第30話 不干渉の契り


「ワイト……と言ったか、区切り名か?」


「いんや、俺の世界の何でも肯定するガイコツの話だ。

 そいつが否定をするってことは、もーースゴイ訳よ」


 眉を顰めるリヒトに、くくく、と笑うミタ。オタクの話に常人が付いてこれる訳もない。


「まずな……俺にはその魂の色が分からない訳よ!」


 バッと手を広げ、無知をアピールするオタク。当然、したり顔を浮かべている。


「で、ここで質問なんだけど。エリルちゃんには魂の色が分かるのか?」


 急に話を振られたエリルはどまどました様子で、フルフルと首を横に振る。リヒトは目だけを配って、一層笑顔になったミタに目を戻す。

 

「じゃあ、そりゃあヘタな宗教みたいなもんだな! 見えないモノが穢れているから~って、そんなの知ったこっちゃないよ。宗教紛いな思想を他人に強要すんのは違うと思うぞ?」


 ミタはリヒトの顔を伺う。しかし、彼は依然として顔を崩していない。

 

「発言を弁えろ。見えないだと? それは当然だろう。これはエルフの中でもワタシにだけ見えるものだ」 


「おー、そうかそうか、見えて良かったな! だが、残念なことにオレは見えないモノは見えない主義なんでね」


「それはキサマが劣等種であることの証明で――」


「あと一つ!」 


 人さし指を高々しく立てられ、リヒトはその指越しにミタの顔を見つめる。よく笑う顔だ。それが、なんとも憎らしく見えるのが不思議。


「……」


 リヒトは遮られたことには何も触れず、口を閉じた。その反応を貰って、ミタはニヤとまた笑う。


「で、巡礼の旅――『償』の旅だっけ? すげぇ、高尚なこと言ってるけどさ……それって意味あんの?」


 また質問を飛ばされ、リヒトは子どもに付き合う大人のような雰囲気のまま、面倒ごとを片付けるように口を開く。


「贖罪だ。混血種は、生を受けた時点で罪。

 旅をすることでその罪を浄化する」


「罪、ね。それが浄化されて何になるんだ? 耳でも伸びるのか? もっとエリルちゃんが可愛くなるのか?」


 だったら大歓迎かもしれんが――そんな冗談を受けて、リヒトの影に立っていたエリルは恥ずかしそうに長い耳を触る。


「そんな訳がないだろう」


 冗談が通じないリヒトは、へぁ、と変な溜息をつくミタに対して言葉を紡ぐ。


「魂が安定化され、穢れも浄化される。ハーフエルフは元来、エルフの森には立ち入れぬようになっている。だが、その旅をやり遂げれば森に入れるようになるのだ」


「……なるほどねぇー」

(思ったより、しっかりとした理由があるのね)


