第二部 奴隷商からの救済

第06話 おいおい、ここってもしかして

 

 次に目を開いた時に視界に広がったのは、薄暗い空間だった。

 視界の外で仄かな光が見えて、それが若干心地がよくて。


「……あ」


 ミタは、ぼやける目で、イヤに冷たい空間を見上げた。


 

「あぁ……やっぱり夢に決まってるよな」


 

 最後の最後が、一番トラウマなあのサイクロプスだなんて。

 なんて、夢だ。

 なんて、最悪な夢だ。


 異世界転移なんてある訳がないのだ。

 現実逃避をしたがる現代人が編み出した、手段の一つで。

 本当にそんなことが起こる訳がないのだ。


 だから、ここは――いつも寝ているベッドの上なのだろう。


「…………」


 枕はどこかに落ちてしまったようで。

 冷房は利きすぎているような気がするけど。

 くたびれたシーツは鋼鉄のような硬さになっているけど。

 


 それでも……ここは――……ここは?



「あれっ」



 目を擦ろうとして、やけに腕が重たいことに気が付いた。

 ジャラッと鎖の音が響いて、そちらの方を見てみると……手に鈍色の枷が嵌められていた。


「うっ、あ――!?」

 

 理解が追い付かない。

 なんだっていうんだ?

 寝ている間に、両親が独房に突き出したのか!?


「オレ、迷惑はかけて来たけど、犯罪は起こしてません!! していたとしても、違法アップロードの動画を見て――いや、見てないです!」


「うるせぇぞ!!」


「ひいぃっ!?」


 ミタの嘆きを遮ったのは、入れ墨してそうな男性のしゃがれた声だった。

 殺される! 胸倉掴まれる!

 

「すみまっ、すみませんでしたぁぁぁっ!!」


「うるせぇ! 殺すぞ!」


「どうか、命だけは……って」


 声だけが聞こえる。

 顔が見えることはない。


「アレ?」


 ミタは周りを見回した。

 するとなんとなく現状を理解できた。ここは……犬小屋くらいの小さな牢屋の中だったのだ。


 男の声も、遠くから聞こえるだけ。顔が覗かないっていうことは、声の主も牢屋の中に入れ込まれているのだろう。



「俺……サイクロプスに殴りかかって……それから……それから?」



 どうなったんだ。


 ミタがいた日本という世界は、そう簡単に牢屋に入れられるような場所じゃない。

 異世界にいるというのは夢じゃなかったのか。確認してみる必要がある。


「……よいしょ、っと……ん?」

 

 ミタは柵に手をかけて外を覗き見て、情報を集めようとして――


『――♪――』


 着信音が鳴り響いた。

 通話アプリの着信音だ。宛先は――『ねぎねぎ』で。


「「「何の音だよ! うるせぇな!!」」」 


 ダンダンッと壁ドンされて、ミタは『ドミネーション』をタップして、すぐに通話に出た。


「ねぎさん……静かにして」


『いや、だって『グルチャ』にいなかったんだもん。それに音量はそっちで調整ができるでしょ!』


 あ、そっか。

 情けない声で調整をして、奥の方に身を寄せた。


「それで……どうしたの? 急に」


『ミタさんがいるその世界のことが分かったの! とんでもないことが起きてるよお! 信じられなくなって……確認したんだけど』


 『ねぎねぎ』は声を絞って、その下で何かを捲る音が聞こえた。


『ミタさんのいる世界は――』


「――あ、まって!」


『えぇ!? なに!? こっちは眠たい中、調べてたのにさ!』


「足音が聞こえてきた……だから、ちょっと……」


 ミタは微かに聞こえてきた足音に意識を集中させ、通話は切らずに耳をそばだてた。



 奥の赤いカーテンに二つの影が浮かび、中央の裂け目から姿を現した。

 羽振りが良さそうな小太りの男の後ろに、ガタイの良い男たち。

 海外のアニメでよく見るあれだ。貴族の坊ちゃんとボディーガードみたいな。


「……?」


 その後ろにもう一つの人影があることに気が付いた。

 カーテンよりもこちら側に来るのを拒むようにもがいているようにも見える。

 

