第13話
背狼から降りる九重花は深呼吸を繰り返す。
そして余裕の笑みを浮かべて界守教師に向けて強者の如き一言を交わした。
「んふ……中々ね、先生……」
「お前が弱すぎるんだよ……っく。ほら、怪我しない内に帰っとけ」
酔いがかなり回って来たのか、戦闘は終了した為の余裕か、多少フラつく様になった界守教師はそう九重花や長峡に向けて言う。
「なら……今日はここまでにしておいてあげるわ」
「なんでそんな上から目線なんだよお前……」
界守教師はそう言って頭を叩く。
子供の言う事など気にするなと言いたげに、フラつきながらどこか休める場所に急いだ。
そして滲む汗をジャージの袖で拭く九重花。近くに居た長峡仁衛を見かけて微笑みを浮かべる。
「ふぅ……それよりも……久しぶりね、仁」
「え、俺?」
長峡仁衛は自分を指差してそう言う。
まさかこの女性にも何かしらの接点があるのかと思った。
「記憶喪失なんですってね?なら私が分からないのも仕方が無いわ」
近くに居た永犬丸詩游が背狼を戻しながら長峡仁衛に向けて言う。
「気を付けろじんちゃん。姉御絶対恋人だって言うぞ」
「実は私、貴方と恋人関係にあるの」
永犬丸詩游の先回りした言葉は見事的中した。
「ほら言った!本当は違うぞ、あの人とお前の関係性」
どういった関係なのかを口にしようとした時、つまらなそうな表情を浮かべる九重花が口を尖らせて言う。
「もう……詩游。そう簡単にバラしたら面白くないでしょ?世の中は面白いか面白くないかしかないんだから……面白い方を取れる人間になりなさいな、この私の様に」
「確かに……九重花の姉御はある種面白い女だけど」
弱いのに強いそうな雰囲気を醸し出している部分とか。
そう永犬丸詩游は思うのだった。
「まあ、一応自己紹介と言うワケで、私は
ようやく下の名前が発覚。
同時に、姉弟子と言うワードに長峡仁衛は首を傾げる。
「姉弟子?」
「貴方の家の道場に通ってたの、覚えてるかしら?」
道場。
それを聞いて長峡仁衛は考える。
そう言えば、自分の過去の事を知らないな、と。
何故分からないのか、それを考えるよりも早く。
「……いや、記憶喪失なんで」
そう言った。
それを聞いた九重花志鶴は険しい顔をして。
「甘ったれるんじゃないわよ」
そう辛辣な言葉を浴びせる。
「え?」
この反応には長峡仁衛も予期していなかった。
不意を突かれた様な表情を浮かべる。
「なんでもかんでも記憶喪失のせいにすれば良いワケじゃないの、肝心なのは貴方が本当に思い出したい気持ちがあるかどうかなの。分かるかしら?貴方は思い出せないと言う言葉だけで思い出す事を止めている。諦めているの。そんな人間が記憶を思い出せると思ってるのかしら?」
「そ、それは……」
正論である。
最近の長峡仁衛はすぐに分からないものは分からないものとして深く考えるのは止めていた。
「ほら、思い出しなさい。何事も念じるのが重要なの、思い出せると言いなさい」
そう言えと、長峡仁衛は頷く。
「お、思い出せる……」
「声が小さいわ、もっと大きな声で」
九重花は手を組んで叫ぶ。
手を組む事で彼女の胸がより強調された。
「思い、出せる……っ!」
「もっとよもっと、貴方の気持ちを言葉にしなさい、高らかに宣言しなさい貴方の言葉その気持ちをっ!喉が張り裂ける程に叫びなさい!!」
これ以上強く。
声を荒げろと叫ぶ九重花。
それに応じる様に、長峡仁衛も空に響く様に絶叫した。
「思い出せるッ!お、俺は思い出すッ!甦れッ!記憶ッ甦れぇええええ!!!」
「よしッ!記憶蘇った!?」
「蘇りません!!」
「じゃあダメねっ!!」
「なんですかこの人ッ!!」
まるでコントの様だった。
永犬丸詩游は長峡仁衛の袖を引っ張りながら言う。
「じんちゃーん、姉御のペースに巻き込まれるなよ、この人ノリで生きてるから」
「ノリじゃないわ。私はね、常に面白い選択を取るの。例えそれが自分の命を脅かす真似になったとしてもね」
手を胸に置いて、自分論を口にする九重花志鶴。
長峡仁衛はそれは凄いと思った。