 言葉一つ一つの根幹にはしっかりとした自信が感じられる言い回し。

 適当な理由で連れ回しているなら、どこか突っつけそうなボロが出ると思っていたが、さすがファンタジーのエルフ。お堅く、真面目で、真っすぐ。

 そんな彼に隙は見えない……見えないが、そもそもの話。


「そうしてくれ、とエリルちゃんは頼んだのか?」


「なに……?」


 ミタとエルフ二人の間に、寒い風が抜けていく。

 精霊の悪戯か、それとも偶然か。ミタには分からないけれど、それはリヒトの心の動揺を現わしているように思えた。


「エリルちゃんが、旅をしたいって言ったのか? そうでもしてエルフの森に入らせてくださいって言ったのか?」


 その問いには、考える時間があった。

 ということはつまり、そういうことだ。

 彼は承諾もなしに自分の理由を押し付けて連れ回していることになる。


「……32回と0回。これが何の数字が分かる?」


 うんともすんとも言わず、ミタの答えを待つ。

 ならば言ってやろうではないか。


「エリルちゃんが笑った回数だよ。オレといて笑った回数が32回。リヒトといて笑った回数が0回。この段階で、どっちといて楽しいか分かるだろう?」


 ね、と同意を求められて、ぽかんとしているエリル。リヒトの反応も芳しくない。


「さ、本人から直接言ってやってよ。実のとこどうなのかを」


 え、あ、と――発言にどもるエリルの答えを待たず、


「エルフといた方が幸せだ」


「幸せってのは他人が決めるもんじゃない」


「只人の価値観だろう、それは」


「そんな訳がないさ。劣等種だろうが、上等な種族だろうが飯を食えば美味い、寝れば心地いい、楽しかったら楽しい。何を幸せにするかは自分次第だろーさ」


「戯言を。ワタシはエリルにとって本当に『幸せ』になる途を示していて」


「――俺もさ」


 発言を被せ、ミタはエリルからリヒトに視線を戻す。


「俺もエリルちゃんに『幸せ』になってほしいと押し付けてんだ。その二つにどれほどの違いがある? 選ぶのはエリルちゃんだ」


 子どもの将来を母親と父親が醜く言い合うのを聞いているような顔になるエリル。だが、ミタにはその二人の顔色が微かに逆転したように思えた。

 流れは少しずつ、ミタの方に傾きつつある。そう思えた。

 ここだ、ここが隙だ――その確信が、ミタの口から言葉を流暢に並べていく。

 

「この世に生まれたこと自体が『罪』で、それを浄化するために人生の大部分を『償』の旅に費やして……。でも、それって、なんのために生きてるのか分からないだろ?」


 人に押し付けられた価値観の元、自分の人生の大部分を嫌なことに当てる。

 考えるだけで嫌になってくる。

 ――ほんと、どこも腐った社会ばっかりだ。


「好きに生きさせてくれよ~、なぁ? だって、リヒトが好き勝手に連れ回してるんだからさ、エリルちゃんが好き勝手したらダメな理由はないだろう?」


 生まれたことが『罪』というのは、言葉遊びに思える。


 魂の色も見えないのに、穢れていると言われ。

 生まれた時点から、劣等種、混血種と呼ばれて。

 人生の方向性を勝手に決められる。

 

 それが、生まれただけで行われるんだぞ?


 罪の意識なぞ、ある訳がない。生まれる訳もない。

 その『罪』とやらは自分以外の誰かがそう思っているだけの『押し付け』であり、当の本人は『罪』の意識がないのだ。

 その『罪』は他人が一生懸命に作った宣伝看板プラカード。自分が背負うものではない。


「……コイツはハーフエルフだ」


「だからなんだよ。立場が弱かろうが、強かろうが、そいつの人生はそいつの勝手だろ」


 悪魔の子。奴隷の子。

 劣等種の子。混血種の子。

 それが、なんだっていうんだ? 

 

「自分は自分。相手は相手だ。どこで生まれたか、どの種族で生まれたかで今後の一生が決められるなんてクソくらえだね……!」



      ◆◇◆



「…………」


 語気を強めるミタの言葉に、リヒトは沈黙を作った。

 発言を探しているような、そんな貧相な間ではない。

 ただ、ひたすらにミタから視線をそらさず、脳内で情報を整理しているような間。


 そんな間を破ったのは、 


「……ワタシ、オタクさんと一緒にいたい」


 エリルの一言だった。

 真っすぐ顔を上げ、ミタと目を合わせた。


「ワタシも、自由に生きてみたい。生きれる、なら!」


 ぎこちないが、それでも分かりやすい抵抗だ。小さな勇気が胸の中で踊り、体に活力を預けている。

 しかし、


「――エリル」


 それら全てを抑え付けるような声で、リヒトは重々しく問う。


「その発言の意味を分かっているのか?」


 ビクリと体を一瞬だけ強張らせると、コク、と頷く。

 自信が無さそうなエリルに、リヒトはミタの方に向けていた体をエリルの方へ向かせ、眼圧で以てねじ伏せる。

 

