第981話◆そこに在る者

 空高く舞い上がれば太陽に近くなるので暑い?


 馬鹿なっ! 高い所にいけば気温が下がるもんだろ!?


 なのに何だこの暑さは!?


 ディールークルム君の翼が暑さで溶けることはないだろうが、暑さで俺達が蕩けてしまいそうだ。



 太陽に近付くほど暑くなるはずなんてないはずなのに、真夏の空は太陽をすぐ傍に感じるほどの暑さ。

 これが高い雲の上ほどの高さなら、暑さではなく寒さだったのだろうか。


 俺達がディールークルム君に乗って飛んでいるのは、鳥達が近くに見える高さ。

 ディールークルム君の背中から下を見下ろせば、緑の絨毯のように広がる森の上を大型の猛禽類らしき鳥が舞うように飛んでいるのが見えた。


 眼下に広がる森は当たり前だが、先日見た真っ暗な夜の森とはまったく違う印象で、明るく夏の光を浴びて生き生きとした緑の輝く森とその上空を舞う鳥の姿は、ここが箱庭の中であれどそこにはすでに生命が芽吹いていることを実感させられた。


 その緑に輝く森の先、ディールークルム君ゆっくりと羽ばたきながら進んでいる方向、俺達の前方には眩しい夏の太陽に照らされる中に薄らと黒い靄が溜まっている場所が見える。

 そこが今日の目的地、そして明日決戦の地となる場所――あの割れ目がある場所だ。


 振り返れば森から大きく突き出した超巨大な樹、ユグユグちゃんの姿が見える。

 もうかなり離れているのだが、俺が振り返ったことに気付いたのだろうか、それともただの偶然だろうか、巨大な樹がサワサワと揺れたように見えた。



 ティータイムの後片付けを終えた後、俺達はディールークルム君の背中に乗ってあの割れ目上空を目指していた。

 心配症のディールークルム君に蔦でグルグル巻きにされて。


 ディールークルム君のすぐ横には、元気に飛んでいるチュペと風に漂うようにフワフワとついてきているケサランパサラト君。

 ケサランパサラト君は相変わらず風に吹かれて酒臭さが漂ってくるが、ラトが作ったガーディアンが同行してくれていると思えば心強い。

 ラトは日頃酔っ払ってゴロゴロしているが俺達なんかよりずっと強い存在だから、そんなラトが作り出したガーディアンならきっと多分おそらく強いに決まっている。

 出会った時のようにうっかり火の粉で引火するようなことがなければ……きっと多分……おそらく……。


 夏の晴天、雲は視界の遥か彼方にちょこっとあるだけで、強い直射日光が容赦なく俺達に降り注いでいた。

 それはまるで太陽に近付いてしまったが故に、その熱に晒されているような感覚。

 だがその熱を感じるほど、今は強い光の魔力で世界が満たされているのだと実感できた。


 いける、気がする。

 これだけ明るいなら、これだけ熱いなら、これだけ世界が明るさに満ちているから。


 降り注ぐ眩しい光に目を細めているうちに前方に見える黒い靄がだんだんと近付き、そして気付く。

 遠くから見た時は薄らしかないと思っていた黒い靄が俺が思っていた以上に濃いものだったと。

 それでもまだ距離があるためか、それとも昼間だからか、その黒い靄は夜に見た時ほどの重厚さを感じることはない。

 ただ、これだけ強い光の中でも蹴散らされることなく、発生地付近を薄らと覆う黒い靄に不気味さを覚えた。


 近付けば近付くほどはっきりと見える。

 割れ目からガスのように吹き出した靄が、周囲の森を飲み込むように広がり、広がるほどその密度は薄くなり光に照らされて消えていく様が。


 いや、消えていっているのではない。

 身体強化で視力を上げて消えていく靄を見ると、広がって薄くなった靄は黒い塵のようになってフワフワと風に流されて散り散りになっているだけだ。

 そして黒い塵はフワフワと漂った後、俺の視力でも見えなくなる。


 おそらく消えたのではなく、小さくなってどこかに紛れ込んだだけ。

 沌特有の境界を曖昧にする性質で、何かの中にこっそりと取り憑いただけ。

 それはきっと思ったより高範囲に、風に乗ってどこまでも遠くまで飛んでいってこっそりと何かにくっ付いていき、その先で――。



 グラッ!



 視力を上げ小さな黒い塵を目で追うことに気を取られていて、もう随分割れ目に近付いてきていることに気付いていなかった俺は、突然の大きな揺れでハッなって自分の周囲に意識を戻した。

 大きく揺れたのはディールークルム君が急上昇したから。

 背中に乗っていた俺達は蔓でしっかり固定されていたので誰も落っこちることはなく無事。

 アベルとカリュオンにガッチリと腕を掴まれたけれど。


 ははは、急上昇でビックリしたのかなぁ?

 ディールークルム君の蔓のシートベルトがあるから大丈夫大丈夫。

 しかし何故突然の急上昇?


「うっわ……何あれ。とりあえず聖属性の魔法で攻撃しちゃうよ」

「沌の魔力が濃すぎて靄状になってるだけじゃなくて、形になる直前か……こんな真っ昼間なのにな。こっちにきたのは俺達を狙ってか、それとも沌と相性のいい闇のガーディアンを狙ってか」

「とりあえず、聖属性の障壁を張りますね。沌の魔力だから聖でいいですよね」


 急上昇するディールークルム君の背中からその理由を突き止めるため周囲に視線を走らせ、すぐに理由に辿り着いた俺の耳にアベル達の声が入ってくる。

 うっわ、何だあれ? とりあえずやっちゃって。そしてバリアもお願い。

 レンジ弱者の俺とカリュオンは応援しかできないけれど。


 大きく揺れた原因――眼下からこちらに向かって伸びてくる黒い靄の固まり。

 吹き出した場所から漂い広がるものの中から、明らかにこちらを目指して集まり固まりながら伸びてくる黒い靄の固まり。


 高速で伸びる黒い靄の固まりはこちらに近付きながら、その形がどんどんはっきりとしたもの――人の手の形になり、急上昇するディールークルム君を追いかけてきている。

 それが一つではなくいくつも。

 森の中から黒い狼煙が上がるように黒い靄が集まり筋となり、その先端が人の手の形となって、確実にそこに意思を感じさせながらこちらに迫ってきている。


 それから逃げるように急上昇するディールークルム君。

 しかし背中の俺達を気遣ってか、それとも光の魔力が強い昼間故に闇の魔力が弱まるからか、その上昇速度は迫って来る黒い手の速度よりも遅い。

 このままでは追いつかれ捕まってしまうのは確実。

 そのことを即座に察したアベルが、聖属性の光の矢を雨あられのように伸びてくる黒い手に降らせ始めた。


 黒い手は黒い靄の集合体、そして発生源からは距離があるためかそこまで強度はないようで、アベルの放った聖属性の光の矢が当たると当たった部分とその周囲がパァンと弾けて黒い塵となって飛び散る。

 だが弾けて残った部分が再び手の形となりながら伸びてくる。そして飛び散った黒い塵も全ては消失せず残ったものが伸びてくる黒い手に吸収されてその質量となる。


 アベルの舌打ちが聞こえて、黒い手の群れに向かい降り注ぐ聖属性の光の矢が土砂降りの如くになる。

 だがそれでもやはり残った部分から伸び、飛び散った残骸がそれに吸収され復活する。中には光の矢の土砂降りを掻い潜りながら迫ってくるものもいる。

 その迫ってきたものは――。


 パァンッ!!


 ジュストが即座に展開した聖属性の障壁にぶつかって弾け、黒い塵となって周囲に飛び散る。

 しかし周囲に飛び散った塵も弾けず残った部分も、アベルの光の矢に貫かれた手と同じように再生しこちらに伸びてくる。


「森に溜まっている黒い靄から無限に生えてくるなぁ。あれが森を覆ってる限り空から近付くのは難しいってか? 引我応砲なら吹き飛ばせるかもしれないが、森まで吹き飛ばしそうだしなぁ。いてっ! わかってる、わかってる、そんなことしねーから! ハイエルフ秘伝の聖槍ロンギヌスもどきは腹が減るからやりたくねーしなぁ。やったとしても割れ目から無限に沌の魔力が湧いてくるなら、あまり効果はなさそうだしな」

「ピエエエエッ!! ピエエエエエッ!」


 ここでカリュオンの盾をぶん殴って、引我応砲を撃たせるという選択肢もあるっちゃあるだろうが、引我応砲は聖や光属性の攻撃だとしても生きものにも当たるから森林大破壊になってしまう。

 ほら、ケサランパサラト君がもう攻撃をして小さな毛玉をカリュオンに投げつけ始めたぞ。


 ていうかカリュオンは確か、超浄化能力のある聖属性の魔力の槍を作り出す魔法が使えたよな?

 食材ダンジョンから帰ってきた時に、ジュストのローブの効果を検証しようとしてそのヤッベー聖なる魔力の槍を投げつけたら俺はちゃんと覚えているぞ!!

 ディスペル系、つまりアンデッドにしか効かない槍と言っていたから森を傷付けることはないし、強烈な聖の魔力だから沌の魔力を中和して打ち消すことができそうだからそっちでよくないか!?

 そうそう、聖槍ロンギヌスもどき! そんなことをあの時叫んでいたな! ってもどきであの性能かよ!!


 あれなら地上に溜まる沌の魔力を一時的に祓えそうな感じだが、その沌の魔力が割れ目から無限に湧いてきている限りカリュオンが魔力を大量消費した攻撃も意味がないだろう。

 ならばもう無理はしない方がいい、明日もディールークルム君の力を借りず割れ目には地上から近付くしかなさそうだ。

 

「これは撤退するしかなさそうだな。ディールークルム君、無理せず引いてくれ」

 あの黒い手に捕まればディールークルム君ごと地上に引きずり降ろされ、あの沌属性の魔力が覆う森の中を対策もなしに徒歩で移動することになりそうだ。

 そして沌と相性のいい闇属性のディールークルム君はまたアイツに侵食されてしまうかもしれない。

 偵察はここまでか。


 撤退を口にした時、ディールークルム君の高度は元々飛んでいた位置より遥かに高い場所で、その高さから割れ目の中がはっきりと見えた。


 明るい夏の日差しに照らされ緑に輝く森の中に、光も黒以外の色も全てを吸収するような漆黒が異様な存在感を放っていた。


 その奥に在るものの存在感を誇示しながら。


 そしてあの時にも見た赤い二つの光がそこに在り、確実に俺達の姿を捉えていることも確信する。


 直後、地上から伸びてきていた黒い手が急加速してこちらに迫ってきた。




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