第4話 オーヴ


 滝から落ちた俺たちだが、なんとか助かった。

 滝壺の岸で安堵していると、白くて巨大ななにかが近づいてくる。


「なんだ?」

 なにかの気配がする。

 気配のするほうに目を凝らすと、クリスタルの青白い光が俺を包み込む。

 視界になにか白くて大きなものが近づいてくるのが見える。

 デカい翼を持つなにかが、地響きを立ててやってきた。

 きらめく白いたくさんの鱗に覆われた神々しき巨体。


「ど、ドラゴン?!」

 巷でも小型の竜をペットにしている連中はいるが、こんなデカいドラゴンだなんて……。

 確かにそういう生物がいるという噂は聞いたことがあるが、俺は全部が与太話だと思っていた。

 まさか本物が俺の目の前に現れるとは……。

 大きなサファイアのような瞳が俺たちを覗き込んでいる。

 敵意はあるのか?

 俺たちを食うつもりか?

 こんな状態じゃ戦うなんてできないし武器もない。

 これでは、万に1つの勝ち目もない。


「ワハハハハッ! 感じる、感じるぞ!  久しいオーヴの力じゃ!  ワシは長い眠りから覚めたぞぇ!」

 突然、目の前のドラゴンが人語を発した。

 ドラゴンってのはしゃべれるのか?

 そいつは噂にも聞いたことがなかったぜ。


 ミサを抱いたまま警戒していると、近づいてきたドラゴンが翼を広げ、そのまま俺たちの隣に伏せた。

 なにをされるのかと緊張して身体を固くしていると、ドラゴンが俺たちを抱えはじめた。

 目の前に巨大な白い爪がやってくると、クリスタルの青白い光がピカピカと反射する。

 いったい、これはどういうことなのか?


「俺たちをどうするつもりだ?!」

 言葉が通じるってことは、交渉や話し合いもできるってことだろう。

 それぐらいの知能があるって証拠だからな。

 不安な俺はクリスタルをそっと握りしめた。

 自分でも無意味な行動に思えたのだが、不思議と安心して落ち着き、石からなにか安らぎのようなものを感じる。


 俺の問に、ドラゴンが呆れたようにつぶやいた。


「やれやれ。無暗にオーヴを使い過ぎだ主殿。貴殿は疲労の限界がきているはずじゃ。少し休むがいい」

「オーヴ?!」

 彼の爪の先端が光るクリスタルを指した。


「これのことか?」

 彼がニヤリと笑うと、デカい爪の先端が俺とミサとの間に入ってきた。


「な、なにをする?!」

 ドラゴンが俺だけを掴むと、両翼を羽ばたかせて空へと舞い上がった。

 俺たちが落っこちた大きな滝が眼下に見える。


「おいこら! 戻せ! ミサがいるんだぞ?!」

 下を見下ろすと――川岸の樹の影から1人の黒装束が現れた。

 なにか武器のようなものを構えて、ゆっくりとミサのほうへと近づいていく。


「お、おい! 降ろせ!  彼女を助けないと!」

 俺はドラゴンの白い鱗を手で叩くのだが、びくともしない。


「主殿の望みとあれば仕方ないがのう…… 」

 こいつの興味は俺だけで、それ意外はどうでもいいらしい。

 ドラゴンがミサの上空を旋回し始めた。


 下では黒装束の男がミサを肩に担ぎ、こちらを見上げている。

 奴らはなに者なのか?

 やがてそいつは、そのまま奥の樹の影に消えた。


「おい! ミサがさらわれちまったぞ?!」

 ドラゴンが旋回を止めて、森の奥を見つめている。


「ふむ――近くに野営地があるらしいのう。テントが幾つか張ってある。そこの連中みたいじゃ」

 彼の言うとおり、近くに野営地があり、テントが見える。

 白い煙も多数昇っている――ということは、活動しているってことだ。

 軍か? それとも、あいつらも古代遺跡を調査しにきた探検隊か?