「ええい! はやく入れなさい!」小太りの男が、ボディーガードに突っかかるようにして。「あっ、ただーし、キズをつけないように。キズだけは、キズだけは……分かるだろう? 此処に在る者は全部、商品なんだから!」

 

 商品。

 その言葉に引っかかりを覚えたが、そんなこと強引に運び込まれたモノを見れば、頭の中から吹き飛んでいった。


 それは、小さなエメラルドのようだった。


 生きる彫刻と言われる方が納得ができる。人間ヒトではないのは、一目でわかった。

 色白の顔、瑠璃色の瞳、翠と金の長い髪――長い耳。



「エルフだ…………」



 ミタは、アイドルの顔が全員同じに見えるタイプの人間だった。

 可愛いがテンプレート化されすぎて、もはや「kawaii」が分からなくなっていた。

 

 だけど、彼女は違った。

 唯一無二な気がした。

 100がいれば、100人が振り返るような美しくも幼げで、可愛らしくて。

 小太りのおじさんが、祭りのように盛り上がっている理由も分かる気がして。


 でも、今は、それらの光が弱々しく光って見える。


 気が強そうな顔はその名残を見せながらも、

 諦めかけているように陰が差し込んでいる。


 身に着けている服は絶間違いなく『適当に見繕われた代物』だと断言できて、彼女が着ていいような『品格』を備えていない。

 そして何より、その白雪のような細い首に鈍色の枷が嵌められている。


「――――!」


「何を言っているか分からんぞい! ほら、こっちだ。つれてこぉい!」


 踊るような小太りの男性の後ろで、か細くも引き締まった腕を男に握られ、強引に引っ張られる姿。

 その光景は、ミタの頭の中を搔き乱して、憤怒の色を宿した。

 だから、ミタは英雄のように――叫んだ。



「オイ! その子を離せ! そんな子に何をするんだ! 止めろ!」



 それらの声が――頭の中だけで煩く響いた。

 出さなかったのだ。


 ――いや、ここは様子見だ……。

 

 いま声を上げるのは、どう見ても賢明じゃない。

 ミタは言葉が出て行かないように、歯と唇で口が開くのを二重の扉で固く閉ざした。


 男達の足取りを止めるものはなく、足はミタの牢屋の前で止まった。

 その時、チラとエルフと目があった気がした。

 濡れた藍瞳は宝石のように光を奥に宿し――


 ――ガシャンッ!


 屈強な男が革靴でミタの鉄格子を蹴り鳴らした音で、ミタは無様な声を出して奥に引っ込んでいった。


 

「よぉし! よぉし!! いいぞ、そのままだ。丁度、今日捕まえた男がいる。そいつの上の牢屋にでも入れておけ――」


「――――ッ!」 


「あぁ、待て待て、その前に……」


 ――ザクッ、ザクッ。


 ミタからは何をしているかは伺えないが、何かを切る音が聞こえると――パラパラと細長い光が目の前で舞った。


 綺麗で、儚げで、暗い空間でも鮮明に見えたそれは。

 


「エルフの髪だぁぁぁぁっ!! 絹のようで、スゥゥゥゥゥ!! はぁぁぁぁっ! 最高に、気分が、いいなぁああーー……」

 


 髪の毛だ。

 エルフの長くて美しかった髪の毛だ。



「これは高く売れるぞぉ! やったぁぁぁっ! これだけでも、白金貨5枚はくだらない! もっと行くぞ!」



 髪に頬を擦りつけ、溶けるように笑った。

 

「本来ならば……爪の垢や、衣類に着いていた垢を煎じて飲みたいところだったが……そうはいかない――スゥゥゥゥッ!――のでなぁー……。それは、売れ残った時のお楽しみにしておこう」


