第12話

長峡仁衛たちは校舎へと目指して歩き出す。

が、実際に校舎を目指しているワケでは無く、校舎に続く道にあるグラウンドへと向かっていた。


「えぇと……確か、この道で良いんだっけ?」


そう言いながら長峡仁衛は後ろを振り向く。

銀鏡小綿が頭を縦に振り、永犬丸詩游が指を指した。

丁度グラウンドが見えていた。


「ほらじんちゃん、あのグラウンドだよ」


長峡仁衛は茶色の地面が広がるグラウンドを見る。

真っ平に整地されたグラウンドには、小石一つ、起伏一つも無い理想的なグラウンドだ。


「………」


グラウンドへと続く階段に座る、髪の長い男が居た。

後ろからでも分かる肉付きと骨格。ゆらゆらと前屈を繰り返している。


「あの人が先生?」


長峡仁衛が言う。

体術訓練には専門の教師が同行して訓練を行う。

そして、恐らく、黒コートを羽織る黒髪長毛の男が体術訓練を務める教師なのだろう。


「うん」


頷く声と共に、黒コートの男が首を横に向けた。

すんすん、と鼻を鳴らして嗅いでいる。

なんだろうと思いながら階段を降りると、その教師の顔面が長峡仁衛たちの方に向いた。


「………おぅ、久々な匂いだ。イヌの様な匂いに、蒲公英、そして……無臭か、じゃあ、永犬丸、銀鏡に……長峡、だな」


そう言う教師の双眸は長峡仁衛たちの方を向いていない。


(ん、なんだこの人、目……作り物、か?)