 そんなことより、ミサを助けねば。


「ミサを助けに行く! 野営地に行ってくれ!」

 俺はドラゴンの手の中でじたばたと暴れた。

 目の前に、彼のデカいサファイアの目がやってくる。


「ワシは反対じゃ。主殿の疲労が酷い。今、野営地に向かってもなにもできぬじゃろうて」

「それでもミサを助けねば……」

 気は焦っているのだが、強烈な眠気が襲ってきた。

 ドラゴンの声が子守唄の様に、波の様に揺らいで聞こえる。


「ミサを……ミサを助けなくちゃ....」

 睡魔と必死に格闘する俺に、彼が優しく笑った。


「オーヴをいきなり使ったわりには、よく身体がもったほうじゃ。さすが我が主殿じゃ」


 俺はそのまま気を失ってしまった。

 暗闇の中を漂っていた俺の目の前に景色が広がった。

 どこか大きなテントの中で、頑丈な檻の中に閉じ込められている。

 テントの入り口の隙間から、ライフルを肩に担いだ黒装束が通り過ぎるのが見える。


『ねぇ、ネロ。カイトが助けに来てくれるよね?』

 ミ、ミサか? なにをやってるんだ?

 もしかして、これはミサが見ている映像か? わけが解らん。

 それとも夢なのか?


 映像がネロに固定される。

 ネロは檻を背に片足の膝を曲げて檻にもたれて座り込み、膝上に腕を載せている。

 彼は落ち込んでいるのか、黒縁メガネで遠くを見つめている。

 やがてメガネをゆっくり外すと、ジャケットの内ポケットから取り出した布で、レンズを拭き始めた。


『ボクとしたことが油断した。ミサの魔法が消えて敵の野営地に落ちるとは。だが、カイトは捕まっていない。彼が頼りだ』

 ネロはメガネを拭き終わると、折にもたれかかり天井を見ている。

 映像は雑音とともにそこで途切れた。


 ――どれくらい時間が経っただろう。

 そんなことを考えていると、美味そうなにおいが漂ってきた。

 においに釣られて、俺はまぶたをゆっくりと開ける。


 俺の視界に女の顔が映った。

 目が大きくてかわいいが、知らない女だ。

 辺りを見回すと森の開けた場所だった。


 慌てて起き上がろうとしたのだが、視界がぐるぐると回ってそのまま倒れ込む。

 寝転がったまま女を見る。

 肩にかかるくらいの白いストレートヘアがキラキラと光っている。

 整った目鼻立ちで、瞳は吸い込まれそうなサファイアブルー。

 耳には青い滴形をしたクリスタルのピアス。

 服はノースリーブの白いワンピースで、白いショートブーツを履いている。

 胸の部分が開いているのだが――胸はない。


 彼女が俺の顔を不思議そうに覗き込むと、両手を腰に当てて歯を見せて笑った。


「わはは!」

「誰だ?!」

 俺は驚いて慌てて上半身を起こすと、寝ていた場所から転げ落ちた。

 どうやら、俺が寝ていたベッドは切り株の上だったらしく、木の香りがする。

 近くに木の枕もあったのだが、不思議にふかふかで柔らかい。

 枕の不思議な感覚で遊んでいると、突然の頭痛が俺を襲った。


「うっ」

 気分が悪くて吐きそうだ。

 女が近くにやってくると、腕を組み偉そうに仁王立ちをしている。

 頭を押さえながらうずくまり、俺は横目で彼女を見た。


「オーヴに選ばれし者にしては、まだまだ力の使い方がなっておらんの。お前はあれから二時間も気を失っておったんじゃ」

「お前は誰だ?!」

 頭痛が治まらない。

 徐々に変な汗が出てきた。

 女は馬鹿にしたように胸の前で両手を組んだまま笑っている。


「お前を助けたじゃろ? もう忘れたかぇ?」

「……もしかして白いドラゴンか? 人間に姿を変えたっていうのか? 冗談だろ?」

 やっと頭痛が治まってきたので、俺は切り株の上に胡坐をかいた。


「そうじゃ。それよりも――切り株ベッドの寝心地はどうじゃ? 木の枕も最高じゃろ?」

「まぁ、悪くはないが――」

 なにがなんだか意味が解らん。

 この幼女がドラゴン?

