第926話◆人間とハイエルフの狭間で
タルバに教えられた道で地上に出て、水の気配のする方向に少し歩くとすぐにあの湖に到着した。
森の中にあるあの湖、そこを境に手前と奥で森の雰囲気がガラリと変わる。
ラト曰く、ここから先は森に棲む者の領域、つまり人間以外の者達の領域。ここから先に資格なき人間は立ち入ることができないらしく、この森の奥に進もうとする人間は森の入り口とこの泉の間をグルグルと彷徨うという森を守る魔法がかけられているらしい。
俺がラトと初めて会ったのもこの湖だった。
心地良く澄んだ空気は、この周囲が聖属性で満たされているから。
真夏だというのに心地の良い涼しさのある風が吹き抜ける湖畔に、風に吹かれ森の木々がサワサワと揺れる音が穏やかに響き、先ほどまでのアベルとアミュグダレーさんの圧で疲れを感じていた心を穏やかな気分にしてくれる。
俺とカリュオンはとくに会話を交わすことなく湖の近くまできて地面に腰を下ろし、吹き抜ける風に波立つ湖面を無言のまま眺めていた。
それは気まずい沈黙ではなく、心地の良い沈黙。
お互い何も気を遣うことなくただ無言で気持ちの良い風に吹かれながら、木々のざわめく音と水面が波立つ音をただただ聞き流していた。
それだけで心が落ち着いていくから。
今はただ、話すのも忘れてボーッとしていたい気分だったから。
話したくなれば適当にどちらかが口を開くはずだから。
沈黙が気まずさではなく、心地の良さになる場所だから。
「わりぃな、グラン。親父が――いや、俺もだな。くそっ、ついガキみたいなことをしちまった」
しばらくボーッと湖を眺めた後、先に口を開いたのはカリュオン。
決まり悪そうにクシャクシャと頭を掻いた後、両手で頭を抱え込んでしまった。
「そうか? 俺から見たらカリュオンはすっげー年上で大人つか兄貴みたいな存在だけど、アミュグダレーさんって長老っていうからにはハイエルフでもめちゃくちゃ長生きなんだろ? そんなん、俺もカリュオンもガキみたいなもんつかガキじゃん」
それにガキっぽいカリュオンは新鮮だったし。
というのは口にしなかったけれど、カリュオンの意外な一面を見て親近感を覚えたのは確かだ。
防御に特化しているだけではなく火力も高くて、物理だけではなくて魔法も使えて、超コミュ力の持ち主でムードメイカーの時もあればパーティーの参謀みたいな時もある、長生きしている分経験豊富でどんな時でも冷静、欠点なんかない完璧ハーフエルフだと思っていた。
自分とはまるで違う存在。絶対に追いつけない存在。完璧すぎる存在。器用貧乏ではなく万能。
すごすぎるカリュオンを、どこか別次元の存在のように感じていた。
実際強さは俺とは別次元なんだけど、一緒にふざけてくれる親しみやすい性格も俺達に合わせてくれているだけではなんて思う時もあった。
でも完璧に見えていたのはカリュオンがそう見せていたから。そう在ろうとしたから。
俺達から見て理想で完璧なタンクは、カリュオンにとっても理想で完璧なタンクだから。
完璧に見えるカリュオンにもホントはちょっぴりガキんちょな面もあって、それを俺達に見せないようにしているけれど、どうしても抑えられない感情があると素の部分が出てきてしまうこと知ったら、絶対に手が届かないくらいに完璧だと思っていたカリュオンが、思っていたより近い存在に感じた。
「あーくそっ! 何年生きてんだっていう……! グラン達の何倍生きてるっていう……人間なら爺さん婆さんの歳をとっくに越えるだけは生きているのにな、感情の一つもコントロールできないなんてなっさけねぇ! はー……ホントかっこ悪ぃ……まぁ、確かに親父からしてみれば俺もガキみたいなもんだけどな……あー、悔しっ! 大人になりてぇ……大人になって追い抜きてぇ……」
バタンと後ろに倒れ、目の上に腕を置き悔しそうな表情を隠すカリュオン。
いつも大人のカリュオンをガキんちょみたいな態度にさせるアミュグダレーさんは、カリュオンよりもずっと大人だから。
いや、カリュオンが自分が子供の面を見せていい相手だと、反発しながらも無意識に思っているから。
カリュオンがまだ子供でいてもいい相手だから。アミュグダレーさんにとってカリュオンは、いくつになっても子供であることは変わりないから。
それはカリュオンが漏らした言葉にも表れている。
カリュオンとアミュグダレーさんの間で何があったかも、どんな溝があるのかもわからないけれど、カリュオンは決してアミュグダレーさんを嫌いじゃないことはわかる。
アミュグダレーさんも間違いなくカリュオンのことを嫌いじゃないということも、先ほどまでの少ない会話から感じていた。
ただどちらも気持ちを上手く伝えられなくて、すれ違っているのだろう。
