第931話◆閑話:ハイエルフの時間、人間の時間
俺にはわからない魔導具や器具が雑然と置かれているモールの工房で、皆作業に集中し無言になっている。
先ほどまでは箱庭にいたやっべー沌属性のナニカの話を親父達にしていたのだが、それが終わって俺以外が作業に取りかかると、細工や魔導具の作成はもちろんのこと、付与もあまり得意ではない俺は皆の作業をボーッと見ているだけになってしまった。
グランが置いていった薬草味のクッキーをボリボリと囓りながら。
グランならこの作業に混ざって楽しんでいそうだな。
いや……グランなら、人間ではあまり目にすることのないハイエルフの付与技術を見て大はしゃぎをして作業の邪魔をしそうでもあるな。
残ったのがアベルだったとしても、きっと親父が付与に使う言語に夢中になってそうだな。
さっきも親父とよくわかんねー文字の話で意気投合していたし、アベルが残っていたら作業をしながら親父を質問攻めにしそうだな。
……やっぱ俺より、グランかアベルが残った方がよかったのでは?
ちょっとグランに作業の邪魔をされるか、アベルに質問攻めにされるかになりそうだが。
俺は親父とは基本的に話が合わない。
親父が得意なことは俺の苦手なこと。俺が得意なことは親父の苦手なこと。
付与は苦手だし、言語にも興味はねー、魔導具は使う専門。
ハイエルフが得意なことは全部苦手。
それらを身に付けて得意になる前にやめてしまったから。
親父にそっくりなのは顔だけで十分だから。
親父と同じになりたくなかったから。
同じことをやって親父に勝てないのがいやだったから。
俺は親父が得意なこと――ハイエルフ達が長い時間を掛けて習得することを途中で投げ出した。
それもこれも、俺は親父と違うのだと思いたかったから。
それに文字や付与や魔法を学ぶより殴っている方が楽しかったから。
だからやっぱり俺は親父とは違う。
親父とあまり話さなくなったのは、お袋の老いが目に見えてわかるようになった頃。
親父は魔法や魔導具、それに関連する古い言葉が好きでその研究に夢中になることが多かった。
夢中になる――エルフの時間の感覚で。
エルフの感覚ではたった数年、数十年。
人間の感覚なら数年も数十年も。
親父がそれに気付いた頃にはお袋の寿命はもう半分以上が過ぎていた。
残された時間は――。
人間の感覚ならまだ数十年。
エルフの感覚ならたった数十年。
お袋はとっくにそれに気付いていたが、笑って親父を見守っていた。
それに気付いた親父は無表情で無言で、でもお袋と過ごす時間は多くなっていた。
親父が後悔しているのはすぐわかったが、親父が表情が乏しくて口数が少ないのも知っていたが、お袋に残された時間が短くなるほど、もっとお袋と話せよとか感情を見せてやれよと思うようになった。
そしてそれはそれができない親父への反発になり、お袋の寿命が尽きた時頂点になり、お袋がいなくなった後相変わらず無表情で無口な親父のことを親父と呼ばなくなった。
それはお袋の死に対して親父が悲しみ後悔しているのだということはわかっていた。
だけど無口で無表情で感情を表に出さないから、時々疑いたくもなる。
わかっていても疑って、親父に反発したくなる。
そしてわかっていたとしても、やはり親父を責めたくなる。
後になって後悔して悲しむなら、どうして生きているうちに後悔しないように行動したなかった?
でもきっと親父もそれくらい俺が言わなくても、すでに気付いて後悔している。
そう思うと何も言えなくて、かといって親父に対する反発は消えるわけでもなく親父とは話したくもなくて、それは気まずさとなって必要なこと以外親父と話さなくなり、その後はハイエルフの感覚で時間が過ぎていき、親父との溝が埋まらぬまま俺は里の辛気くささに耐えきれずハイエルフの里を出て人間社会で冒険者になり、気付けばお袋の死後数十年が過ぎていた。
その間、親父に会うのは毎年お袋の命日の頃だけ。
その時だけは毎年欠かさず里に帰り、お袋の墓にいく。
そして、あまり大きくないハイエルフの里で親父にも遭遇する。しかし会話はあまりすることなく、俺はまた里を出て人間の町へと帰る。
お袋が今の俺達を見たらどんな顔をするだろうか?