 そんなことがありえるのか?

 誰かが俺を担ごうとしているのか?


 いや――確かに女の子の目は、あのドラゴンと同じサファイア色だし、白い髪の毛もやつを彷彿とさせるのだが……。

 首を傾げていると、魔物の攻撃で受けた小さな傷も治っているのに気がつく。

 これも、こいつの力なのか?

 彼女が俺の胸のクリスタルをじ~っと見つめているので、反射的に握ってしまった。


「主が気にしていた小娘のことじゃが……野営地で檻に監禁されておるし警備も厳しい。迂闊には手を出せんのう」

 さっき夢で見た、ネロとミサのことだろうか?


「それは、本当なのか?!」

「ああ、間違いないのう」

「そうか……」

 さっきのあれは事実だってことか。

 その前にこの女は信用できるのか?

 いったい、なにか目的なのか?


「それでどうするのじゃ?」

「無論、助けるに決まっている」

「とりあえず、今の身体では無理じゃのう」

 確かに、こんなフラフラの状態では無理だろう。

 女は俺の前からいなくなると、木のテーブルの上に乗っていた土鍋を持ってきた。


「それより、腹が減っておるじゃろ? キノコ鍋を食うか? 美味いぞ?」

 幼女が俺の傍までやってきて、汁の入った椀を差し出した。

 そのにおいに、俺のお腹の虫が盛大に鳴る。


「毒は入ってないんだろうな?」

 俺の言葉に彼女が不機嫌そうな顔を見せた。


「助けてやったのに、その態度はなかろう? 言っておくが、ワシはお前をオーヴの主と正式に認めたわけではない。お前がオーヴの持ち主に相応しいか試しておるのじゃ」

「オーヴってのは?」

 幼女が黙って、俺の胸の所にあるクリスタルを指した。


「……」

「これか? これは一体なんだ?」

「使いかたを間違えば、この世界を滅ぼすほどの力を持っておる」

「こいつが?!」

「うむ!」

 幼女はなぜか誇らしげだ。


「助けてくれたことは感謝するが――お前は信用できるのか?」

「ふむ――それは信用してもらうしかないのう」

 それはそうだ。

 罠にはめるつもりがあるなら、わざわざ助けて飯の用意をするのも理屈に合わん。

 それに、目の前の幼女からは怪しい邪念も感じられない。


「解った――腹が膨れたら、色々と聞かせてもらっていいか?」

 俺は彼女から椀を受け取った。


「答えられる範囲で答えてやるぞぇ? ではでは、召し上がるとよい」

 幼女から木のスプーンをもらうと、汁を掬い一口啜った。


「美味い――」

「そうであろ!」

 彼女が俺の表情をみて嬉しそうに微笑んだ。

 肉は入っていないが、ぶつ切りにされたキノコが肉のようだ。

 不思議な食感のそれは美味い汁を吸い、口の中に溢れ出る。


「このキノコうめぇ!」

「そうであろ!」

 汁の味が問題なしと悟った俺は、勢いよくかき込んだせいで変な所に入ってむせる。


「ゴホッ! ゴホッ!」

 幼女が俺の背中を優しく擦ってきた。


「なんじゃ。もっとゆっくり食べんか。ほれ、これを飲め」

 彼女が木の水差しのようなものを取ると、木のカップになにかの液体を注ぐ。

 そいつを俺に差し出した。


 カップの中身を見ると色がついている。

 水ではない。

 思わず、においを嗅ぐ。

 クンカクンカ――花のようないい香り。

 おそるおそる一口飲むと――冷たい。


 そのまま勢いよくごくごくと飲み干してしまった。


「ぷは~! なんだこれ、うめぇ!」

 俺の言葉と表情に、幼女は満足そうだ。


「リップルの実の果汁じゃ。甘味と少し酸味があって美味いじゃろ?」


「美味い! 美味すぎる!」

 彼女がその場を離れると、なにかを持って戻ってきた。

 手に持った小さな桃色の実を自慢げに俺に見せる。


「これがリップルの実じゃ!」

 乱暴に突き出された桃色の実を取ると、俺はそいつを見つめた。

