第3話
こんこん、と扉を叩く音が聞こえて来た。
長峡仁衛は思わず、そのノックに対してどうぞ、と言う言葉を出してしまう。
病室の扉は引き戸であり、がらりと開かれると共に、女性が姿を現した。
「長峡くん……」
消え入りそうな声と共に現れたのは、病的なまでに肌の白い学生服を着込んだ女生徒だ。
肌とは対照的な黒色の髪を円環にして纏めていて紫水晶の様な妖しい瞳が長峡仁衛を捉えて視界から外さぬ様に見つめている。
「………」
その視線にいち早く気が付いた銀鏡小綿が、長峡仁衛の盾、あるいは壁の様に立ち塞がる。
「こんにちは、
敵を眺める様な視線を、贄波瑠璃と呼ばれた少女に向ける。
贄波瑠璃は彼女の敵対心を宿す瞳に慣れてないのか、あぅ、と恐怖を感じる声を漏らす。
「うわぁ……贄波だぁ……」
永犬丸詩游は難色を表情で示して、更に一歩退がると言う行動に表した。
唯一無二である親友の表情を伺い、長峡仁衛も思わず逃走の二文字を過らせる。
「贄波さん、何か御用ですか?」
銀鏡小綿は表情を強張らせた。いや、その表情こそが本来の銀鏡小綿の素顔なのだろう。
贄波瑠璃は彼女の仇敵を睨み付ける表情から歓迎されていない事を悟り涙目を浮かべる。
そして萌え袖で目元を抑えて涙を拭う仕草を見せた。
「急にごめんなさい、迷惑でしたよね……でも、長峡くん、目が覚めたから……心配、してたから………」
少女の泣く表情を見て、長峡仁衛は我に返る。
彼女はただ長峡仁衛を心配して此処に来たのだ、それを冷めた目で見るのは違うだろう。
重傷者が危篤状態から回復し、目を覚ましたとして、即座に駆け寄る事の出来る人間はそう多くは無い。
何よりも自分の為に涙を流す女性を邪険に扱う方がどうかしている。
そう思い、警戒する二人に対して長峡仁衛は嫌悪感溢れる表情を抑える様窘めようとして……。
「ごめんなさい……急に泣いて……でも……泣いてる私も可愛いですよね?」
一瞬だけでも長峡仁衛は我が耳を疑った。
まず、我が親友に声を掛けようとして隣に居る永犬丸詩游に顔を向けた時と同時に彼女の声が響き出した。
「はぁ……自撮りも上手く撮れない……泣いてる私はこんなにも可愛いのに……あ、瞼が半開き、な私も可愛い………」
ぱしゃぱしゃと何時の間にかスマートフォンを取り出して写真を撮る贄波瑠璃。
人差し指と中指を立てて手の甲をカメラに向けて指の股を顎の付近に添えてカメラで何枚も撮っている。
「……なあ、永犬丸、あの人は……」
「あいつは自分が可愛いのを知っている系ネガティブ女子だよ」
そんな系統の女子が居るのかと長峡仁衛は贄波瑠璃に注視した。
確かに彼女は同世代にしては艶のある女性とも言える。
現代の流行に被れず清楚な雰囲気を醸す彼女は、何も言わず笑みだけを綻ばせておけば数多の男性を虜にする魅力を秘めているだろう。
その言動が贄波瑠璃と言う少女の価値を下げている様に思えた。
「………あ、すいません、長峡くん、もしかしてですけど……可愛いって思いました?」
「思ってないって言え、じんちゃん!!」
「正直に言って下さい、じんさん!」
二人が批判する様に叫んだ、その声に驚いて目を潤ませる贄波瑠璃。
長峡仁衛は考える。二人の言い分は理解出来る。
恐らくは可愛いと言えば調子に乗るタイプだろう。
かと言って蔑む様な事を言えば物陰に咲く茸の様にジメジメとしそうだ。
こう言う時、長峡仁衛は自らの心の内に問う。
肯定か、否定か。
長峡仁衛はこの後の面倒臭さを鑑みて答えた。
「あぁ……可愛いよ」
その言葉に贄波瑠璃は満開の笑みを浮かべるのだった。
「どこら辺が可愛いですか?潤んだ瞳ですか?それとも瑞々しい唇ですか?髪に隠れて時折垣間見える耳、それとも喋り方とかですか?それとも性的な意味合いでの可愛いと捉えても?いえ、そもそも長峡くんから可愛いって言ってくれることなんて早々ありません、これはもしや婚約の言葉として受け取っても良いですか?良いですね?だって私、可愛いですから」
「はは、面倒くさ」
長峡仁衛は空笑いしてそう言った。
どちらを選んでも面倒臭いことに変わり無かったらしい。
「あ……そ、そうですよね、面倒臭い、ですよね、私みたいな女……そう、こんな、ただ可愛いだけの私は、そう思われても仕方がありません……なんて悲嘆的……ただ可愛いだけ、それが罪………」
両手で自らの体を抱き締めて悲劇のヒロインを演じる。
「じんちゃんトイレいかない?」
「うん、行こうか」
鏡を渡せば鏡の自分に丸一日掛けて喋り続けてそうな贄波瑠璃を一人置いて、三人は病室から逃げ出した。
「母はじんさんの荷物を纏めておきます……面倒ですが、贄波さんの相手も」
うんざりとした様子で病室に残る銀鏡小綿。
長峡仁衛と永犬丸詩游は白い彼女にまた後で、と別れを告げると外へと続く道へと歩き出した。
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