「面白い事に命掛けるんですね……」
しかし共感も感動もしなかった。
「ええ、ついでに体術訓練も飽きたわ。私の攻撃が一切当たらないもの」
其処らに転がる木の棒を掴むと、それをおもむろに遠くへと投げつけた。
余程面白く無かったのだろう。それも当然だ。一度も攻撃が当たらず弱い弱いと言われているのならば、それはつまらないと思うのも無理は無い。
「まあ姉御は弱いからなぁ……」
「強い方は私の弟に任せているもの。代わりに私は面白い方を任されてるから……ねえ仁。私、今暇なんだけど」
顎に手を置いて考える九重花志鶴は唐突に長峡仁衛の予定を聞いた。
「え、あぁ、はい」
「何か面白い事しなさい」
「無茶ぶり!?」
先輩が後輩に無茶を要求する図だった。
「ん、ふふ。その反応面白いわね。前の貴方ならしなかった事じゃないかしら?」
「前の俺?」
「えぇ……んー、暇ね、仁、今日は付き合いなさいな。姉弟子命令よ」
そう言って長峡仁衛は九重花志鶴と共にする事が決まった。
先輩命令ならば仕方が無い事だった。
そうして暇潰しに付き合わされる長峡仁衛。
行先は休憩室だった。永犬丸詩游も近くまでやって来たが、二人で話したいと永犬丸志鶴が駄々をこねたので仕方なく引き下がる事にした。
「九重花の姉御、じんちゃんの頭けっこーデリケートなんで、余計な事は言わないで下さいよ、混乱起こすかも知れないんで」
一応念を押す永犬丸詩游。
九重花志鶴は失敬な、と永犬丸詩游を嗜める。
「あら、私がそんな不用心で空気を読まない女に見えるかしら?」
「想像以上に面白い女だから心配なんですよ……っもう、じんちゃん、なんか気分が悪くなったらボクを呼べよ。隣の部屋にいるからな」
「あぁ、ありがとな。永犬丸」
そう言って永犬丸詩游が休憩室から出て行く。
残された二人、長峡仁衛はベンチに座り、九重花志鶴は自販機へ足を運び、ジュースを購入する。
長峡仁衛はそんな九重花志鶴の後姿を見ていた。
「さて……邪魔者も居なくなった事だし……」
そう言って九重花志鶴は自販機から何かを購入する。
そしてそれを長峡仁衛に向けて差し出した。
「はい、仁。これあげるわ」
それは氷菓子だった。
この休憩室に置かれている自販機には飲料水以外にも軽食やスナック菓子、氷菓子と言った自販機も置かれている。
氷菓子はスティックタイプだった。アイスを食う為に握るスティックがむき出しになっていて、アイスの部分は紙に包まれている。
長峡仁衛は九重花から渡されるアイスを潔く受け取る。アイスのスティック部分を強く握った事を九重花は理解した瞬間。
「あ、アイスクリーム……ありがとうございまっ」
「すぃ」
思い切りアイスの部分を引っ張った。
すると、スティックの部分だけが長峡仁衛の手にだけ残り、本命のアイスは九重花志鶴が握っていた。
「……舐めても良いのよ?」
片目を瞑り、舌先を出して煽りを行う九重花志鶴。
スティックだけを握り締める長峡仁衛は、ヒラヒラとアイスの紙の部分を持って悪戯っ子の様に挑発する九重花志鶴に向けて言う。
「……あの、この場合、姉さんの方が食い辛いんじゃ……」
そう言われて、九重花志鶴はアイスを見た。
このスティックタイプのアイスはそもそもスティックの部分を持ってアイスを食うのが定石。
それ以外の食う方法と言えば、紙を広げてスプーンでアイスの部分を掬って食べるか、直でアイスに歯を立てて食う他ない。
流石に面白い事をするのが好きな九重花志鶴でもそんなはしたない真似をする筈もなく。
「……んふ、冗談よ。はい、アイス」
にこやなか笑みを浮かべて九重花志鶴はアイスを長峡仁衛に渡した。
「処分に困るからってこれだけ渡されても……」
無理矢理渡されたアイスを長峡仁衛は受け取ると取り合えずアイスの穴にスティックを押し付ける、穴はかなり緩い為に、最初の一口を食べるときは大丈夫だろうが、中盤からは絶対に崩れるだろう。
なんとか零れずに食べれる事を祈るしか無かった。
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