第2話
暫く二人の齟齬を無くす為の会話が行われる。
話し終えた時、ようやく長峡仁衛の誤解が解けた。
溜息が混じる、俯瞰した視線に居る永犬丸詩游は言葉を捲し立てたからか息切れで顔を赤くしていた。
「なんでそんなウソ吐くんだよ」
「いやぁ、面白いから?」
子供の様に無邪気に笑いながら手で風を扇ぐ。その仕草は女性にしか見えない。
「最低だよ……まったく。こっちは本気にしたんだからな」
言葉が自然と砕けている。
多分、この喋り方が違和感がないからだろう。
その言葉に対して永犬丸詩游も普通に会話を行っていた。
どうやらその喋り方が普通であるらしい。
「うん、悪かったって。あ、何かジュースいる?買ってきてあげる」
突拍子も無い台詞に長峡仁衛は会話が無理矢理終わらされたと思った。
唐突な言動からして永犬丸詩游は長峡仁衛は会話を避けていると判断する。
「それで誤魔化そうとしてるのか?」
そう直球で言うと困り眉を浮かべて苦々しく笑みを浮かべる。
「あ、バレた?えへへ。いいでしょ?」
ジュースで許して欲しいとの願い。
長峡仁衛は再び溜息を吐くと、これが愛嬌なんだろうなと思った。
怒りなど無く、友達の笑みを見て長峡仁衛は頷く。
「……じゃあ買ってきてくれよ」
そう言うと永犬丸詩游は親指と人差し指をひっつけて〇を作る。
「あいあい、それじゃ、何時ものねー」
足早く病室から出て行く永犬丸詩游。
一人残された長峡仁衛はふと考える。
「……いつものってなんだ?」
記憶が失っており、趣味趣向も忘却の彼方。
自分が欲しいものなど自分ですら分からないと言うのに。
どんなジュースが来るのだろうか。
コーラやサイダーと言った炭酸系か。
野菜ジュースやトマトジュースと言った野菜系か。
それともコーンポタージュやゼリー類と言った固形物が入ったタイプかもしれない。
まぁ、どちらにせよ、度が過ぎたジュースが来る事はまず無いだろう。
そう思っていた矢先だった。
廊下を走る男、そして勢いよく扉が開かれる。
もう帰って来たのかと思ったが、違う。
其処に居るのは女性だった。
白銀に染まる髪を纏めてた少女だ。
瞳は翡翠の色、西洋風を思わせる顔立ち。
セーターの下には簡素なシャツを着ているが、胸元が丸く帯びている豊満な胸。
長いスカートの下はサンダルで、軽く買い物に出かける様な格好だった。
額に汗を滲ませながら、少女はゆっくりと長峡仁衛の所に向かうと。
「えと、誰、ですか?」
「じんさん。記憶喪失なのですか?」
親しみを込めた名前で呼ばれて、長峡仁衛は首を縦に振る。
「あ、はい……えっと、貴方は」
「は……わた、し、……私は、
幼馴染。
同じ部屋に住んでいる。
この情報から長峡仁衛は察する。
(もしかして、恋人?)
と言うか恋人じゃなければなんであるのか。
長峡仁衛は自身と彼女の関係性に対して驚愕しない様に想定する。
が。
「そして貴方の母です」
斜め上の回答が来て長峡仁衛は驚愕せざるを得ない。
「母っ!?お母さん、え、若ッ」
その美貌は少女そのもの。
子供など産んだことが無いと思える程だ。
「………じんさん」
そんな驚きに銀鏡小綿は暗い口調で彼の名前を呼ぶ。
「え、はい」
「もう一度、言ってくださいますか?」
そして、ある言葉を要求する。
それがなんなのか、長峡仁衛は一瞬分からなかった。
「な、何を?」
「私を……母と、お母さん、と」
彼女が求める言葉はソレだった。
自分自身を、母親と呼んで欲しかったらしい。
その言葉に長峡仁衛は自然と察してしまう。
(複雑な家庭なのか?……じゃ、じゃあ)
勝手にそう納得して、ならば答えてあげようと。
長峡仁衛は彼女を母親と呼ぶ事にした。
「……母さん」
その言葉に銀鏡小綿は目を開き、涙を流す。
俯いて口を抑えながら、一筋の涙が頬を伝い出した。
「っ……よ、ようやく……じんさんが私を……母、と、呼んでくださいました……」
おもむろに、長峡仁衛の体に抱き着く銀鏡小綿。
胸が顔面に当たって窒息死しそうになりながらも長峡仁衛はその抱擁を受け止める事にした。
「じんさん、これからは母が共に居ます。絶対危険な真似などさせませんから」
そう言って我が息子に頬擦りをする銀鏡小綿。
聞いた長峡仁衛は胸部に顔面を圧迫されながら思う。
(うわぁ、過保護……)
そんな時だった。
再び病室の扉が開かれると、今度は永犬丸詩游が部屋に入って来た。
「買って来たぞー、じんちゃーん。ほら、ナタデココ入りおしるこ……って、銀鏡」
永犬丸詩游は彼女の苗字を口にした。
病室の中で最愛の人を抱き締める銀鏡小綿は抱擁を緩めて後ろを振り向く。
「こんにちは、永犬丸さん。そして朗報です。じんさんが私を母と認識して下さいました」
嬉しそうに永犬丸詩游を見ながら言う。
未だに抱き着かれている長峡仁衛は苦しそうな表情を浮かべていた。
「あー……じんちゃん。一つ言っておくけどさぁ、銀鏡は別にじんちゃんの肉親じゃないし、法律上母親としての繋がりも無い普通の幼馴染だよ?」
「え?」
そして再び驚愕の事実。
銀鏡小綿は血の繋がってない他人であると言ったのだ。
「普通に、銀鏡はじんちゃんの事を息子だと思ってるだけの幼馴染だから」
それは普通じゃないのでは?
長峡仁衛はそう訝しんだ。
彼の言葉に、銀鏡小綿は眉を顰めた。
「永犬丸さん、何故その様な事を言うのですか。母はじんさんの母なのですよ?」
「あー……うん、まあ否定したら怖いからそれ以上は言わないけどさ」
口を閉ざして、永犬丸詩游は近くに缶ジュースを置いた。
多分誰も口にしないと思うソレを見ながら、彼女の妄言は続く。
「今日からお世話は母がします。ごはんもお昼寝もはみがきも、お風呂だって一緒です。トイレも私が付き添います。安心してください、私は母ですから」
全然安心出来ない言葉が並んでいる。
誠心誠意の言葉故に、長峡仁衛はそれが忌避すべき事なのか判断に困り、外部の立ち位置に立つ永犬丸詩游に伺う。
「永犬丸、これ、ヤバイ?」
「うん……かなりヤバイよ」
永犬丸詩游はそう長峡仁衛に同調して、自分の分のオレンジジュースを一口飲むのだった。
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