 初めて見る実だ。

 こんなものが、この森にはなっているのか。


「こんなに小さいのか!? リップルの実ってのは?」

「そうじゃ――この森は食材が豊富じゃからの。リップルの実は高い樹に実るのじゃ。栄養も豊富なので、森の動物たちの好物になっておる」

 幼女が腰に手を当てて、白い牙を見せて笑った。

 俺はもらった木の実をテーブルの上にそっと置いた。


「それは解った。それより、お前の正体は? 本当にドラゴンなのか?」

 俺はキノコ汁を啜りながら、彼女に質問した。


「ワシはラウル古代遺跡の番人ディーネじゃ」

「ディーネ? それが、お前の名前か?」

「そうじゃ! 魔力で人の姿に変えることができる」

「本当にそんなことができるのか?」

「嘘をついてどうする」

「そんなことを言われてもなぁ……」

 あの質量が、この幼女になると言われても、余分はどこに行ったんだ? って話になるだろう。

 そんなことも言えず、俺がゴニョゴニョしていると、彼女の話は続いた。


「そのオーヴはかつてラウル帝国の古代王が身に着けていた物じゃ。わらわは古代王に仕えておった」

「ラウル帝国って本当にあったのか?」

「もちろんじゃ」

「その帝国も、今となっては呪いですっかり深い森になってしもうたのう」

「呪い……」

 俺はキノコ汁を完食すると、椀を木のテーブルに置いた。

 不思議と疲労は取れて力がみなぎってくるのが解る。


「なんだこれ?! 腹いっぱいになったら、すごく調子がいいぞ?!」

「ワシの秘伝の鍋とジュースじゃ。回復の効果がある」

「すげー! 魔法かよ」

「まぁ、そのようなものじゃな! どうじゃ、こっちのほうも、たぎってくるじゃろ?」

 ディーネが俺に抱きついてきて、俺の身体をなで回す。


「悪いが、子どもには興味がなくてな」

「誰が子どもじゃ!」

「まぁ、本当は婆さんみたいだしな」

「誰が婆さんじゃ!」

 身体が元気になったのはいいが、まだ疑問はある。


「それで、なんで俺がオーブの持ち主になったんだよ? こいつは俺の爺さんがラウル古代遺跡で採取したんだぞ」

 俺の言葉に、ディーネという幼女が難しい顔をしている。


「オーヴは神殿の最深部にある台座に嵌めてあったはずじゃが……お前の爺さんが持ち去ったのかの?」

「爺さんの記録では、そうなんだが……盗んだものでも、俺が持ち主ってことになるのか?」

「う~む」

「爺さんの形見ではあるが、元の持ち主が返せと言うなら、俺もやぶさかではないが……」

「それもそうなのじゃが……だいたい、なんでワシは封印されてたんじゃろ?」

 自信満々だった幼女の言っていることが、徐々に怪しくなってきた。


「そんなの俺が知るかよ」

「ああもう、訳がわからんわい!」

 彼女は頭を抱えて、白い髪をくしゃくしゃにしている。


 爺さんが、こいつを手に入れた経緯がまったく不明だ。

 爺さんからはなにも聞いていなかったが、盗掘団などの悪事に手を染めるような年寄りじゃねぇし……。

 いや、正式な調査で発掘したものじゃないなら、盗掘は盗掘だな。

 俺が唸っていると、頭上でなにかの音がした。

 顔を上げると――今まで気付かなかったが、俺は青白いドームの中にいたらしい。

 そいつの天井にひび割れが走っている。


 なんだこりゃバリアか? そんなものが張ってあったのか?

 俺のケツに重い地響きが伝わり、コップと椀がテーブルの上で踊った。

 遠くで爆発音が聞こえる。

 その音が響くたびに、青白いドームのひび割れが大きくなっていく。


「これって大丈夫なのか?」

「大丈夫ではないの」


 のんびり飯食ってる場合じゃねぇ。


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