第31話 希望の糸は未だに



「幼い頃にワタシも只人と恋に落ちたことがある。綺麗な、稲穂のような髪色の女性だった」


 昔を語るリヒトの顔は、いつものような顔をしていて。だけど、とても優しく感じた。

 善意の写し。

 彼は決して、エリルを苦しめてやろうと思って旅を強いていた訳ではない。そのように感じた。


 ――こいつは……。


 ミタはいつの間にか、引けていた腰が元に戻っていた。


「……だが、ひととき。瞬く間だ。

 たった、60年でその幸せは終わってしまったのだ。揺れて、揺れて、元に戻るまでの苦しみがその倍は続いた」


 嘘を言っているようではない。

 彼の歩んできた人生みち案内を聞いている気分。それは穏やかで、同情すらも抱く気分にさせられる。

 ミタの服を掴むエリルの手が緩むのを、擦れる感触で感じた。

 

「只人の寿命は短い。とてもだ。短いからこそ、よく『揺れ』る。それが伝播すれば、我らエルフは苦しいだけだ。……その早さは毒でしかなかった。故に『穢れ』なのだ」 


 淡々と話すリヒトは、ミタに向かって手の平を下にして手を差し伸べてきた。

 

「さぁ、ここまで話せば諦めてくれるか? 寿命の差というものは埋まらない。只人は先に逝き、エルフはそれを看取らねばならない。守護する者を失ったエルフのその後は酷いものだ。幾人と見てきた」


 その手に、ミタは目線を落とす。

 

「……」


 とてもいい話。

 自分の実体験に基づく経験をもとにした否定。


「さぁ。もういいだろう? 只人よ」


 優しく伸ばされた手。

 会話ができる相手という再認識。

 哀しい過去を背負い、現実の行動の理由付けをした。


 ――ミタが言い返す言葉は、もうない。


 魂なんて見えないだろう――でも、その魂が穢れていたらエルフの森に入れない。

 『償』の旅の意味を問いたけど――それもエルフの森に入るための条件だった。

 エリルちゃんの自由にさせてやってくれと提案した――だけど、寿命の話を出されたらあっけなく終わった。

 そもそも『不干渉の契り』の存在を聞いて、同じ土俵に立てると思って来ていたのだ。

 そこから蹴落とされれば……。


「――……」


 リヒトは全てが終わったと悟って、俯いて言葉を発さないミタの後方にいるエリルに声をかける。


「……。エリルもいい加減、反抗をするのを止めろ。エルフとして大人になれ」


 自分を護っていた盾はなくなり、話の決着が終わった。

 それを薄々は感じていても、エリルはその淡い影から動かなかった。


「ワタシを困らせるのは止めてくれ。さぁ――」


 逃れられず、少し歩き、立ち止まる。

 ミタの横顔を見つめ、口元を噤む。


「エリル」


 自分を必死に連れ出そうとしてくれたミタを名残惜しそうに。

 大事な宝物を手放す子どものように。

 繋がっていた糸を自分でゆっくりと解くように。


「…………はい」


 口を開いて、閉じるだけで出ていく言葉。今は、それすらも言うのが苦しかった。

 そうして歩こうとして――指先に温かい感触。

 

「え」 


 その感触を確かめようとして、ほどけていた糸が再び絡んでいたのを視認した。

 エリルの手を、ミタは握っていたのだ。


「あ」


「行かなくていい」


 俯きながら話すその言葉には、いまだに確かな意思が宿っていた。

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