第28話 まさに『ぱおん』

   

 朝霧が街を包み込む。

 早朝の人の足は少なく、人の目に触れることはない。

 とはいえ、人がいたとしても精霊を日常的に使いこなすエルフのことが人の目に留まる訳がないのだが。


「……」


 すぐ近くを通っても、そこにはいない。

 『風』の存在を知っていても『風』を見ることは叶わないように。エルフと出会いたい者がいても、それが叶うことはないのだ。


 ゆっくりと、国の出口が近くなる。

 一歩を踏み出す度。石畳を超える度。

 この国の思い出が、削られていく気がする。


 ……国の外へ出たら、また『償』の旅の続きが始まる。


 森の中よりは居心地がよく――ただ、首を絞めつけられて息苦しい感覚がずっと続く旅。

 深い水の底に落ちていくような旅。


「……」


 エリルは出店の準備を手伝う人の子を見て……視線を切った。

 

 削れていく思い出の中でも、唯一輝いているものがあった。


「……オタク、さん」


 ミタといた数日は、自分がハーフエルフだということを忘れることができた日々だった。

 『可愛い』と顔を見て言ってきて。

 一挙動一挙動に反応を示してきて。

 他愛のない話があんなに楽しいなんて知らなかった。

 

 みんな『エルフ』だと分かると距離を置こうとしてくる。

 だけど、ミタはそんなことはしなかった。


「…………いっしょに、たび、したかったなぁ」


 言葉が、国の空中に揺れ、消えていく。

 旅に誘ったのは本心だ。

 リヒトが許すかどうかなんて頭から抜けてしまうほど、エリルはミタを旅に誘いたかったのだ。

 

「この国を出れば、まずは聖都へ向かう。只人の動向が悪しき方向を向いていると精霊が騒ぎ立てている……。秩序の神殿の十二騎士の動向を『視る』必要がある――」


 地図を広げる大きな背中の後ろをついていく。

 いつもの光景だ。だが、


「――……」


 牢屋の方が色鮮やかに見えるのは気のせいではないはずだ。


 でも、

 これは……、

 リヒトの言葉を借りると「うつされた」のだろう。


 エリルは目を瞑った。


 只人は『揺れ』の生き物だ。それが定まることはない。

 命短し定命モータルと一緒にいればその『揺れ』が伝播する。

 不定命イモータルは泰然とし、『揺れ』に惑わされてはいけない。それはエルフの教えだ。

 『揺れ』なぞ、不確かな内情の動きであり、何の生産性もない。揺れて、揺れて、いつかは元の形を忘れて崩れていく。

 そうならないためには『揺れ』てはならない。


 リヒトのように。

 決して、只人ヒトに近づかず、『揺れ』ず。


(そうすれば、この気持ちも――)


 そうしていたら、エリルの前に一つの光。

 

「……きみは」


 エリルの周りを明滅を繰り返して通っていく『精霊』に手を翳した。

 それは言葉ではない。

 念話でもない。

 文字通りの『情報』だ。


「……!」


 精霊の宿す『情報』を感じとることはエルフの十八番。息をするのと同じだ。

 只人が話す「風の噂」は『精霊』の運び唄。どこで、何が起きて、何が起こりそうなのか。それを教えてくれる。


「その間、オマエは都沿いの森林地帯に入り、上から五区画目にある洞窟内へ行け。古代の碑石アルカストーンがある」


 だから、これは……精霊のいう通りならば。


「……エリル?」


 リヒトの言葉は聞こえている。

 けれど、返事をするよりも体が勝手に優先をしていることがあった。


「オマエ、聞いているのか――」


 大きな体が振り向き、その一瞬の間に、先に見えた。


「……?」


 エリルの異変に気が付くと、その視線を辿り、リヒトは国の城門に目をやって……広げていた地図を畳んだ。


「また、オマエか」


 二人の視線の先――城門の横。

 開いたばかりの門に、黒髪の男が立っていた。


「やぁやぁ、ピッタリ時間通りだね」


「オタク、さん……」


「何故、姿が見える……? 術使い……そのような気配はないが」


 二人は精霊によって見えなくなっている。

 それをどう看破したのかを聞きたいのだろう。

 が、ミタが真面目に答える訳もない。チッチッと立てた人指し指を長針のように揺らしてみせる。

 リヒトの機嫌が、極僅かに、不機嫌に『揺れ』た。


「にへ」


 それが分かると、ミタは更に上機嫌になって指を揺らす速度を速め――最後は「ぱおん!」と言って手を弾けさせた。

 感情を逆撫でるような仕草を保ちつつ、首を少し斜めに傾ける。

 

「何故って、おしえてもらったのさ」


 手を腰に当てて、絶妙なラットスプレッドフロントマッスルポーズ


「だから、見えたんだ! おーおー、良く見えるぜ? ほんとに特にエリルちゃんの顔がな! あ、エリルって呼んでいい? ありがと、サンキュ」


「え、あ」


「よし、許可が下りたって訳で」


 ――下を向けば、見えていたかもしれません。

 

 脱出劇の最中のエリルの言葉。

 ということは『存在』を知っていて『見よう』と思えば……その姿は見えることができるということ。

 ミタの黒い双眸にはしっかりと、二人の姿が映っている。


「良く見えるついでに……エリルちゃん。言っておくが、露骨に目の色を変えすぎだ。オレに会えたのが、そんなに嬉しかったかなッ!? ま、リヒトにゃ言わないでおくが」 


 リヒトがエリルの方を振り向く。エリルは両手を横に振って焦ったように否定。


「ま、そんなもんだろうよ。女の子は縛られんのが嫌いって、どっかのお偉いさんが語ってたんだ。ギチギチに拘束して抱えて運ぼうとするアンタは最低っつー訳だ。おーけー?」


 顔文字が沢山見えるような言葉を放ちながら、エリルではなくリヒトの元へ近づいてくる。


「……邪魔をするのだな?」


「厄介な保護者から子どもを救いにきた児童相談所のものですがなにか? 『邪魔』の定義にそれが当てはまるかは知らんな」


 へ、と笑うミタに、眉を顰めるリヒト。


「なァ、リヒトさんよ。ちょっと話しようぜ? 年寄りなんだ、長話は大好きだろう?」


 ミタの指が「ぱおん」と立った。

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