第一章 救済:辺境国家

第一部 飲み物を取りに行っただけなのに……

第01話 お誘いなのか、拉致なのか


 つまらない人生だと言われると、実はそうでもない。


 ある程度の人生は、歩めているとは思う。

 学校にも通わせてもらったし。

 成績もそこまで低くもなかったと思う。

 

 けど、どこかで歯車が掛け違ったのだ。


 うまくかみ合わなかったといえば、かっこよく聞こえるかもしれない。


 人並みに努力はしてきたつもりだし。

 礼儀も多少はあるつもりだった。


 それでも、どこかで噛み合わなかったのだ。 



 でも、死ぬわけでもなかった。



 待ち受けていたのは、徒食な日々だった。



 売り手市場。

 そんな甘い言葉で努力をしなかったのが悪かったのだろうか。

 そして、地元の……名もない企業に行きたくないという高いプライドも悪かったのかもしれない。


 それでも、自分はこう口にした。


 ――努力はしたんだ、って。


 耳障りの良い言葉に装飾をした自分は、悲劇のヒロインになったつもりになっていた。

 

 家族も、優しく対応をしてくれた。

 

 叱る訳でもないし、なんなら慰めてくれた。

 お前なら大丈夫だよ――って、昔の学校の話を持ち出して。

 時には、運動会のかけっこで一位を取ったとかなんとかって。


 お前なら……できるって。


 親の顔を真正面から見たことなんて、しばらくない。

 

 ほうれい線が増えた気がするけど。

 腰が段々と曲がっている気がするけど。

 声も弱々しく聞こえるようになったけど。 


 それも、不鮮明な視界の端で映っただけだった。



 そんな親の顔よりもみた光景は――薄い灯りのモニターだ。



 朝日が昇る前に寝て、太陽が真上に上がって起きて。

 居心地が悪くない、薄暗い部屋で過ごして。

 今日も、こうして、モニターの前に猫背で座る。


 今日も、明日も、一か月後も、一年後も、死ぬまで。

 多分、今日のような毎日の繰り返しなんだろう。

 


 

 でも。

 こんな生活だけど。

 つまらない訳ではないのだ。




 誰かに助けてもらって生きている方が、楽だと知ったから。




 外は怖いし。

 ここは居心地が良いし。

 なにより、死ぬわけでもないから。



 だから、一歩を踏み出すことを躊躇したんだ。


 今からでも、やり直すことはできた。

 やり直す理由なんて沢山あった。


 でも、一歩踏み出すことを躊躇する言い訳はもっと多くあって……どれも魅力的に思えたんだ。


 死なないから。

 今のままで大丈夫だから。

 みんなが何も言わないから。


 この環境というのは、このまま一生変わらないんだろう。

 



      ◆◇◆

 



「――そいつロー!! ロー!!」


 キーボードの叩く音と男の声が薄暗い部屋に響いていた。


 そんな皮肉にも綺麗とは言えない部屋に、男が一人いた。


 荒い息でモニターに釘付けになって。

 必死に右腕をマウスパッドの上に滑らして。

 画面上のキャラクターの重火器を振り回す。

 


「ナイスゥ!! やったぁー! チャンピョンだぁ!」



 モニターの向こうには、いつも刺激があった。

 今、日本で大流行をしているゲームのFPSゲームをネットのフレンドとする毎日が、唯一で無二の楽しみだった。

 

 敵を倒して盛り上がって、一位になって喜んで。

 休憩時間に雑談して、作業通話をしながらまた笑う。


 そんな毎日の繰り返しを――その男は、楽しんでいたのだ。

 


『ぜんっぜんローじゃなかった!!』



 男のヘッドホンの向こう側から聞こえてきたのは、可愛らしくもたどたどしい女性の声だ。


 キーンと耳に突き抜けたその声に、これといって特徴のない男――ミタはモニターの前で体を傾けた。

 短い髪の毛を揺らし、小さな達成感を噛みしめるためにヘッドホンをずらして首を上に持ちあげる。



「ローだったって……回復したんじゃないの?」



『――――ない!』首にかけたヘッドフォンから、断片的に聞こえてくる『ねぎねぎ』の声に、薄ら笑いを浮かべた。



 昔に買った白いTシャツには「ダメ人間」と黒い文字で書かれていて、現状の自分を皮肉るように皺が寄っている。

 その下には、高校生の時からお世話になっている黒いジャージがひょろ長い両足を隠してしまっている。


 両足だけではなく、上半身ももやしのようだ。


 『ひょろがり』という言葉が分かっていただけるならば、その言葉に服を着せたらミタという男になる。

 

