#2 チョコレートはお好き?

 数学の授業が終わった直後、佐倉要が駆け寄って来た。


「有馬! 助けてっ! 超恐怖! 何が何だか、意味不明!」


 椅子に座ったまま、有馬真一は不思議そうな目で要の顔を見つめる。この男が言っている事自体がすでに意味不明だ。


「……何を言ってるのか分からない」

「最後の問題がさ、難しすぎ! 先生の説明さえ何を言っているのか全然分からなかった!」

「…………先生の説明で分からないのに、どうしておれの説明だと分かると思うんだ?」

「有馬の説明は分かりやすいんだよ! 例えとか、身近なものに置き換えてくれたりするだろ? きっとさ、千鶴ちゃんに説明するのに慣れてるからじゃないかな?」

「なるほど……」

「? 何、これ? ……チョコレート? 奪う? 千鶴……?」


 要は真一のノートの端に走り書きに気付き、読み上げながら首を傾げている。


「ああ、……ちょっと、いろいろ考えていたんだ」

「え?! チョコレートを奪うって……。千鶴ちゃんからってこと? ヤメてあげなよ。可哀そうだよ」

「チョコレートを奪うのは、千鶴の方だ」

「?」


 キョトンとしている要に、真一はどこか楽しげに微笑んでみせた。


 日曜日。

 真一は音無千鶴と駅前を一緒に歩いていた。デートと言うと、千鶴が意識してしまって落ち着かなくなるので、表向きは買い物に付き合ってもらっている。

 やっと千鶴と両想いになり、これから甘い日常がはじまるのだと期待していたのだが、どうやら千鶴と感覚に温度差がある事に気付いてしまった。

 真一は千鶴の事を唯一無二の大切な恋人だと認識している。

 だが、千鶴は子供の頃のような仲良しに戻れたと思って安心してしまっている。だから、『デート』という言葉で、一気に挙動不審になってしまうのだ。

 もちろん、真一を男として意識してどぎまぎしている千鶴を見るのも楽しいが、頬を染める可愛らしい姿を世間の男達に見せたくないとも思っている。

 もしかしたら、千鶴は無意識に彼氏彼女という関係になるのを怖がっているのかもしれない。そう思うから、真一も千鶴に合わせて、男友達以上恋人未満の関係を続けている。 

 しかし、それもずっと続ける気などさらさらない。

 

「これって、何だろうね? アイス? それともドリンクなのかな?」


 真一は高級チョコレート店の前で足を止め、貼ってある商品のポスターを指さす。つられて千鶴もポスターに視線を向けた。


「本当だ。何かな? でも、美味しそうだね」


 聞き慣れないネーミングに千鶴も首を傾げている。


「入ってみる?」

「うん!」


 千鶴は無邪気に答えた。真一が笑みを深くしたことに千鶴は気付いていない。

 なぞだった商品はチョコレートドリンクだった。二人はそれぞれトッピングがちがうチョコレートドリンクを注文する。千鶴は滅多に見る事がない高級チョコレートのショウケースを、物珍しそうに覗きこむ。


「凄い! 一粒で500円以上するの?!」

「これと、これと……」

「え、真一? 買うの?!」


 驚いている千鶴の隣で、唐突に真一はチョコレートを注文する。全部で5個を購入した。

 

