ度合いを確認する為、何気なく視線を遣る。と、すぐに訝しげな視線とかち合ってしまう。
「あの、なんかいつもよりもお疲れのようですけど……」
「また尻拭いさせられてたからな」
左腕を肘掛けに置き、その手で目元を覆うようにして塞ぎ込んでいる中村さんを見て、私はすぐに例の件だと気づいた。
それは先日、とある作品の編集に携わった時のこと。私の勘違いのせいで、クライアントに迷惑をかけてしまったのだけれど……
「……まさか、この間のあの件が尾を引いてたりするんでしょうか?」
「その、まさかだ」
いつもの呆れ顔を目にして、私は思いっきり頭を下げた。
「ほんっとうにすみません! 私のせいで、大変な思いをさせてしまって……」
「……毎度のことだ。もう慣れた」
(うう、相変わらずガツンとくるお言葉。というか、呆れられることが一番辛い。)
苦笑いしながら、とりあえずマイデスクへと戻るものの、長い沈黙に、妙な緊張感だけが増していく。
(何か話しかけたほうがいいのかな?それとも、このまま黙っていたほうがいい?)
中村さんは、手にしていたコーヒーカップをソーサーへ戻し、腕組みをして再びこちらへ疲れたような視線を向けた。
「で、あとどれぐらいで終わるんだ?」
「えっと、えー……まだまだです」
私がげんなりしながら答える。と、今度は面倒くさそうに、「早く終わらせろ、みんな待ってるから」と、言っておもむろに立ち上がった。
「え、待ってるって……」
「今日、誕生日なんだってな」
「……そう、ですけど」
中村さんの話では、つい先程、行きつけのBARのオーナーである、斉藤さんからLINEメッセージが届き、みんなで誕生日のお祝いがしたいから、私を連れてきて欲しい。と、頼まれたらしい。
中村さんは、再び溜息交じりにこちらへ歩み寄り、私の隣の椅子に腰掛けた。
「しょうがねぇから、手伝ってやる」
「え……?」
「今回だけだからな」
「は、はい!」
(一刻も早く終わらせないと……)
中村さんの息遣いを間近で感じ、申し訳なさでいっぱいになりながらも、私は猛スピードで仕事を片付け始めたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます