第三部 偏屈エルフからの救済

第24話 大河の上の葉でしかない




 かぶりによってもたらされる陰影が石膏のような目鼻立ちを際立たせる。

 稲穂のような髪は乱雑に、それでも流麗に流れ、肩の前にゆらりと落ちてきている。

 最早『人』と同じ形を模しているだけで、彼は『ヒト』の一種では無いように思える程の顔立ちだ。

 ミタが異世界転生ものを見ていなければ、その者の近しい者として『海外俳優を濾されて作られた人物』と挙げていただろう。


 だが、ミタは知っている。その人物を。


エルフリヒト……?」


 彼は、エルフさんが『師匠』と仰いでいたヒトだ。

 ミタの身長は180cmもある。元居た世界ではそれなりに大きい方で、人を見上げることなんて滅多になかった。

 だが、これは……。


「――」


 種族名を口にされ、ゆら、と眼窩に埋め込まれた黄金が動く。

 呼吸すらも奪う、その上からの眼圧にミタは顔を強張らせる。


「っ……」


 それもすぐに、本来向けられるべき方向へと向き直されて、 


「長い間どこにいたんだ? 精霊に聞いても分からないと言われたんだが」


 射抜くような圧を感じた双眸は、今や星が浮かぶ水面のように凪いでいる。

 けれど、その言葉の奥には重々しい『問う』ような圧が潜んでいるような気がする。

 

「あまり只人に近付きすぎるなと言ったハズだ」


 ミタが入り込めぬよう、背中を向ける。

 たったそれだけだというのに、大きな大きな壁となって。


「で、でも……情報を聞くには、只人ヒトに聞いた方が」


「言っただろう。我々は『流れ』を記すだけ。下等種族の『揺れ』なぞ、記す必要もなし。無駄なことに時間を割くでない。オマエは我々のように長命ではないのだから」


 何か言葉を返そうと思い、『エルフさん』はミタの方をチラと見やって、


「リヒトさん……! その……」


 一度、口を閉ざして、その中で言葉を必死に組み立てる。


「オタクさんを、一緒に旅に連れて行ったらダメ、ですか?」


「何故、許可が出ると思う」


 エルフさんの笑顔が萎んでいく。それほどまでにリヒトの言葉の圧は重く、上下関係を嫌でも理解させる声だ。

 しかし、それでもエルフさんは噛みつこうと口を開いて。


「でも、オタクさんも旅人で。ずっと、じゃなくても……少しくらい、一緒にいるくらいは」


「ダメだ」


 まさに、袈裟切りのような否定だった。

 何か話そうとして、口を開いて、口を噤んで。明るかった視界が項垂れた首で暗くなる過程を悔しそうに見つめて。


「……はい、すみません」


「分かったか? これ以上、この『辺境の国家ウエストランド』に留まる必要はない。もうここでの役目を終えているんだ」


「…………はい」


 暗くなっていくエルフさんの様子で、男エルフリヒトのことがなんとなく分かった。


「……」


 今まで友達と楽しく遊んでいたのに、急に現れた奴がその友達にだけ叱咤をするのを聞いている気分。

 つまり……最悪な気分だ。

 『オズが死ぬ』『エルフさんの師匠の登場』で、ミタの中での「感情」が方向性がよくわからなくなっていた。

 なにをすればいいのかわからない。

 何が正解なのか分からない。

 だが、


「さぁ、行くぞ」


 それでも分かる。

 これは、ダメな雰囲気の奴だ。


「……」


 コミュニケーションが取れる相手か? 

 いや、そんなことは一旦外に投げておけ!

 エルフさんに手を伸ばす男エルフリヒトの手を見て、


「ちょっと――」


 ミタは横から手を出そうとして――また弾かれた。

 

「――!? これっ」


「何故、触れようとした? 只人ヒトよ」


 あの時に、ミタの手を弾いた正体はこの男エルフリヒトが何かをしていたのか!

 しかし、金色の宝玉アイツのいしきがこちらに向いた。

 上から睨みつけてくる男エルフに、ミタは臆せずに一歩前に出た。

 