「ねえ、そのチョコレートをどうするの?」


 チョコレートドリンクを飲みながら、千鶴の目は真一が買ったチョコが入った紙袋に向けられている。


「どうって? 普通に食べるんだけど?」

「一人で全部食べるの?」


 千鶴の質問には答えず、真一はおもむろに握りしめた右手を千鶴の顔の前に突き出した。


「? 何……?」

「ジャンケンをしよう」

「??」


 首を傾げながらも、千鶴はジャンケンに応じる。


「最初はグー、ジャンケン……」


 真一はチョキを出し、グーを出した千鶴が勝つ。

 やったー! と、喜ぶ千鶴の姿に真一は目を細める。


「キノ、いつのまにかジャンケンが強くなってるんじゃない?」


 そう言うと、千鶴は勝った拳を見つめながら『そう? へへへ』と嬉しそうに笑う。


「そう言えばこの前、ミステリーの本が読みたいって、三嶋さんに言ってなかった?」

「ん? ああ、言った! 良く覚えてたね?」


 突然話が変わって、一瞬きょとんとした表情を見せた千鶴だったが、思い出した途端、目を真ん丸にして真一を見る。


「帰りに、おれの本棚も見てみる? 気に入ったのがあれば貸すよ?」

「え? 本当に! いいの?」

「うん」

「じゃ、行く! 真一の家に行くのはひっさしぶりだね!」

「そうだね……」


 感慨深く真一は応えた。

 確かに、千鶴が真一の家に来るのは小学生以来だ。それも、千鶴を彼女として家に呼べるなんて、数年前の自分に教えてやりたいほどだ。


「そうだ。キノ」

「ん? 何?」

「折角、おれの家に来るんだから、ゲームをしない?」

「ゲーム?」

「そう。ジャンケンをして、キノが一回勝つごとに今日買ったチョコを1つあげる。ただし、5回戦まで。どう?」


 真一は一つの提案をした。


「え?! 本当に? その条件でやるの?」

「うん」

「やる! でも、5回ぜ~んぶ、私が勝っちゃうかもよ? 本当に、いいのね?」

「二言はないよ」

「よし! 受けて立つ!」


 案の定、千鶴は提案に乗って来た。真一の家に着くなり、本選びはそっちのけで、高級チョコを掛けたジャンケンが始まった。


「あれ? キノ、どうしちゃったの? これで最後だよ?」


 高級チョコの箱を挟み、真一の前に置かれた皿にはすでに4個のチョコレートが品の良い光沢を放って並んでいた。

 だが、千鶴の皿の上にはまだ何も載っていなかった。千鶴の真剣な眼差しが箱の中に残る一個に注がれる。

 徐に、千鶴が口を開いた。


「最初は、グー! ジャンケン!」


 勢いよく突き出された千鶴の拳に対し、真一は開いた掌を千鶴に向けてひらひらと振る。


「くっ……」


 悔しそうな声が千鶴の喉の奥から漏れる。そんな千鶴の目の前で、真一は満面の笑みを浮かべた。


「あれ? おかしいね。キノはジャンケンに強くなってると思ってたんだけど、勘違いだったみたいだね?」


 そう言いながら、真一は箱へ手を伸ばす。


「あ……」


 小さく声を上げたのは真一だった。最後のチョコレートを真一が摘まむ寸前で、千鶴が奪い取ったのだ。


「……真一、最初から自分が全部勝つって、自信があったんでしょ?!」

 

 千鶴は最後の1個を真一の目の前に突き出し、挑むように尋ねる。真一は不敵に微笑んだ。


「まあね。でも、勝つために種も仕掛けもしていないよ。千鶴がただ弱かっただけ」

「弱くて、悪かったわね!」


 そう叫ぶと、千鶴はやけを起こしたように摘まんでいたチョコを自分の口の中へと放り込んだ。

 

「! わ~! 何これ?! 超~美味しい!」


 両頬を押させた千鶴が目をキラキラさせながら真一を見る。真一の口角が上がっていく。


「……キノ。人のものを取ったりしたら駄目じゃないか。お仕置きが必要だね」


 次の瞬間、千鶴は目を大きく見開いたまま、硬直する。真一の右手が千鶴の後頭部に添えられ、そのまま唇で千鶴のそれを塞いだのだ。


「!」


 我に返った千鶴が、ドンっと真一の胸を両手で押して後ろへ逃れた。顔を真っ赤にして両手で口を押えている。


「! 〇×▽◇……!」


 動揺を隠せない千鶴は言葉にならない事を譫言のように呟いている。そんな姿の千鶴に見せつけるように、真一はゆっくりと舌を出した。その上には千鶴の口に入ったはずのチョコレートが載っていた。


「本当に、すっごく、甘いね」


 そう言って、真一は満足そうに微笑む。

 早く彼女として自覚してくれないかな、と期待しながら。

 余談だが、真一の皿に載っていた4個のチョコレートは箱に丁寧に戻され、千鶴と共に彼女の家に送り届けられたのだった。

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