 何も特別な見た目じゃあない。

 凡庸も凡庸。

 同じ顔や体型の人間はこの日本という国に大勢いる。

 キャラクターメイクならば、テンプレートの五番目くらいに用意されているだろう。



「――で、なに?」ミタはヘッドホンを付け直した。

 

『うええっ!? 聞いてなかったの……?』


「うん」


 返ってきたのは、少女から吐き出された小さな溜息だった。


『ワタシの話を聞いてなかったって? ミタさんすぐ突っ込んでワタシをおいてけぼりにするから~って言ってたの!!』


「違うね。ネギさんが遅いんだよ」


『違うよ! ミタさんが早いの!』


「まぁまぁ~、そんなに盛り上がらないでって」


 いつもの光景に仲を取り持ったのは、同じ通話に入っていた女性だった。


 むすぅと不満げな『ねぎねぎ』とは対照的に、ニヤニヤと笑ったミタはヘッドホンを机の上において、椅子にもたれかかった。

 その時に、右手を持ち上げて手首に刻まれた赤色の時刻を眺めた。


 ――《2031・8・5/23:54》――

 

「まだこんな時間、かぁ」


 数年前に発売された『内蔵型高性能情報端末』――通称:ドミネーション。


 スマートフォンにとって代わるように発表された端末は、なんと体内に埋め込まれている。

 当然、充電式なんて旧式ではなく、脈の小さな振動で半永久的に動くという代物だ。


「……」

 

 そんな『ドミネーション』が映し出す時刻の横――手首の右側――を触れると、アプリの通知欄が空中に薄く浮かび上がった。


 動画配信サービスの通知が五件も溜まっている。お気に入りのチャンネルが動画を投稿したのだろう。


(後で見ないとな……)


 他のソーシャルネットワークサービス――「SNS」からの通知は……



 ――ポコン!



 丁度、通知音が鳴ったと思うと、現在作動中のPCにも入れてある通話アプリのアイコンの右上に①と表示されていた。



 ――《ねぎねぎ さんからメッセージが届きました》――


 

『――――さん! ミタさん!』



 ヘッドホンは机の上に置いたというのに、『ねぎねぎ』の声はよく聞こえる。



『――送った――見て!』



 ミタは通知に触れて、手首から浮かび上がったホログラムを見た。

 それは同時視聴の案内だった。

 半年ほど前に映画化された大人気アニメが、動画配信サービスに出てきたのだ。


『これ見よ――』


「見るしかないっしょ」


『うわっ、えっ……がっついてきた……』


 普段は血の気がないミタの活き活きとした返事に『ねぎねぎ』はパソコン越しでも分かる程のドン引きをした。


「それずっと見たかったヤツ!」


 荒い息で話された言葉の後に、ガシャンと物が落ちた音が聞こえた。ヘッドホンを掴もうとして地面に落してしまったのだ。

 が、気にしている様子はなく。


「視ようぜ、パーティだ! ゲーム終わり!」


 机に据え置いているマイクから声が遠ざかりながらも、ミタの声は満面の笑みを浮かべていた。


『ミタさんがこんなにテンション高くなるの久々に見た……』


 自分で誘ったというのに困惑している『ねぎねぎ』の声に、皆のアイコンの周りが光った。

 ヘッドホンを拾い上げようとしているミタにその声は聞こえなかったが「うん」とか「そうだねー」とか「たしかに」とか「ダジャレかな?」なんて反応をしたのだろう。

 

『それって、どんな物語だっけ?』


「ハッピーエンドの代表格みたいな作品だぞ、知らないのか?」


『そんな感じだったっけ? でも、シリアスな物語が最近の流行りなのに』


 グループ通話のみんなからの質問攻めに、ミタはクソデカため息をつく。


「ハイハイ。なんかリアル志向な物語でしょ? もういいよ、そんなの。物語は物語だ、現実世界じゃない。そうだろう? ここまでいい?」


『うわぁ、オタクが早口で喋ってる』


『同族嫌悪やめろ~?』


『チーズが乗っかった牛丼が大好きです、某』


『あれは実際美味い』


「最悪、シリアスで、ギスギスしてても『バットエンド』じゃなかったらいい。頑張った奴らは報われるべきなんだ、分かる? どぅーゆーのう?」


『おーるおっけー、何も問題なし』


「よし、ならば視よう……って」


 ミタは机の上に置いてあったエナジードリンクを掴み、軽いことに気が付いた。


「うわ、ちょっと待ってて。飲み物取ってくる――……」


 置いていたヘッドホンから『ねぎねぎ』の催促の声が聞こえる中、ミタは二階の部屋から一階に降りて行った。

 


      ◆◇◆ 



『うふふ』


『ねぎねぎ? どうしたの?』


 『ねぎねぎ』の愛くるしい笑い声に、ミタがつけっぱなしで放置したパソコンの上で表示されているアプリの『うんちみたいな青色の絵の具のアイコン』の周りが光った。


『ん~? ふふ。なぁんにもないよ?』


 妖精がくすくすと笑うような『ねぎねぎ』の声。RPGならば周りに音符のパーティクルが出ているだろう。

 その声に反応を示したのは、


『ミタさんが乗ってくれてよかったね~』


 『角の生えた少女』をアイコンにしている女性だ。


『もー、そういうのじゃないって〜』


『でも嬉しそうだったよ? ね?』


『だよなぁ~』と話し半分で乗ったのは『魚人のアイコン』の男。


『そうだよなぁ~』


 ここのグループ通話のお家芸だ。

 話を流しながらも、さも聞いているかのような返答をする。

 普段なら『ねぎねぎ』は否定をしたり、流したりするところだろう。


 けれど、その時だけは『ねぎねぎ』のアイコン――ピンク色の髪でピンク色の瞳をしている可愛らしいオリキャラ――の周りが力強く光った。



「ウン……!」



 快活な少女の嬉しさ溢れる声に、通話アプリ内にいた大人たちは癒されたように声を漏らして――

 ノイズキャンセルに遮られた。

 


     ◆◇◆



 通話アプリが盛り上がっているのなんて露知らず、ミタは親が寝静まった後の一階を歩いていた。


 一日の24時間の内、一階で過ごす時間は飲み物を取りに来る時間だけだ。

 だから、明かりを付けずとも大丈夫。

 歩きなれたコースをミタは歩くだけ。


 できるだけ物音を立てず。

 両親を起こさないように。

 物音が鳴る木板の場所に注意しながら。

 いつもやっていることだ。

 失敗なんてしない。する訳がない。


「――――」


 冷蔵庫までもうすぐの場所にあるのは、母親と父親の二人が囲むにしては少し大きいほどの食卓だ。


 ここ数年誰も座っていない椅子は、それでも綺麗に埃が取り除かれている。

 けれど、机の上には父親が読む新聞紙置き場になっていた。

 


「…………」



 見慣れた光景をミタは歩いて、白い冷蔵庫に手を伸ばして――いつもあるはずのエナジードリンクが無くて、手を遊ばせた。



「…………何飲もう」



 暗がりの中、冷蔵庫から浴びせられる眩い光。

 目をしょぼつかせながら、手を伸ばしたのは封が開けられていた牛乳だった。


「映画鑑賞に牛乳かぁ……」


 ポップコーンと炭酸で喉を刺激していきたいところだが、なんともまろやかな映画鑑賞になりそうだ。


 でも、愚痴をこぼすことはしなかった。


 ただただ出鼻をくじかれたように、鈍重な動きで洗い物カゴにあったコップに手を伸ばした。


 ひょろながい手で掴んだコップに牛乳を注ごうとして――物音が聞こえた。

 それは、木の板が軋むような音だった。



「――――っ!?」



 親だ。

 起きて来たのか?

 いや、それでも、音はたてなかったはず――……。

 

(はやく、部屋に戻らないと――)


 焦るミタは感覚で牛乳をコップに注ごうとして……ミタの視界がぐらついた。



 ――なにが、起きて……?



 一瞬地震が起こったのかと思った。

 けれど、すぐに違うと分かった。


 自分自身がふらついていたのだ。


 ずっと座っていた人が立つと立ち眩みがあるというが、それにしては大げさすぎる。


 後ろ髪を、地面の下から伸びてきた手に引っ張られているような感覚だ。

 みぞおち辺りの重力が何倍にもなった感覚。



 ――なんだっ、これ!?


 

 コップに注ごうと思った牛乳が、

 的を外れてこぼれて、

 床に落ちていく。


 そこに意識が持って行かれると――キッチンは一つの物音も聞こえなくなっていた。



 ………………

 …………

 ……



 そして、ミタは気が付くと……水の中で溺れていた。





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