いや、お袋がいたら笑って強引に俺と親父の間にできた溝を埋めていただろう。
だがもうお袋はいなくて、溝を埋めることができるのは俺と親父だけ。
今の俺と親父の関係は間違いなくお袋の望まないことだというのは頭ではわかっていた。
だけどどうしても親父と話すことができなくて、親父との間にできた溝は埋まるどころか広がり続けた。
里を出て人間社会で冒険者になり数十年。
人間の感覚なら数十年も、ハイエルフの感覚ならたった数十年。
俺の齢は百は超えても二百には満たないくらい、百年も生きない人間から見れば人間の寿命を超えて生きる長寿種、千年生きるハイエルフから見ればまだたった百年と少ししか生きていない若者以下の子供。
人間の中では圧倒的年長者で、エルフの中では圧倒的に若輩者。
ハーフエルフの俺の中には、ハイエルフの時間と人間の時間という、別々の時の流れがあった。
里を出て人間の中で生きるようになった俺は、見た目からは若者扱いをされるが、実際に生きた齢から年長者として行いや知識を求められることも少なくない。
ぶっちゃけ里から出てきたばかりの頃は人間社会のことを知らなすぎて、今では考えられないようなやらかしのオンパレードだった。
ああ……そうそう、それこそ王都の冒険者ギルドで姿を見るようになった頃のグランのような。
……いや、爆発物も投げないし所構わず土砂や水を使った攻撃もしたことはないし、よくわからない知識でとんでも爆発物は作らないので、あれよりはかなりマシだな。
だが年長者としての振るまいを求められるならそれに応えねばと思う、そして人間より長く生きているというハイエルフのプライドはハーフの俺にも少しくらいはあった。
辛気くさいハイエルフ達のように他者を拒むような態度はしないようにしつつも、長く生きているものらしく大人であろうと心がけた。
何よりも生前のお袋の在り方に憧れていた俺は、お袋のように強くて頼りになってどんな時も笑って周りまで明るくするような大人になりたかった。
森に引き籠もりの世間知らずで、親父に反抗してハイエルフとしての技術も知識も能力も半端まま里を飛びだしたハーフエルフのガキが、憧れ続けたお袋のような大人を演じようとしているだけ。
それが俺だ。
最初はそれを演じるのに必死だったが、人間の中で何十年も暮らしているうちにそれが当たり前になり、それが俺になっていた。
そんな俺のことを俺は嫌いではなく、人間の中で過ごすうちにすっかり大人になったと、そしてお袋に少し近付けたと思っていた。
自分の中にどうしても制御できない子供じみた感情があることに気付きながらも、それを見ないふりをしながら。
その子供じみた感情は普段は心の奥に引っ込んでいているのだが、ハイエルフの話になるとそわそわとし始め、里に引き籠もっている年寄り連中――とくに親父を思い出す話になると、棘のある言葉となって姿を現す。
そして親父を前にすると、それはもう制御できなくなりチクチクとした態度と共に嫌味となって口から溢れ、しょうもない嫌がらせという行動を取ることもある。
他人から見るとくっそ恥ずかしい子供じみた態度なのは自覚しているのに制御できない。
人間から見ると百年以上生きているいい年したエルフがガキみたいなことをしているのは、恥ずかしい以外の何でもない。
今日もそう。
グラン達と一緒にモールの工房にきたら、何故か親父がいた。
予想外のことに驚きすぎて、感情を全く制御できず情けない姿をグラン達に見せることになった。
いつまでも大人になれない俺の、クソガキの部分。
感情を全く制御できないまま、せめて余計なことを口にしないように黙っていようと思ったのに、つい反応して余計なことを言ってしまう。
そして俺とは会話の少ない親父が、初対面のアベルと古臭い文字の話で盛り上がっている。
会話に消極的なはずの親父が、自分の知らない文字を知るグランにめちゃくちゃ詰め寄っている。
苔玉も俺の肩から下りて親父達の会話に参加しちまってるし、焦げ茶ッ子もノリでそっちにいってしまっている。
モールだけはマイペースにクッキーを摘まんでいたな。
その光景に、自分の中であまり経験のない感情が渦巻くのを感じた。
それは多分、俺の中にある子供っぽい感情よりも更に子供っぽくて醜い感情で、絶対に表に出してはいけないもの。
その感情にすぐに気付いたけれどどうしようもなくて、だんだん膨れ始めた表情に出そうになり、親父達の話が途切れた時を狙ってグランを連れて外に出た。
一人でいけばよかったんだけどな。
だけど一人になると、制御できなくなった感情が更に暴れ出しそうだったから。
なんとなく一人でいるのは辛い気がしたから。
グランならこういう時、空気を読んで何も聞いてこないから。
でも聞いて欲しいと思ったら、黙って付き合ってくれそうだから。
グランはそういう奴。
まだ若い人間でガキっぽい行動をしているなと思えば、突然妙に落ち着いたおっさんみたいな面もある。
人懐っこいわりに、あまり深くまでは踏み込んでこない。
そして気付いたら、何十年も溜め込んでいたものをグランの前で愚痴として吐き出していた。
おっかっしいな、グランは自分よりずっと年下の人間のはずなのに時々すっげー大人に見えるんだよな。
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