第27話 窓の外のよう



「起きて出立の準備をしろ」


 聞こえてきた声に瞼を刺激され、エリルはもごもごと寝台の上で体を起こす。

 ふぁ、と欠伸をしようとして、パチンと手で口を閉ざした。

 

「……」


 おそるおそると冷や汗で衣類を濡らし……向かい側で身支度をしている男の方を確認。


「……ほっ」


 大丈夫のようだ。

 危なかった。欠伸なんてしている場合ではないのだ。

 エリルは胸を撫でおろし、寝台の毛布を畳もうと手を伸ばす――


「そんなことはいい。数刻だ。それで身支度をしろ」


「はい。あ、でも……これくらいは」


「それに見合うカネは払ったつもりだ」


 今、彼女がいる場所は牢屋ではなく、彼との相部屋。

 適当に借りた一晩だけの泊まり宿。


「はやくしろ。何度も言わせるな」


 強まった語気にビクリと背筋を正し、畳む手を止めて小さく、早く返事を返す。


 事実上の男女が一つ屋根の下。

 それでも面白みのある展開は訪れる訳がない。

 エルフと只人が同じ屋根の下で暮らせば、何らかの間違いが起こるかもしれなかったが……。

 同室の彼は……エリルと同種の――いや、上位種のリヒトなのだ。

 

「まったく……」


 エリルの行動を咎めると、離婚近くの男が放つような雰囲気を纏いながら、エルフの伝統装束の上に外套を羽織り、狩人らしく弓の弦を慣れた手つきで確かめる。

 不機嫌そうに見えて、彼はあの状態がスタンダート。

 その姿を見つめ、瞳に影を落とす。


「……すみません、リヒトさん」


 すらりと伸びた両脚を暗い床に降ろした。



 窓の外はまだ暗く。建物の間を縫って見える山の向こうから太陽が空に向かって光を発している。

  

 ――この国に用はない。明日、早朝に出る。

 

 そう言って、秒で眠ったリヒトに対してエリルはちっとも寝れやしなかった。

 時間に縛られなかった牢屋での生活で、習慣が狂ってしまったらしい。元よりエルフは時間に縛られない種族だが、リヒトはそういったことに関して只人ヒト並みに執着がある。


 いや……これは、この国にただ居過ぎてしまったからか。


 エルフは『風』だ。

 故郷以外に同じ場所に留まらず。

 流転し、巡り、寿命を迎えれば森と一つになることを生の命題としている。


 噂では……生涯をそこで遂げようと思ったエルフは、その地に根を張り、守護者のような存在になるとも言われている……が、リヒトとエリルの旅の目的を考えると、ここはただの通過点。


 根を張る必要なぞない。

 ……ある訳がない。


(はやく、準備しないと……)


 肌着のまま地面に畳んでおいた衣類に手を伸ばすエリル。その様子を扉の近くにもたれかかって見ていたリヒトは声をかける。


「……装束は奪われた、と言ったか?」


 手の先を丸め、暗い床に目を落としたまま。


「……はい」


只人ヒューム……それも、下人にまで落とされるなぞ……同族の皆が知ればどう思うか」


 エリルの頭を上から睨みつけるように目を細め、不快そうに口端を捻じ曲げる。


「忠告だ。オマエの魂は、此処に来る前よりも汚れている」


 リヒトとエリルの瞳を隔てる髪。

 その内側で、エリルの目が少し大きくなり、月が雲に隠されるように細くなっていく。

 心音が早くなった。

 上からの言葉に、顔を上げれない。


「はい」


 口を開けて、少し閉めるだけで発せれる肯定の言葉。喉を震わさなくても出て来てくれる。

 いまは、それしか言葉を発せられない。発したくないと体が言っている。


「『償』の旅はより過酷なものとなるだろう。精々、魂の糸が切れぬ間に終わらせるのだな……そうせねば、二度と森には立ち入れぬぞ」


「……はい」


 返事を返したとて、それが納得をしている訳ではない。

 ただの言葉の応答であり、エリルがソレに対して理解を示したということではないのだ。


 誰が、森に立ち入らせてください――と頼んだか。

 誰が、魂の汚れを綺麗にしてくれ――と頼んだか。

 

 ハーフエルフだという理由で忌避した森に誰が戻りたいのだろうか?

 自分には見えない『魂』が汚れていると言われ、旅を続けてきた。

 これは、自分の意思で行われていることではない。

 それが、同意の上行われていると思われている。 


 あぁ……息苦しいなぁ。


「……だいじょ、うぶ、です」


 その言葉にリヒトは顎を少し持ち上げて、すぐに切った。

 お許しが出たエリルは肉付きの薄い腕を衣類に通す。その上から外套を羽織る。

 全て、オズから買ってもらったものだ。


只人ヒトの衣類……」


 エリルの身なりを嫌そうに見ると、ドアの方へ歩きながら外套の襟を正した。



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