 そのまとわりつくような声色に対して、ミタは気持ち悪さと声を塞ぐために牢屋の奥で口を両手で覆った。


「大丈夫なのですか?」


「髪のことか? ふんっ。いいのだ! いいに決まっている! だが、誰にも言うなよ?――スゥゥゥ――お前を雇うのにいくら払ってると思ってるのだ」

 

 ふんぅ、と鼻を長く鳴らすと牢屋にエルフを突っ込むことを命令した。

 上の牢屋が開けられると、入れ込まれて、


「舌を噛み切ろうとしても無駄だぞい! その枷には、そういう感情に敏感でなァ! びりびりと電流が走るんじゃ! そりゃあ痛いぞぉ~、ヌハハハッ!」


 声色と足音が遠くなっていく。


「……うわぁ、えげつな……あんな人種がいるのか」


 髪の毛は女の命というのは、紳士諸君の常識。

 捕まえてきたエルフを牢屋に入れる前に髪を切って、それを吸うって……。


「アイツは、紳士失格だ」 


 気持ち悪さマックス。

 悪役の中でも、好かれないタイプの悪役だ。


 それに、さっきの珍百景で、ここの場所が分かった気がした。

 ラノベでよく読んだことがある……アイツは奴隷商という奴だ。


(黙ってて正解だった……けど)

「あのぉ、大丈夫……ですか?」


 ミタは天井をノックしながら声をかけた。

 反応はなし。


「……」


 次は、鉄格子の間から細長い手を伸ばしてエルフの視界に入れるように手を振った。


「その、えっとぉ……」


「――ん」


 たった一言。

 けれど、その声は鈴の音のように心地がよく、胸の奥が浮き上がるような気分にさせる。


 ――可愛すぎかよ。なんだ、その声。声優にもいないぞ。


 ミタは聞き入ってしまいそうな気持ちをなんとか引き締めた。


「大丈夫そうなら、その……いいんですけど」


「ん」


「すみませんでした……失礼しまス……」


 素っ気ない声で、ミタは何故か謝って手を引っ込めた。


『ミタさん……何が……どこにいるの?』


 その答えを返すのには、複雑に入り混じった感情を整理する時間が必要だった。

 もう一度、名前を呼ばれて、ようやく。


「……今は……たぶん、奴隷商に捕まったかんじ」


『へ……? 何が起きたの。――あ、いや。そうじゃない! ミタさんのその世界の話!』


 『ねぎねぎ』の声は手元にある紙を捲りながら、興奮するようにヒートアップしていく。


「世界って。ここは異世界じゃないの……? それともなにかな。夢、とかって?」


『異世界ではあるの! でも、でもさ! これっ、同じ名前! 『ヴァルフリート』! ほらっ! ね!』


「同じ名前……って?」


 あぁ、そっか――『ねぎねぎ』はマイクの前に何かを見せつけようとしていたらしい。

 恥ずかしそうに、パタン本を閉じる音が聞こえた。


『同じ名前……が、あるの!』


 興奮が冷めやらぬ声で、ミタの「どこに?」という声を上書きしてしまう。


『ヴァルフリート! ねっ、そう書いていたでしょ? 

 最西の国に仕える『騎士王』! 

 俗にいう、正義の味方! 

 神殿の孤児院出身っていう、暗い過去を持つ――』


「なんでそんなに詳しいの?」


 ミタの暗い声に『ねぎねぎ』は、後ろ首を引っ張られたように勢いを落とした。


「異世界出身? そうだったら早く言って欲しかったよ。最強じゃん」


『そんな訳ないじゃん。日本生まれ、日本育ちだって』


「だったら、なんであのイケメンのことを知ってるのさ」


 なぜか、ミタの声は少し苛立っているような気がした。

 それに呼応するように『ねぎねぎ』の声も、棘が混じり出した。

 

『知り合いじゃあないけどさ。そりゃあ知ってるともさ!

 知ってるどころじゃないよ! ぜーんぶ知ってるよ!』


 なんだか頭にいじけ虫が着いているミタに『ねぎねぎ』は、呆れながらも可愛らしい声で叫んだ。


『だって、その世界……ラノベの世界なんだもん!』 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る