第10話
二人して階段を下る。
そして玄関に続く廊下の小脇に、食堂への入り口があった。
暖簾を潜ると何処か懐かしい匂いがする。
少し古めな家具が並ぶ食堂。まるで一昔前の家の様な懐かしさがある。
「あ、おはよーございますっ!お二人さん!!」
台所から顔を出して来るのは、背の小さな少女だった。
頭には三角巾、着物の上に被せる様に割烹着を着込んでいる。
長い髪の毛は二つ結びにされていて、黒い流水の様に垂れていた。
「おはよございまーす、夜々さん」
「おはようございま……ん?え、っと」
二人は挨拶をする。
長峡仁衛は彼女が何者なのか探っていた。
怪しい、と言う意味ではない。
こんな小さい少女が、台所で食事を作っているのだ。
このあさがお寮のお手伝いさんの妹か、子供なのだろう、と思っていた矢先。
「よよっ、長峡さんは記憶がないんですよねっ、少し悲しいですけど、……長峡さんっ!私の名前は
と、満面な笑みを浮かべて、少女、祝子川夜々はそう告げた。
その言葉に長峡仁衛は驚愕した。口を開いて思わず声が漏れ出す。
「りょう、え?寮母ッ!?」
その驚きの声に祝子川夜々は首を傾げて聞く。
「何を驚かれているのですか?」
「いやぁ、驚くのも無理は無いけどさ、ボクも初めて出会った時驚いたし」
永犬丸詩游は長峡仁衛の共学に共感する。
見た目少女な祝子川夜々が、まさかこのあさがお寮を管理する寮母など初見では分かるはずも無い。
すささー、と祝子川夜々は台所から料理を持ってはテーブルの上に置いていく。
「ささ、長峡さんどうぞっ!ばっちゃが作った朝ごはんですよっ!」
「あ、ありがとうございます……」
席を勧められて長峡仁衛は素直に席に座る。
その隣には当たり前であるかの様に銀鏡小綿が座っていた。
テーブルの上に並ぶ、沢山の料理。
朝だからか、その料理の内容は魚料理や野菜類が中心だ。
(おかず、多いな……)
けれど、軽く確認してみてもおかずの種類は優に十種類を超えている。
そしてどれもが大盛りのおかずで、かなり力を入れているのが分かった。
「じんさん、どうぞ、こちら、母がお作りしただし巻き卵です。じんさんは母のだし巻き卵が大好きでしたので奮発しました」
隣に座る銀鏡小綿が皿の上に乗せた卵焼きを長峡仁衛に向けた。
恐らくタマゴ十個は使用しているだろう、その大きな卵焼きは太巻きよりも大きい。
(こっちも量が多い……)
「さあさあ、ごはんの時間ですよっ!長峡さん、今日はどれくらい頂きますか!?」
祝子川夜々はそう言って長峡仁衛にどれくらい食べるか聞く。
大きな釜の中には炊き立ての米が湯気をだしていた。
甘い香りを放つご飯に食欲がそそられる。
「え、じゃあ」
「退院祝いと聞いたのでっ今日のご飯は沢山炊いておきましたのでっ!ご遠慮なくお食べ下さいっ!!」
そう言って祝子川夜々は長峡仁衛に見える様に釜を持ちあげた。
それを見て長峡仁衛は驚愕する。保温など出来ない釜に、たくさんの米がほわほわとしていた。
(え、なんだこの、小学校の給食でしか見た事無いお釜は)
これは出来るだけ平らげなければならない。
そう長峡仁衛は思うとならば、と注文をする。
「えっと……じゃあ、大盛で……」
その注文に祝子川夜々は大きく首を縦に振って頷いた。
「はいっ!よいしょっと……どうぞ長峡さんっ!大盛りですよ!!」
「いや大盛りってこれ山ですよこれ」
手で覆える程の茶碗にご飯が山を築いていた。
軽く一キロを超えているであろう。ごはんだけ食べるとしてもかなりの至難な量だ。
「永犬丸さんはどうされますか!?」
「ボク?今日はごはん要らないかな」
そんな事を言う永犬丸詩游。
内心では少し太ったから朝食のご飯は少し抜こうと思っていた。
「よよ!?そうですか?」
「母は普通より少なめです」
そう銀鏡小綿が言うと、祝子川夜々は銀鏡小綿にご飯をよそって差し出してくれる。
「喰い切れる?じんちゃん」
「あ、うん……気合で食うよ。折角、俺の為に炊いてくれたらしいし」
山盛りのごはんに食い切れるか心配そうな表情を浮かべる。
「よよ?無理して食べなくても大丈夫ですよ?ごはんはおにぎりにして食べれば良いのでっ!」
余ったごはんはお昼のおにぎりに替わる。
それでもおにぎり五十個分はありそうな量ではあるが。
「え、そうなんですか。……まあ、取り合えず頂きます」
「いただきまーす」
「……いただきます」
三人は両手を合わせていただきます、と言った。
そうして始まる一日の補給行為。
「どうぞじんさん、あーん、です」
銀鏡小綿は早速卵焼きを端で摘まんで長峡仁衛に向けた。
「あ、いや……自分で食べれるから……熱ッ」
それを遠慮して他の料理を食べる長峡仁衛。
出来立てだから、口に運んだおかずの熱が舌先に痺れを与えた。
「無理して食べると口の中が火傷してしまいますので、遠慮なさらず……ふー、ふーっ……さあ、冷ました方をどうぞ、あーん……」
彼女の吐息によって冷めたおかず。
そこまでされて食わずにはいられない。
長峡仁衛は口を開いて、そのあーん、と受け入れる。
「あ、あーん……」
そして、長峡仁衛に運ばれるおかず。
むしゃむしゃと卵焼きを食す姿を、銀鏡小綿は涙を浮かべて見ていた。
「っ……くっ」
長峡仁衛に見られぬ様に。
口元を覆って明後日の方向を向く。
「ぬぐ……んぐ、……?どうして泣いてるんだ?」
長峡仁衛は狼狽えた。
自分が泣かせてしまったのではないかと心配そうな表情を浮かべる。
しかし、永犬丸詩游は味噌汁を飲みながら彼女が泣いている理由を告げる。
「おー、記憶を失う前のじんちゃん、絶対あーんしても食わなかったからなぁ」
記憶を失う前の長峡仁衛ならば絶対にあーんはさせなかった。
だから今、長峡仁衛に食べさせる事が出来て感動しているのだ。
「これが……親孝行なのですね………感動です」
「感受性低いなぁ、銀鏡さぁ」
そう言いながら永犬丸詩游はおしんこを口に加える。
しゃきしゃきとした野菜のほのかな甘みと酸味が口の中をさっぱりとさせた。
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