第9話

着替え終わった長峡仁衛は隣の部屋に住む永犬丸詩游の元へと向かう。

扉の前に立ち、親友の顔を思い浮かばせる。

とても男性には見えない可愛らしい相貌をした永犬丸詩游の姿が思い浮かんだ。


(取り合えず、永犬丸に挨拶しないとなー……)


そう思いながらノックをする。

トントン、と乾いた木材の音が軽く響いた。

少し力が弱かっただろうか、今度は拳骨で少し強めに叩く。


「永犬丸?居るか?……反応ないな」


明らかに部屋の中に響く様な音だが。

それでも永犬丸詩游が反応する事はない。

暫く待って、長峡仁衛はドアノブに手を掛けた。

もしかすれば既に部屋の中はもぬけの殻なのかも知れない。

であればドアノブを捻れば鍵で閉まっている可能性がある。

鍵が掛かっていれば、外出中か、何か人に入られたくない事でもあるのだろう。

そうなれば、諦めて下に降りて朝食を取ろうと思っていたが……。


「扉は……あれ、開いてる」


ドアノブは簡単に回った。

長峡仁衛はぎぃ、と音を鳴らしながら開く扉を見て、中に入るか迷った。


(入るか?いくら友達でも、そんな不躾な真似は出来ないよな)


と、そう考えた長峡仁衛は部屋の中を見る事無く扉を閉める。

そして長峡仁衛は踵を返して廊下を歩き階段を目指した最中。


「きゃぁッ!」


……か弱い女性の声が響いた。

それは、永犬丸詩游の部屋の中から聞こえて来て、その声は恐らく、永犬丸詩游が発したものなのだろう。

友人の悲鳴が部屋の中から聞こえて来て、長峡仁衛は慌てて扉の前に立つとドアノブを回した。


(ッ悲鳴っ!?永犬丸に何かあったのかッ!!)


