第32話 不幸から不幸へと道案内


 たしかにミタが話す内容は全て、リヒトに届かなかった。

 適当に説得しようと思ってきたことを後悔したくらいだ。

 まだ、色々と話をする箇所はあったのかもしれない。

 だけど、ミタが用意できる手札は精々これくらいだった。


 只人と暮らすより、エルフと暮らす方がいい。

 只人は先に死ぬし、エルフは共に老いていけるから。

 そんなの考えれば分かることだ。

 分かることだけど……。


 ミタは握った手を引いて、エリルの肩を抱いた。


「わ。おた、くさん? え、あのっ。ミタ……カバッ、あれ? え」


 困惑してミタの名前を忘れているエリル。しかし、その彼女からもミタの俯く顔はよく見えない。

 どのような気持ちで抱き寄せたのか。何を考えているのか。目の前のリヒトはもっとわかる訳がない。

 しかし、先ほどまで完全に打ち負けていた男だ。何かをしでかすとしても、恐れる必要はないように思える。


 そんな思惑渦巻く二人の視線を浴びて、



「――――あー…感動したよ」



 ミタは思ったことを素直に口にした。


「やっぱり、寿命とかはそうだよな。うん、分かるよ」


 ミタはエリルの肩に置いていた手で、ポンポンと音が掠れた拍手紛いな音を送った。

 疲れ切って、負けを認めながら笑うような顔で。当然、リヒトは話の出を伺うように目を細める。


「同情したよ。リヒトが何でエリルちゃんを自由にさせないかもよく分かった」


 そして――「だけど」と呟き、黒く、淀んだ瞳をリヒトに向ける。


「それが


 ミタはエリルをもっと近くに抱き寄せて、猛々しく。


「リヒトの過去がそうだったとして、エリルちゃんの未来までが必ずしもそうである訳がない。決まっていると断言できないはずだろ」


 確かに、リヒトの言葉は正論にもっとも近いものだろう。

 『寿命』という確実性の塊を前提とした話。それは100%訪れる未来を指している。

 でも、正論が世界を美しく作り上げている訳ではないし、正論だけで世界が動いている訳ではない。そうミタは思っている。

 だから、ここから先はミタは正論を述べようとしなかった。


「キサマは先に逝く者だ。不定命イモタールの気持ちは分からぬだろう?」


「あぁ、分からないね」


「だからだ。『解放をしろ』……こんな言葉、言うは容易いものよ。しかし、時間というものは長い。とても……とてもな? 我々は只人よりも何倍も生きるのだ」


 一度は畳んでいた手を再びミタの前へ。

 リヒトは穏便に済まそうとしているのが分かる。だが、次はない。武装は解けていないのだ。

 しかし、もう恐れはない。


「……」


 ミタは自分の横を見た。エリルがいる。

 彼女に発言権はリヒトによって与えられていない。その代わりに与えられているのがミタだ。

 エリルの気持ちを代弁するのがミタの仕事。

 ゆっくりと、フゥと鋭く長い息を吐いた。


「――――別れるのが辛い。そう言ったけどさ」


 振り向きざま。発言を待っているリヒトに言葉を渡すように。


「エルフだって別れがくるだろう?」


 ピク、とリヒトの耳が揺れるのを感じた。


「盲点だったか? リヒトさんよ」


 時の流れは平等で不平等。

 そんな言葉がまさに言い得て妙だ。


「俺はさ。あと生きれたとして……ひーふーみ……あー、精々80年がやっとこさな訳だ。その何倍もエルフは生きるんだ。でも、生きてる奴は死ぬ。エルフだって死ぬときは必ず来る。な? そうだろ?」


 ぎこちない話し方。相手に同意を求めながら話を進めるなんて久しぶりだ。

 自分らしくもない。


「だったら、只人との交わりを否定する理由にはならないだろ。遅かれ、早かれ訪れるんだから。……別に我慢する必要はないと思うけどなあ」


 弱気な笑みが浮かぶ。

 リヒトの眉間に皺が寄るのが見えた。


「ワタシが、我慢をしている?」


「そう見えたけど?」


「精霊も見えず、魂の色も見えぬ。その挙句に顔色すらも分からなくなってしまったか」


「そうか? リヒトは自分が思ってるより『揺れ』てるように見えるんだけどな。隠すのがちっと上手なだけだ。……まっ、本人がそういうなら、そういうことにしとくけどよ」


 瞳を閉ざし、目を逸らす。


「……アンタらはオレより長く生きるから後悔の数だって多いだろうよ。だけど……だからといって、傷つきたくないからって引きこもるのは違うだろ?」


「……知ってるような物言いだな。キサマに何が分かる」



 そうだ。



 ミタは、それを一番よく知っている。

 