「――――分かっているのか、と聞いているのだが」


 エリルの前に立ちはだかった大きな壁、見上げれば黄金の宝玉がこちらを見下ろしている姿。


「は、い」


「分かっているんだな?」


 はい――と口を動かそうとして、その二文字すら口から発せれず、そのまま口を閉ざす。

 息が苦しい時間が続く。

 肯定こそせず、否定もせず。発言すら撤回しない。



「――馬鹿馬鹿しい」



 ようやくリヒトから発せられた溜息が混じる声は剣のようだった。


「若いが故の失策だ。幸せにはならない途を何故選ぶ?」


「……それでも、ワタシは」


「もういい。キサマはもう喋るな。意思もろくにない……案山子と同じではないか」


 切り捨てられるように見下ろされ、エリルは顔を上げれない。


「只人は我々よりも命が短いんだぞ。そんな者と一緒にいてどうする? 必ず不幸になるのが分かっていて何故その道を選ぶ? 少し考えれば分かることだろう」


 エリルの胸の中での『勇気』はダンスを止めて片づけを始めようとしていた。

 そそくさと。リヒトの言うことに従うように。

 今までの自分がそうであったように。

 ゆっくりと、

 活力が発汗するように体の外へ出ていく……。



「――――それってあなたの感想ですよね?」



 ぐい、と二人の間に割り込むミタ。

 わ――とよろけるエリルを背中に、黄金の宝玉を射抜くように視線を合わせる。

 触れそうな距離にまで近寄ったというのに、リヒトは動じることはなく、押しつぶすような圧を放ち続ける。


「退け」


「退かない」


「また焼かれたいのか?」


「火傷もなんも残さない『はったりの魔法』で何を言ってんだ……?」


 あの日にを見せ、ヘンッと笑った。そう、そこには何の痕も残っていないのだ。


「オマエが俺に手を出せないのは知ってんだ。何も怖くないさ」


 リヒトの放った『火よイグニス』は痛かった。

 だが、燃やされていたというのに呼吸も出来ていたし、火傷痕すら残らなかった。

 そのことを『ねぎねぎ』に聞くと、エルフと只人の間では『不干渉の契り』が結ばれていると言っていた。

 つまり、彼は――リヒトは、只人に対して域を脱した干渉はできないということだ。

 

「オタクさん……」


「エリルちゃん、大丈夫だから……後ろにいて」


 しかし、ハーフエルフに対してはそういった『契り』はない。なればこそ、ミタがエリルの盾になるこういった構図が最も望まれるのだ。

 ――これでミタが引かない限り、リヒトは強引に出られない。

 この場で対等にリヒトと対話ができるのはミタだけ……。

 そう思っていた。


「――――『不干渉の契り』のことを言っているのか?」


 ピクとミタの耳に違和感が走る。


「お、おう。そうだよ」


 その違和感の正体が分からぬまま、ジリと後退り。

 しかし、続いて出てきた言葉でその違和感が明らかになる。


「そうかそうか! それはよく調べてきたな。褒めよう。エリルのために昔の文献を漁ってきたんだな? 何百年も前にワタシが締結した『契り』をよくぞ調べてきた」


 突然、今までの声色と一変したのだ。

 笑い声。まさにそれだ。今のリヒトの声はまさに笑っている。

 それも、演者を見て楽しんでいる観客のような雰囲気で。


「だから、あの時よりも強気に出ているのだな? それはそれは……単純で、浅はかで――不愉快だ」


 突然、元の声に戻り、その落差にミタは動揺を顔に浮かべる。その『揺れ』をリヒトは見逃すわけがない。


「――――『不干渉の契り』は双方の干渉を禁ずるというモノ。現在はキサマの方がエルフの内情に足を踏み入れている……。それはどう説明をするつもりだ?」


 ハンッと笑うリヒトは、矢筒に手を触れずに矢を空中に浮かばせる。

 青白い灯りがまとわりつく幾本もの矢は、目下のミタに対して標準を定めていて。

 

「『落下誘導フォールンコントロール』……」


 エリルの怯えている声が背中にかかり、その魔法の名を知る。


「オマエ、いいのか。オレを殺してでもしたら……」


「ここは結界内。誰も知ることはない。……そんな状態だというのに、手を出さない保証はどこにあるというのだ? キサマを殺せば、自由云々の話を持ち出す者はいなくなるのだぞ?」