そして部屋の中に入る長峡神胤。

短い廊下の先には恐らく永犬丸詩游の自室へと繋がっている。

友の心配をする長峡仁衛は第二の扉を開けて永犬丸詩游を救うべく突入した。


「大丈夫か、永犬丸ッ!!」


そう叫びながら部屋に入る。

男の部屋とは思えないピンク色の部屋が目の前に広がる。

同時に、何処か柑橘系の様な、甘い匂いが鼻孔の奥を突いた。

部屋の角には化粧台があり、その隣にはベッドがある。

ベッドの傍にはうさぎを模した可愛らしいぬいぐるみが何体も置かれており、子物を置く棚には化粧セットやフィギュアが置かれていた。

そして部屋の中心に永犬丸詩游は座っている。

本日の衣装は白と桃を強調とするゴスロリ服。頭には相変わらずの犬耳を模したカチューシャが装備されていた。

テーブルの上にはデスクトップパソコンやゲーム機器が並べられていた。

パソコンに繋がるカメラを通して、永犬丸詩游の顔と部屋に突入した長峡仁衛の姿を映している。


「あ~、もうこのチーム強過ぎでしょ~。あー、パシュタさんスパチャありがとでーす」


パソコンのディスプレイを見れば、其処にはFPSゲームの画面が起動されていて、動画配信画面にコメントが流れている。

何時もよりも甘ったるい声を出して、永犬丸詩游は媚びに媚びていた。

そして、永犬丸詩游は動画の画面に流れるコメントを呼んで首を傾げる。


「え?なんです?後ろ?え?」


そして、何気なく永犬丸詩游は後ろを振り向いた。

身バレしない様にするためか、彼の口元には黒い布地のマスクが装着されていて、右側には犬の肉球スタンプが付いている。

蒼褪める永犬丸詩游はゆっくりと耳に付けたイヤホンを外して、其処で長峡仁衛の言葉を聞いた。


「……永犬丸、お前何してんだ?」


「うきゃああああ!?」


友だちが其処に居る。

それだけで永犬丸詩游は絶叫した。

あたふたとする永犬丸詩游を見て長峡仁衛は哀れな目を向ける。


「いや叫びたいのはこっちなんだけど」


永犬丸詩游はパニクりながらも、今は配信中だと思い出すと画面に向けて眉を上げて笑みを作る。


「あわ、わわっ、えと、ええと、あ、今日の配信は終了でーすお疲れ様でした~!」


そう言って半ば無理矢理配信を終了して、近くにあるタコ足配線のテーブルタップからパソコン用のコンセントを引き抜いた。

プツンと消えるパソコンの画面、黒い画面に映るのは二人の男だけだった。


「………」


ふーっ、と息を荒げる永犬丸詩游。

長峡仁衛はそんな彼にどんな声を投げ掛けるのか。


「………えっと。どういう反応すれば良い?」


他人任せな言葉だった。

永犬丸詩游はマスクを外して長峡仁衛に顔を向ける。

口は紡がれていて、頬は赤く紅潮している。余程見られたくなかったのか、恥ずかし過ぎて涙目になっていた。


「……いや、別に、じんちゃんが悪いだけじゃないし、そう言えば、朝活の話も忘れてるしね、それは仕方が無い事だけどさ……」


仕方が無い、と言っておきながら、永犬丸詩游は長峡仁衛に責め立てる気満々だった。


「でもさ、普通ノックするじゃん!!」


ぎゃお、とイヌが叫ぶ様に、あるいはにゃあ、とネコが威嚇する様に。

永犬丸詩游の言葉は鋭く長峡仁衛に向けて放たれるが。


「ノックはしたよ……でも、お前イヤホンしてるから……」


そう言って長峡仁衛はイヤホンを模す様に耳を指す。

ノックの音を聞かない様にしていた永犬丸詩游に非があった。


「~~~ッ、で、でも勝手に部屋に入るなんてっ」


「お前の悲鳴が聞こえたんだ、それでつい入った……悪かったよ」


その言葉だけで、長峡仁衛が反省しているのは分かった。

何よりも友の為にやった事。美しい友情が其処にある。

だから永犬丸詩游は長峡仁衛に責め立てる様な真似は出来ない。


「――――、むぅ、いや、いいよ、じんちゃんは悪くないけどさ……はぁ……」


行き場のない感情を無理矢理自分の内に押し込める。

心配そうに長峡仁衛は永犬丸詩游に伺う。


「大丈夫か?」


「うん、あ、一応今日の配信非公開にしないと……じんちやんが出てる部分切り抜かれるかもしれないし……」


と、長峡仁衛が分からない様な言葉が並ぶ。

長峡仁衛は分からないから、永犬丸詩游に聞いてみる事にした。


「なあ、永犬丸。さっきの奴ってなんだ?」


コンセントを再び繋ぎ直す永犬丸詩游。

その作業をしながら永犬丸詩游は答える。


「ん?あぁ、配信業だよ。女装ようつーばーって奴?」


ようつーばー。

動画配信サイト「ようつべ」で、永犬丸詩游は実況者として活動していた。


「……なんでそんな真似を?」


何故そんな事をするのか理解出来ない。

だから長峡仁衛は聞く。その質問に対して永犬丸詩游はうーんと考える。


「……コメントでボクの事可愛いって言ってくれるから、かなぁ?」


女装ようつーばーである事はファンの人間は理解している。

視聴者が約五千人を超える永犬丸詩游だが、それはやはり、彼が男性でありながら女性の様に可愛らしいからこそ見に来るのだろう。

永犬丸詩游はその界隈では有名人であった。


「そうか……まあ、深く立ち入る気は無いけどさ……」


「うん……あ、一応これ、内緒な。記憶を失う前のじんちゃんにも言ってたけどさ」


そう言って永犬丸詩游は人差し指を柔らかな唇に沿えて内緒、とポーズをする。


「あぁ、分かった」


二つ返事で了承する。

これで再び、二人だけの秘密が作られた。


「で、じんちゃん、何しに来たの?朝ごはん食べようって話?」


「あ、いや……」


そう言って立ち上がる永犬丸詩游。

長峡仁衛はそう言えば、と考える素振りをするが。


「……―――なんだっけ?」


何をしようとしていたのか忘れてしまった。

二人して疑問符を浮かべながら、長峡仁衛と永犬丸詩游、二人は仲良く食堂へと向かうのだった。

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