「っ……あの、さ! 話くらいは聞いてあげるべきじゃないかな……!」


 二人の関係性はよく分からないけれど、ミタにも言い分は色々とある。

 勝手に出てきて連れ去ろうとするのに口を挟む権利くらいは、あるはずだ、と。


「…………なんだ、オマエは。ワタシとコイツの関係の何が分かる?」


「分かんねぇから、怒ってんだよ。分かるか? 絶賛、俺とエルフさんは話を進めていた途中なのオーケー?」


 他人の事情に口を挟む厄介な奴。

 それが、どうした。


「で、だよ」


 ビシッとエルフさんに指を指して、


「嫌がってる。見りゃ分かるだろ? その綺麗な目で見てみろよ」


 ここまで話をして、何かをリヒトの『揺れ』が見えたらよかったのだが……彼は、まるで巌にどっしりをしている。


「嫌がっている。嬉しそう。……只人ヒトは『揺れ』の話をするのが好きだな。……で、それがどうした?」


「アンタは強引すぎるって言ってんだよ」


「強引に連れていく責務がワタシには課せられている」


 ミタの指摘を真向から受け止め、スパンッと切り伏せる。

 しかし、単純の口舌ならばミタも負けない自信がある。


「アンタがエルフさんの師匠かなんだか知らねぇけど、俺にとっちゃ全く知らないヒトだ」


 壁に訴えかけているような気分になる。

 けれど、ミタは口を止めずに言い募る。


「ちな、エルフさんとオレは苦楽を乗り越えたフレンドだ、よろしく。だから、口を挟むくらいの権利はもらいたいんだが?」


 口から出た言葉の一つに、男エルフの耳が大きく動いた。


「――……友人、だと?」


 お、好反応。

 ミタはこの会話の帰着点を見つけた気になり、したり顔を浮かべたまま手をヒラとする。

 ――エルフさんが、焦ったようにしているのに気が付かず。


「あぁ、奴隷商から一緒に逃げてきた切っても切れない仲だよ」


 誇らしげに言ったミタの言動に、男エルフの目の色が黒く淀んで見えた。

 

「……只人オマエと、エルフ、が?」

 

「フレンドだな」 


「奴隷商、に……?」


「そうだよ。ほんと、大変だったんだからな。でも、安心してくれ、エルフさんには傷一つつけさせてないから」


 男エルフの顔に影が落ちた。

 被りの中の顔はミタからは伺おうとしても到底見える訳もないもので。

 次に見えた時の男エルフの顔は……怒りを孕んだ顔を浮かべていた。

 そして――――乾いた音が聞こえてきた。

 

「は」


 パチンッ、と。

 何かを叩いたような音。


「おまえ……なにをっ」


 ミタは、耳に入ってきた音の正体が分かっていても、理解が出来なかった。

 だって、男エルフは、ローブから手を出して――……


 エルフさんの頬を、平手で、殴ったのだ。

 

「なんで、殴った……?」


 分からない。

 心配をするトコロだ。

 ミタの予想では、諸手を上げて「よくやった」と褒められるトコロなのだ。

 だって、エルフさんを助け出したって、それで……。


「――――それ以上、近づくな」


 男の圧に、ミタの足はその場に縫い付けられたように動けなくなってしまった。

 何をされた訳でもないのに、動いてくれない。そんなミタに背を向けたまま、男エルフはエルフさんの顎を持ち上げる。

 

「お前……只人ヒトに捕まったのか?」


「…………」


「答えろ」


 こく、と小さく頷いたエルフさんの前で、男エルフが浮かべた表情は……綺麗な彫刻を素人が修正し直したような……

 醜く、歪で、感情を隠そうともしない、そんな表情だった。


「魂だけでなく、その身まで穢れたか……ッ! エリル!」


 声に圧され、エルフさんの返答は喉から出てくることはない。

 ただただ、真っすぐに、下を向いて。

 叱られる子どものように、唇を噛んで。

 その男エルフの感情を、受け入れている。


 ――――そんなエルフさんと、目が合った。

 

 あの時、奴隷商がエルフさんを連れてきた時のような。

 助けを求めるような目だ。 


「……っ」


 その顔が、瞳が、再度ミタを動かす原動力になった。


「……おいっ」


 声を出す。

 喉が声を通してくれた。あとは、勇気だけだ。


「おい! その言い方は可哀想だろ! 本来なら心配をするところだろうが!!」


「…………心配? 何故? ワタシが? コイツを?」


「だって……。そうだ、エルフさんは、ハイエルフなんだろ? だったら――」


 そうだ。

 もっと言葉を並べろ。


「敬わないといけない存在ってことだ! 上位種族、みたいな立ち位置なんだろ?」


 他の小説で得た知識を当てはめていく。


「そんな一方的に怒らなくてもいいじゃないか。まずは心配をするとか、そういうんだろ!? 一緒に旅をしてんだろうが……!」


 外国の友達の親に対して説明をしているかのような雰囲気。

 只人ヒトの常識に当てはまることかは分からない。

 エルフ族はどの物語でも頑固で堅苦しいというのが相場が決まっているし、この『混淆の旅』の設定はそこまで分からない。


 でも、そこまで怒る必要はない。そうミタは思えた。

 

