Bitter × Milk

Choco

On my birthday night... <誕生日の夜に…>

#01 鬼上司と新米社員


 もしも、運命の赤い糸を、誰もが気付かないうちに手繰り寄せているのだとしたら───





 都内 Truth


「はぁぁ、終わらないかもしれない……」

 溜息混じりに呟きながら、PC画面右下のデジタル時計部分が19:59から20:00に変わるのを見つめている。

 私は、水野遥香みずのはるか。Truthに入社して、もうじき半年の駆け出しであります。今日は、24回目の誕生日だというのに仕事に追われ、薄暗い社内で一人残業中。


 そんなうちの会社『Truth』は、ATL(Above the line)を基に、テレビやラジオなどを用いたプロモーションを行い、主に舞台や映画などのディレクション、音響制作を中心とした戦略を実施している。


 社員は、総勢16名。3階建ビルの外観は、カラフルなヨーロッパ風のレンガ造りで、内装は、ほぼモノトーンで統一されている。そのわりには、絵画や観葉植物がアクセントとなって、海外オフィスを意識した、開放感のある気持ちの良い空間となっている。

 1、2階は事務所、3階には小規模ながらも、収録や編集を行う為の音響スタジオも設置されている。


 人に何かを伝えるお手伝いが出来て、それに関わっている人達と共に成長できる素敵な仕事だ。

 今はまだ雑用処理が主な仕事だけれど、いつの日かきっと、誰かに頼られる存在になってみせる。

 私でなければ成し得ない事。

 「あなたに任せて良かった」と、言って貰えるその日まで、諦めずに頑張り続けたい。が、現実は常に厳しく、本当にこの仕事をしていて将来は大丈夫なのかと、自問自答して、落ち込むこともしばしば。


 昔から、『人生は失敗の連続である』とか、『失敗があるから成功があるのだ』などという名言のように、私も今は挑戦者なのだ。と、何度も自分に言い聞かせ続けている。

 けれど、自分の夢を叶えられる人はそう多くない。いわゆる、世間で言うところの勝ち組にもなれないかもしれない。そうだとしても、限界まで頑張っていくことに意義があるのだと、そう思い、マイペースながらも邁進して来た。


 新たに決心を奮い立たせる。と、同時に、静かなオフィスにお腹の音が微かに鳴り響いた。

 常備していた、お気に入りのミルクチョコレートも底を尽き、ケーキの代わりにせめてコーヒーでも淹れに行こうとして席を離れた。その時、遠くから中村さんがやってくるのが見えて、思わず緊張の色を隠せないまま迎え入れる。

「お、お疲れ様です!」

「やっぱ、まだここにいたか……」

 中村さんは上着を脱ぎ、ネクタイを緩めながら、窓際に設置されている黒皮長ソファーに腰掛けると、背もたれに上着をかけ、深い溜息をこぼした。

「まだ終わらないのか」

「え、あ……はい」

「何でも一人でやろうとするな。無理なら無理と、遠慮なく言えよ」

「はい! すみません」

 焦ってまた残りの仕事を片付けようと、デスクに着いてはたと気付く。


(あ、コーヒー飲もうとしてたんだった……)


「あの、コーヒー淹れようと思うんですけど、中村さんも飲まれますか?」

「おぅ」

「了解です」

 すぐに給湯室へ行って二人分のコーヒーを用意して戻り、長方形のガラステーブルの上にそっと置いた。

「お待たせしました」

 今日は、いつものブラックに、中村さんの好きなビターチョコレートを2枚添えてみたのだけれど、先にチョコを開封して口にしたことで、かなり疲れていることが見て取れる。


 この長身でスーツの似合うイケメン上司が、中村優斗なかむらゆうとさん。私の4つ上で、かなりの仕事人間である。ここ、『Truth』の敏腕鬼主任であり、同僚は勿論のこと、上司からも恐れられ……いや、慕われている。

 生粋の江戸っ子だからか、口は悪いけれど腹に溜めず、恩情ある面倒見のいい方で、見ての通り、裏方でいるのがもったいないほど容姿端麗である。

 

 少し長めの黒髪オールバックがとても似合っていて、サイドに流れた髪が、時々、目元を覆っていたりすると、凝視出来ないくらい大人カッコイイ。

 入社して以来、ズケズケ言われっぱなしで落ち込みながらも、ずっと中村さんを目標にしてきた。

 どこがどういうふうに良いのかと言うと、こう見えて、下町のお兄さん的な親しみやすさと、漢気を持ち合わせているからだ。


 あれは、忘れもしない会社面談日。

 いつもの電車内で、痴漢に会ってしまった私は、勇気を振り絞って、現行犯の証拠を掴もうと様子を窺っていた。その時、私の背後から痛みを堪えるようなくぐもった声がした。と、同時に、中村さんが痴漢であろう男性の左腕を捻り上げ、おとり捜査官並の手際の良さで、取り押さえていたのだった。

 気風が良くて、曲がったことが大嫌い。何より、生まれる前からプログラムされていた、世間のルールに流されずに生きている人って、なかなか見つけられないのではないだろうか。


 入社して間もなく、私を助けてくれた男性が自分の上司になる人だと知った時は、正直、ちゃんとついて行けるか不安だらけだった。けれど、一緒に働いていくうちに、いろいろな事に感化され、気がつけば敬愛の想いでいっぱいになっていた。


 中村さんの疲れ度合いを確認する為、何気なく視線を遣る。と、すぐに訝しげな視線とかち合ってしまう。

「あの、なんかいつもよりもお疲れのようですけど……」

尻拭いさせられてたからな」

 左腕を肘掛けに置き、その手で目元を覆うようにして塞ぎ込んでいる中村さんを見て、私はすぐにだと気づいた。


 それは先日、とある作品の編集に携わった時のこと。私の勘違いのせいで、クライアントに迷惑をかけてしまったのだけれど……

「……まさか、この間のが尾を引いてたりするんでしょうか?」

「その、まさかだ」

 いつもの呆れ顔を目にして、私は思いっきり頭を下げた。

「ほんっとうにすみません! 私のせいで、大変な思いをさせてしまって……」

「……毎度のことだ。もう慣れた」


(うう、相変わらずガツンとくるお言葉。というか、呆れられることが一番辛い。)


 苦笑いしながら、とりあえずマイデスクへと戻るものの、長い沈黙に、妙な緊張感だけが増していく。


(何か話しかけたほうがいいのかな?それとも、このまま黙っていたほうがいい?)


 中村さんは、手にしていたコーヒーカップをソーサーへ戻し、腕組みをして再びこちらへ疲れたような視線を向けた。

「で、あとどれぐらいで終わるんだ?」

「えっと、えー……まだまだです」

 私がげんなりしながら答える。と、今度は面倒くさそうに、「早く終わらせろ、みんな待ってるから」と、言っておもむろに立ち上がった。

「え、待ってるって……」

「今日、誕生日なんだってな」

「……そう、ですけど」

 中村さんの話では、つい先程、行きつけのBARのオーナーである、斉藤さんからLINEメッセージが届き、みんなで誕生日のお祝いがしたいから、私を連れてきて欲しい。と、頼まれたらしい。

 中村さんは、再び溜息交じりにこちらへ歩み寄り、私の隣の椅子に腰掛けた。

「しょうがねぇから、手伝ってやる」

「え……?」

「今回だけだからな」

「は、はい!」


(一刻も早く終わらせないと……)


 中村さんの息遣いを間近で感じ、申し訳なさでいっぱいになりながらも、私は猛スピードで仕事を片付け始めたのだった。


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