 薄暗い部屋。光源は淡い光のモニター。

 そこに猫背で座る自分。

 机の上は邪魔にならない程度に片づけてて。

 足の踏み場は最低限確保して。

 ベッドの上はどこよりも比較的綺麗で。


 頑張ろうと思っても、その空間からミタは動かなかった。

 息苦しくても、居心地がよかったあの空間から……動かなかったんだ。


 自分が乗っているトロッコのレールが錆びているのにも気が付いていたし、やがてはレールから外れて高い場所から放り投げられることも分かっていた。


 傷つくのが、分かっていた。


 でも、動かなかったんだ。


 毎日の娯楽で気分を紛らわして、

 過去の栄光に肩まで浸かって、

 炭酸で喉を刺激する。

 そんな日々から出ようとせず。

 

「苦しいよ。ほんと、しんどい。体が毒に侵されてるのに、今が楽しいから仕方がないんだ。その毒で苦しむのが分かってるっていうのに。……その『今』がいつ崩れるかわからないのにさ」


 自分の世界に閉じこもって、出ようとしなかったんだ。


 だけど、エリルは違う。

 自分でその空間から出ようとしている。勇気をもって一歩を踏み出そうとしているんだ。

 でも、それをリヒトが邪魔をしている。

 

「リヒトがエリルちゃんを只人と一緒にいさせないようにする理由は分かるよ。分かるけどさ――」


 だからあの時、ミタが一番してほしかったことをすればいい。

 ずっと、モニターの前で待っていたことをすればいい。


「……お願いだから」

 

 早まる心音を落ち着かせるように、ゆっくりと間を作って。

 肩の力を抜いて。

 手札なんてなくても。

 いくらでも、自分語りならできる。


 過去の自分に目を向ければ、喉の奥がチリチリと痛むし、胸の底に気持ち悪い感覚が渦巻くけれど。

 そんなちっさな人生を振り返りみることくらい、どうってことはない。


「……エリルちゃんを自由にしてやってくれないか?」


 これは……リヒトへの訴えかけ。

 ただの感情論だ。


「キサマのやろうとしていることは、息苦しい世界から息苦しい世界への道案内に過ぎんぞ?」


「そんなん分かってるよ」


 エリルちゃんがエルフの世界から只人の世界にやってきたとして、それが幸せになるとは限らない。


「でも、昔のアンタだって只人と結婚すれば後悔するって分かってたんだろう? エルフは聡いんだ。只人ヒトが自分より早く死ぬって分かってたはずだ」


「だから、ワタシは過ちを繰り返さぬようにしている」


「過ち、ね」とリヒトの言葉を繰り返し、自分に落とし込む。


 リヒトのいう『過ち』は何を指しているのだろうか。それを理解しようとして……分かったような気がして。

 その人間臭さに、ふは、と笑った。


「――――残念だけど」


 ふっきれたように言い放ち、はぁ、と大きな息をこぼす。


「そりゃあ、無理だよ」


「……なに?」


「なんだ。リヒトもちゃんと人間臭いんだな。あ、おっと、人間っていう表現は失礼か、すまんすまん」 


 リヒトを勝手に『話の通じない偏屈の仮想敵』として掲げ、言い負かして説得して、エリルちゃんを救出大作戦をやろうと思っていたというのに……まったく昔の自分をぶん殴りたい。

 リヒトも今まで生きてきて、自分なりの価値観を持っていた。

 なにより血が通った会話ができる。


「オレが何を言ってるか分からない……ホントか? リヒトだって知ってることだろう?」


 だったら……だからこそ。


「先が暗くても。絶対後悔するって分かってても。今が幸せな方を選ぶんだ。だって、そっちの方が”幸せ”だもんな」


 中身のある言葉は、相手にも通じるはずだ。

 どれだけ先が真っ暗で、このままでは必ず不幸がやってくる。そう思っていても、今ある幸せの居心地が良いんだ。

 幸せが終わる時まで、その幸せを手放したくない気持ちはミタはよく分かる。


「リヒトも、奥さんの最期を見届けた理由は……そうだったからじゃないのか?」


 リヒトは妻の最後を看取ったと言った。

 只人と交われば不幸になる。そんな価値観がリヒトだけが持っているとは思えない。当然、只人と付き合うことは周りからは反対されただろうし、自分自身も様々な葛藤があったのだろう。