「…………ハイ、エルフ」


 ミタの言葉を追って出たリヒトの言葉。 


 

「あぁ、そうだよ」



「……コイツが……かみのエルフ、だと」



 綺麗な宝玉に、真に大きな、闇が、かかった。

 背中からでも、よく見える『揺れ』。



「――これだから、只人ヒトは嫌いだ」



 こちらを振り向いた男の様子がミタには、走馬灯のように、鮮明に、ゆっくりと流れる時のように見えた。

 羽織っていたローブが揺れ、体の線をなぞる翠を基調とした衣類が、大きく感じて。


 当然、男エルフリヒトの輝きを暗ます『揺れ』もはっきり見えた。


 そう思っていると、


「――――《火よイグニス》」


 ミタの体はぐらゆらと揺れる『火』に包まれていた。

 

「なっ――にッ!?」


 見えていた光景が、真っ赤に覆われた。

 体の表面の感覚が研ぎ澄まされ、

 鈍化して、

 『痛み』と『熱さ』を必死に脳に叩きつけようと信号を送り続けてくる。


「オタクさ――」


 エルフさんが庇おうと入り込もうとしたのを男エルフリヒトは制し、ミタの喉元をグンッと掴み上げた。


「っぶ……ッ!」


「お前は大きな勘違いをしている。

 から、忘れぬように刻み、教えてやろう……!」


 掴み上げた燃ゆるミタに顔を近づけて、誇りを汚されたかのような表情をその綺麗な顔に浮かべて。

 

「コイツが――エリルが、上のエルフ、と言ったか? 只人ヒトよ。

 ははははっ、ほんとうに、これだから嫌いだ!」


「なにを、いって――」


「お前ら只人ヒトは、勝手な憶測を事実と混合をして、高々しく口にする。

 これほどまでに、身なりを汚された気分になったのは、久方ぶりだぞ……ッ!」 

 

 見た目には不釣り合いの膂力が時増しに強くなり、藻掻くミタは宙に浮いた足を必死にばたつかせる。

 脳みその酸素が抜ける。

 目がちかちかと明滅する。

 苦しみが、熱さが、理不尽が、

 ミタの口から苦みの音となり、吐き出される。


「ぐぅっっ――……!」


只人ヒトよ。

 憐れな、下等種族よ。

 出した言葉は戻らぬと知れ。

 した行為は訂正できないと知れ」


「あああああっ!!」


森守人エルフの品位を損ねた貴様は、その矮小な体で短い命の全てをかけて償う必要がある……!」


 燃えているから熱いのか。

 酸素が抜けているから熱く感じるのか。 

 感情が、熱く感じさせるのか。


「――リヒトさん、やめて!」


「黙っていろ、エリル! 元は、キサマが捕まらなかったら何も問題にはならなかったのだ!」 


 リヒトを止めさせようとしたエルフさんエリルは腕を払われ、地面に転がった。

 

「――ッ!」

 

 その光景も、すぐに男エルフリヒトの体で遮られて。


「さぁ、只人ヒトの捻じ曲がった知識を正してやろう」


 ミタは必死に腕を放させようとしても、敵わない。

 どれだけ触ろうとしても、


 ――触れられないのだ。


 全部が、エルフの皮膚の上で止まって、届かない。


「しっかりと、小さな耳を立てて聞け。

 この『プティ・レイ・エリル』は……ワタシの『記』の旅の同伴者であり、この世に生を享けた醜い魂……『償』の旅路を為すべき者。穢れた魂の持ち主、半耳の醜女シコメ――」


 言葉半ばで、ミタの体を放り投げた。

 ふわ、と無重力がミタの体を弄ぶ中、汚らわしいモノを見る目でミタを見つめ、


「――雑種マザリモノだよ。醜い、穢れた、ハーフエルフだ」


 落ちながら見えたエルフさんエリルの表情は、なんとも言えない表情をしていた。

 そして――一瞬の暗転。

 すぐに、それは青白く、透明感のあるモノへと変わった。


 ミタは、また、噴水に包まれていた。


 ――ハーフ、エルフ。

 

「……。…………。」


 ――ハーフエルフ、だって?

 それに、醜いって言った? 

 誰が、エルフ……さんが……?


「――――ごぽっ」


 気が付けば、ミタの体を纏っていた炎は鎮火されていた。

 しかし、心の中の感情だけは鎮火されず、激情へと移り変わっていく。

 沈む体を跳ねのけ、すぐに噴水から顔を出して。

 入ってきた情報に、唇を噛んだ。


「…………くそが」


 初めて異世界に放り込まれたような感覚になった。

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