 黄金がギラと光る。

 その瞳の色で感じた。今の自分の首筋に『刃』があてがわれているのだと。


 ――あ、だめだ。殺される。

 

 『死』が目の前に立っていると気が付くと、もう取返しのつかない。

 必死にこさえていた足場は崩れ、目の前の存在の大きさに改めて気づく。

 リヒトが大きく。大きく――……。

 太陽を陰が覆い被さるように、徐々にミタの顔から輝きを奪っていく。

 

「おや、どうしたのかな? さきほどまでの威勢は」


 体が重い。

 口が開かない。

 スイッチが完全に切れた。


 そうなれば、ただの髪がぼさぼさでひょろながのオタクだ。


「……っ」


 これほどまでに長距離走の戦いになるとは思ってもみなかった。

 息が切れる。

 言い返す予定だった言葉のストックは、脳内から一目散に逃げ出していた。


「う、あ」


 今までの威勢はそこにはない。

 武装が剥がれた状態で、止めを刺されそうになっている。冷静を保てる訳もない。

 視界がブレる。唇を噛む歯が恐怖で震える。


「……あの、その――」


 いつものミタならば、今すぐにでも謝罪をしただろう。

 顔面を地面に擦り付けてそのまま逆立ちして、どこかへ走っていっていただろう。

 じり、じり、とゆっくりと足が下がっていって――……ぶつかった。


「オタクさん――ミタ、さん」


 エリルだ。

 後ろにいて、とミタが言ったのだから後ろにいるのは当然。

 ミタの服を掴む力は弱く、

 声は悲哀に満ちてか細く、

 大きな翡翠色の瞳は星を写しているのかと思うほど綺麗で、


「お願い、します。ワタシじゃあ、どうにもできない、から」


 今にもあふれ出しそうな水面にも見えた。


「――――……あ、あぁ」


 それが、切れていたスイッチの起動方法を思い出させた。

 そうだ。今まで忘れていた。


「……ごめん。…………そう、だよね」


 何のためにミタは戦おうと思ったのか。

 ここを逃せば、エリルちゃんはハッピーになれないのだ。


「そうだった、なにしてんだオレ」


 推しキャラが怯え、助けを求めてくれている。

 それだけで、オタクは奮い立つことができる。

 口を開け。リヒトに向き合え。



「…………お゛」



 ちゃんと喋れ。

 ちゃんと口を開け。

 喉を開けろ。

 下半身がガクガクしてるけど。

 上顎もガクガクとしてるけど。

 知った事か。


「ふ、う――っ……! あの、リヒトはさ……!」


 そうだ。

 頑張れ、推しキャラにカッコいいところを見せろ。

 オタクだ。推しキャラのために散財して人生の露頭に迷うことくらい厭わないオタクだろう。

 

「……只人と交わると不幸だ、不幸になるって言ってるけど、さ……そういう体験でもしたのか? そういうデータでもあるのか?」


 冷や汗がもう蛇口が壊れたように出てくる。下が緩んでないだけでも拍手喝采で褒めたたえて国民栄誉賞を授与してほしいくらいだ。

 手札がない状態。ただの時間稼ぎにも思えるその質問。


「そうじゃなきゃ、ただの思い込みで……」


 でも、ミタにできる精一杯がこれだった。

 根拠を示せ。そうでなくば――という論争のスタンダートな形を真似しただけ。それがこのエルフに通用するとは思えない。

 でも、


「あぁ、した」


「そうだろうさ。そうだろ……え? したの?」


 思いがけない言葉で緊張が一気に弛緩した。


「え? なんで? したの!?」


「あぁ」


 ミタが武器を構えていたら、武器の刃先をゆっくりと下に下ろしていっていただろう。それほどまでに無防備な言葉だった。

 後ろからも「え」と驚きの小さな声が漏れていた。そんな二人に対して、特にこだわりもないように


「ワタシの妻は、只人だった」


 そう、リヒトは口にした。

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