 でも彼は最後まで一緒にいて、今の今まで引きずるほどの感傷を負ったのだ。


「結局、自分が不幸にならないと分からないんだよ」


 論理としては破綻している。

 けど、人間の内情はそんな論理で片が付くほどシンプルではないのだ。


「エリルちゃんも不幸になる。絶対、そうだ」


 リヒトの言う通り、不幸から不幸への道案内だ。

 現状を打開しようとしているエリルの手助けをして只人と同じ世界に導いたとしても、数十年後にはのだ。

 ミタや周りの人間が死ぬ。

 それを看取るのは辛くて、哀しい。

 その時には、エリルちゃんは後悔をするかもしれない。

 リヒトのように只人に対して冷たくなるかもしれない。


「だけど、オレは自分の環境を変えようと努力をするエリルちゃんを応援したい」


 ミタはあの環境から、強引に連れ出してほしかった。

 だから、あの時にしてほしかったことを――


「お願い、します。彼女に人生を。自分の足で歩かせてあげてください」

 

 ミタは頭を下げた。


「――――……」


 その頭にリヒトは視線を落とす。

 ミタの隣に立っていたエリルに目を移すと、ミタのことを見つめる彼女も驚いているようだった。

 そんな彼女もリヒトの視線に気づくと、思い出したかのように頭を下げる。


「……」


 しばし、そのままで動きを止めたリヒト。

 ややあって、それらの情報を瞼で遮断をした。

 

「…………『揺れ』の話ばかりだな」


「オレは『揺れ』っぱなしだからな」

 

 薄っすらと瞼を開け、黄金の瞳の影を上げていく。

 二人にピタリと目を合わせると、リヒトは自分の羽織っていた外套を少し着崩す。


「はぁ……それが、キサマの言い分か」

      

 淀む気持ちを吐き出すような溜息の後、リヒトは後方に浮かばせていた矢を矢筒に収めていく。

 武装の解除。それをチラと見て、ミタの目が希望に輝いて――後ろ首を引っ張られた。

 その刹那――



「――――《雷の矢トニトルス》」


 

 大地に突き刺さる白銀の剣。

 耳元で龍が咆哮をしたような音を伴い、ミタの頭上に雷撃が降り注いだ――


 その光景を、ミタは三歩後ろで眺めていた。

 

 たった今、自分がいたところに雷が落ちたのだ。

 ゆっくりと見上げれば、エリルが目を大きく見開き、ミタの後ろ首を握っている姿。


「おれ……コレ。エリルちゃん、助けて、くれた?」


 聞けど、エリルは息を荒くしてリヒトに睨みを利かせている。



「――――そのような攻撃すらも避けれず、よく物を言った」


 

 ミタはゆっくりとリヒトに視線を戻した。

 帯電をするようにその体を青白く光らせ、蹴球ほどの雷の玉を空中に浮かばせている。


「結局は口先だけの男だ。エルフに相応しくない」


 黄金の瞳にはどんよりとした影が差し込んでいる。

 輝きなぞそこにはない。

 あぁ、これは、大きく『揺れ』ている。


「ヒトの内情にズケズケと土足で上がりこみ、その上、ワタシの感情を分かったように口を利く。まったく、不愉快だ……!」


 装束を揺らし、雷の玉に触れる距離にまで指を上げた。


「最初からこうすればよかったのだ。只人の一人や二人……殺したとてどうにでもなる」


 クンッと傾けた指先。

 アレをミタへと傾けると……斉射号令。


 ――駆け巡る恐怖。


 皮膚下を騒ぐその感覚は、ミタの言葉ではリヒトを説得できなかったという証明だった。

 圧で皮膚が痺れる。今にも殺されそう。

 だが、リヒトは指を傾けず……眉間に力を入れていた。


「邪魔をするな、エリル」


 その声で目線を上へと上げると、片腕を突き出している姿が見えた。


「いいえ……! 邪魔をさせてもらいます!」


 思わず、感嘆の息が出ていく。

 その姿は、あの時のヴァルフリートを彷彿とさせるほど勇ましかった。

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