真っ直ぐに見つめていて、少し気味が悪い、そして、良く見ればその目は義眼だった。


「こんにちは、えっと……」


長峡仁衛は自らの自己紹介を行おうとすると、教師は彼が完全に喋る前に言葉を遮った。


「記憶喪失なんだってな?……俺は界守だ。界守愁」


界守愁。「しゅう」と言う名前に、長峡仁衛は最初頷いて、何処か既視感があると思い、隣に立つ永犬丸詩游に顔を向けると、うん、と永犬丸詩游は頷いて見せた。


「先生、ボクと名前同じなんだよ。まあ、漢字は違うけどさ」


永犬丸詩游は自分の漢字を空に描いて見せた。

界守教師は鼻をすんすんと鳴らしてポケットの奥から鼻の炎症を抑えるプッシュ式の薬を鼻奥に噴出させて軽く鼻を揉んだ。


「まあどうせ、お前ら餓鬼が俺を名前で呼ぶなんて真似はしないだろうけどな。界守先生でも、界守でも、好きな様に呼べや」


そう言って、界守教師は更にポケットの中から白い手袋を取り出した。

柔らかい布地の手袋を両手に嵌めると、指を開いたり閉じたりして感触を確かめる。


「あ、はい……それじゃあ、界守先生。今日はよろしくお願いします」


軽く挨拶をして、長峡仁衛と界守教師はグラウンドの中心に向かう。

すんすんと鼻を鳴らしている界守教師。目の見えない彼は、どうやら人の体臭で場所を認識しているらしい。


「病み上がりだろ。大丈夫か?俺は容赦しねぇぞ?」


そう界守教師は自分よりも長峡仁衛の方に言う。

大丈夫だと、長峡仁衛が言うよりも早く。


「いえ、界守先生、容赦して下さい」


そう銀鏡小綿が口を開いた。

容赦出来ないと言ったのに容赦しろと言われても……そう界守教師は困り顔を浮かべる。


「出来ねぇよ。そんな器用な真似。不器用、とは言わないがな」


「……そう言うと思いましたので、どうぞ」


すると銀鏡小綿は、先ほどあさがお寮の台所で弄っていたモノを取り出した。

その濃い茶色の瓶は最初醤油瓶かと思ったが、ラベルを見てそれは間違いだと長峡仁衛は気づいた。


「すんすん……おいおい、酒かこりゃ……これ飲んで戦えってか?」


酒だった。

それもかなりアルコール度数の高い酒。

封を開けるとかなりの酒精が飛んで匂いを嗅ぐだけでも頭が痛くなる。


「酔拳の様に呑めば強くなる事がありますが、界守先生なら酔えば弱くなるのではないのでしょうか?下戸ですし」


そう言って銀鏡小綿は界守教師に向けて酒瓶を渡す。

それを受け取る界守教師は嫌そうな表情を浮かべていた。


「はぁ……仕方ねぇな。……んく、……くはっ。あー、この喉を焼く感覚、吐きそうだ」


一口、二口、と、頬一杯に含ませた酒を飲んで、それを銀鏡小綿に返すが、三分の一しか減ってない酒瓶を見てそれを再び界守教師の口に突っ込ませた。


「酔いが回ったら戦い時です。なのでどうぞ」


「ごばヴぁヴぁッ!んぐ、ぐげぼあぁッ!」


(強そうな先生に無理矢理酒を飲ませた……)


(相変わらず無茶苦茶だな銀鏡)