それは俺がどうにかできることではないし、俺が首を突っ込んでも拗れるだけだろう。
だから俺にできるのは――。
「悪ぃ、超かっこ悪ぃ愚痴がいっぱい出てきそう。外に引っ張り出したのは俺だから悪いんだけど、嫌なら先に戻ってくれ」
「いんや、嫌じゃない。むしろカリュオンのそういう面が見られたのは嬉しいかも。カリュオンが嫌なら先に戻ってるけど、そうじゃなかったら吐き出せる時に愚痴っとけよ。横で聞いてるくらいならできるぜ」
恰好をつけて俺もカリュオンと同じように後ろに倒れると、短い草の絨毯が俺の体を受け止めてくれた。でも草の下の地面にはゴロゴロと小石が転がっていてちょっぴり背中が痛かった。
「ちぇ、グランはだいたいクソガキみたいなくせに、時々妙に大人みたいな時があるよな。ま、これは俺の独り言だから長い話を聞くのが苦手なグランは居眠りをしててもいいぜ。ていうか、改めて話すとなると恥ずかしいから、すぐに居眠りしろ」
「褒めてんのか、貶してのかわかんねぇ褒め方はやめろ。ちくしょー、途中で寝ても怒るなよー」
地面には小石がゴロゴロしていて寝っ転がった背中は痛かったけれど、吹き抜ける風とサワサワという木々のざわめきは相変わらず心地良かった。
ポツリポツリと始まったカリュオンの話は、もう随分昔に亡くなったカリュオンのお袋さんの話。豪快な性格でいつも笑顔だったお袋さんの話。
カリュオンの性格は母親似なのだとかなんとか。
ああ……話の感じからして、似ているというか似せているのだろうな。
だがそれを自然に苦もなくできるのなら、やっぱりそれがカリュオンの性格。
カリュオンの話から伝わってくるカリュオンの性格と強さのルーツ。
愚痴を吐き出しているだけだとしても、それを教えてくれるのはカリュオンが俺のことを信頼してくれていて、また俺もカリュオンを今まで以上に信頼できると思えた瞬間だった。
そしてそんなお袋さんとは正反対の無口で寡黙な親父さん――アミュグダレーさん。
いつもはお袋さんがずっと喋って、アミュグダレーさんがそれを黙って聞いているような構図で賑やかな家庭だったようだ。
だけどアミュグダレーさんが自分の趣味――言語や付与の研究に熱中し始めるとお袋さんは話すのをやめ、アミュグダレーさんの趣味の邪魔をしないようにしていたとか。
何かに熱中すると時間を忘れがちなアミュグダレーさん。その時間の感覚がハイエルフ感覚で、年単位で古い書物の解読に夢中になることもあったそうだ。
年単位――それは人間が年老いるには十分な時間である。
それは長い時を生きるハイエルフにはあっという間の時間。
その長い時を知る前に人間の時の限界を知ってしまったカリュオンと、人間の時の短さを知りながらもそれを実感したのがお袋さんの時が終わりに近付いた頃だったアミュグダレーさん、お袋さんの死と共に二人の間にできてしまった溝が今も消えることなく残っている。
顔に出さずとも言葉にしなくとも、アミュグダレーさんが奥さんのことを深く愛していて、彼女がいなくなったことを誰よりも悲しみ、彼女の生きている間もっと時間を彼女のために使えばよかったと後悔していることはカリュオンもわかっている。
でも言葉にしないから、感情を表に出して取り乱さないから、それが本当なのか不安になる。
お袋さんの死を悲しんだのは自分だけではないかと思ってしまう。
そんなことはないと頭の中でわかっていても、感情は別物なのである。
そうしてできたわだかまりが反発と気まずさになって、アミュグダレーさんと会話をすることが減り、父と呼ばず長老と呼ぶようになり、里を出てからはお袋さんの墓参りの時期以外は戻ることはなくなって、もう何十年もまともに会話をしていないという。
や、拗れすぎ。
だけど修復はできるよ、必ず。
決して憎しみ合っているわけじゃないから。
すぐには無理でも時間はまだまだあるから、エルフの長い時間が。
余計なお世話はしない方がいいと思いつつ、やっぱり余計なお世話をしたくなるな。
どうしようか? カリュオンともアミュグダレーさんとも仲が良さそうな苔玉ちゃんに相談してみようか?
仰向けに寝っ転がりカリュオンの話を聞いている間、吹き抜けていく風が気持ちよくだんだんと眠くなってくる。
話しているカリュオンも欠伸混じりになってきている。
こんなに気持ちいいと、少しくらい素直になれる気がしてこないか?
ああ、戻ったら少しだけツンツンをやめてみたらどうかな?
魔導具作りをしながらなら話すきっかけはたくさんあるだろう。
だから少しだけ居眠りをしたら、工房に戻ってアミュグダレーさんと魔導具の話の続きをしよう。
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