長峡仁衛以外どうでもよいと思っている。

だから教師に対してこの様な真似が出来るのだろう。


「か、はっ……あぁ、クソ、感覚が回る……変な、気分だこりゃ……」


酒を全部飲まされた界守教師は口元を抑える。

吐き気を押し殺す為に、気合を含めた喝を自分に入れた。

それでも、足腰に力が入っていない。これならば多少の威力は軽減される筈だろう。


「これならば大丈夫でしょう。何かあれば母と永犬丸さんが防御しますので」


「ボク!?いや、別に良いけどさ。その為に来たし……」


永犬丸詩游と銀鏡小綿が少し遠くに離れて待機する。

界守教師はふらつきながらも、長峡仁衛の方に体を向けて手を伸ばす。

そして挑発する様に手招きした。曲りなりにも、この状態での戦闘を始めようと言っている。


「じゃあ、行きます、先生ッ!」


教師に胸を貸す勢いで、長峡仁衛は構えた拳を教師に向けて放つが。

……結果的に言えば、界守教師は強かった。

苦手な酒を煽り、その実力は半分も出て無いだろう。

目が見えぬ為に嗅覚と触覚頼りに動いた界守教師に長峡仁衛は攻撃を仕掛ける。

しかしその全ての攻撃は界守教師に触れる直前に回避されてしまい、まるで紙を相手にするかの様な逃避行を繰り広げる。

そして長峡仁衛の呼吸が乱れ、攻撃を仕掛けた寸前を狙って彼の体に触れて態勢を崩した。

それを何度も行われて、結局長峡仁衛のスタミナ切れで地面に転がる。


「はぁ……はっ……強い、先生」


流石は体術訓練を務める教師だろうか。

銀鏡小綿は長峡仁衛の方に駆け寄ってタオルで汗を拭く。

界守教師は少し吐きそうな表情を浮かべる。

激しく動いたつもりではないが、それでも胃の中が掻き回されて吐き出してしまいそうだった。

少し休憩をする事になった長峡仁衛。

その間に界守教師は立ったまま深呼吸を行う。

なんとか酒精を飛ばそうとしているらしい。

そんな中、グラウンドに向かって階段を下りる女性の姿があった。


「……あら、先客、かしら」


髪は短めで、猫の様に鋭い目をしている。

高めの身長と細い体。胸部臀部は女性としての大きな膨らみがある。

ジャージを着込んでいる女性だが、あまりの豊満さにジッパーが上まで上がっておらず、黒い運動シャツが見えていた。


「っ!」


その姿を視認すると同時に永犬丸詩游に緊張が走る。

長峡仁衛はそんな永犬丸詩游を見て、その女性とは何かしら顔見知りなのか、と思った。


「ん?永犬丸、あの人は?」


そう何気なく聞く長峡仁衛。

永犬丸詩游はゆっくりと小さな口を開いて答える。


「……九重花の姉御」


九重花。

その名前を聞いて、長峡仁衛は首を傾げる。


「九重花?」


やはり、と言うべきだろう。

記憶喪失の彼にはそんな名前を聞いても分かる筈がなかった。


「五家の一角だよ。木を司る名家。………あの人は、ヤバイ」


永犬丸詩游は冷や汗を流して生唾を飲み込む。

あまりの緊迫感に長峡仁衛も緊張が走り出した。


「やばい……それって……」


その意味は……恐慌と言う意味か。

ならば、どれ程恐ろしい存在なのか。

九重花が長峡仁衛の傍を通り過ぎる。

すれ違う瞬間に、九重花は長峡仁衛に向けてウインクをした。

そして、長峡仁衛の代わりに、九重花が界守教師の前に立った。


「失礼、私も稽古、参加させて貰うわ」


界守教師は顔を真っ赤にさせていたが。

九重花の姿を見ると落ち着いた口調で告げる。


「っく……ふぅ、おい、九重花……お前は、止めた方が良い」


迫真な声色だ。

明らかに波乱が巻き起こるだろう。

その意思表示にも聞こえた。

しかし九重花はどうなるか分かって居ながらも、クスリと笑みを浮かべる。


「何故かしら?」


一度界守教師は、脅す様に強く握り拳を作る。


「俺は、加減が出来ねぇんだよ」


真剣な声だ。

これから何が起こるのか、長峡仁衛は固唾を呑む。


「ふふ、酔っぱらっている先生なら、私でも倒せるわ」


そう言って九重花は手に握る物干し竿の様な木の棒を軽く振り回した。


(なんだ、この自信は……どれ程の実力を……)


「はぁ……一応、式神は出しとくから」


「はい、母は救護の先生を呼んできます」


そう言って永犬丸詩游は術式で背狼を出現させる。

銀鏡小綿は踵を返して、保健室へと向かい出した。

長峡仁衛はあの二人が此処まで行動を起こすと言う事は……。

それほど、恐ろしい展開が待ち受けている、そう思った。


「っ……永犬丸。九重花先輩って、それ程に強いのか?」


たまらず近くに居る永犬丸詩游にそう伺う。

冷や汗を流す永犬丸詩游は長峡仁衛に目を向ける事無く、始まる二人の闘争を見守る。


「逆だよじんちゃん」


「え?」


何が……そう聞こうとした瞬間。

永犬丸詩游の式神である背狼が大きく動き出した。


「ふぐっ!!」


そして間の抜けた声。

軽く体が宙を浮いて、受け身も取れずに地面に落ちそうな所に背狼が彼女の体を体毛で受け止めた。


「……言わんこっちゃねぇな」


界守教師は溜息を吐くと同時に構えを解く。

吹き飛ばされていたのは……九重花だった。


「ひっくり返った……」


そう困惑する長峡仁衛。

あれ程の強者の風格を保っていた九重花が、一撃で倒されていた。

永犬丸詩游が小さく息を吐く。


「姉御は……ヤバイ程に弱いんだよ」


その言葉に長峡仁衛は困惑した。


「え、……えぇ?」


やばいってそう言う意味?

強いとかじゃなくて、弱すぎてヤバイ、と?

長峡仁衛はそう思った。

ずずず、と。

九重花は背狼のお腹を擦りながらゆっくりと立ち上がる。


「ふふ、やるわね先生、けど。本気は此処からよ」


「ずっと本気だろお前」


界守教師がそう突っ込んだ。

そして九重花は構えすらない走りで木の棒を振りかざす。


「へやぁ!」


「よいしょっと」


へっぴり腰の振り翳しは目の見えない界守教師でも、記憶喪失の長峡仁衛ですら簡単に回避できるものだ。

体を横にズラして攻撃を回避する界守教師は木の棒を握って回転力を加える。

そして力の籠ってない九重花の足に蹴りを入れると感嘆にひっくり返った。

ぐわん、と。二メートル程宙を浮く九重花、そのまま地面に向けて落ちていく。


「きゃあ」


「背狼、姉御のフォローッ!」


そう叫んで、背狼が九重花の体を体で受け止める。

無傷で済んだ九重花は、背狼の背中に乗った状態で体毛に顔を埋める。


「っ、あら、モフモフねこれ」


「あんな強そうな、余裕そうな感じだったのに……弱いの?」


驚きしかなかった。

永犬丸詩游は長峡仁衛の言葉に頷く。


「弱い。多分強化されてない小学生でも負ける」


「そんなにっ!?」


「前に女子小学生に囲まれて泣かされてた」


駄菓子屋でお菓子を買った際に小学生に目を付けられてカツアゲされていた。

泣きながら有名ブランドの財布から札束を取り出す九重花の姿は見てて痛々しく映ったと聞く。

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