第918話◆閑話:陸に上がった亀と今を知る女神――後
「カカカカカカカカメーーーーーーーーーーッ!!」
カカカカカカカカーーーーーーーメエエエエエエエーーーーーーー!!
視界が急に流れたのは、すっかり本来の姿になったポンコツ女神が風の魔法で急上昇したから。俺様を巻き込んで。
びっくりして子亀に戻ってポンコツ女神のワンピースに張り付いたが、ポンコツ女神はそんな俺様に気付いても気にすることなく上へと上がっていく。
そして途中の枝に一度着地。しかしすぐにピョーン。
今度は俺がワンピースに張り付いているからか魔法を使わずに脚力でピョーンと跳んで、そのまま樹を駆け上がっているぞおおおおお!!
おい、ポンコツ女神! その細い体のどこにそんな力がある!? まさかワンピースの下はムキム……カメエエエエエエーー!! 突然風魔法で上昇気流を作ってピューッと急上昇するんじゃねええええ!!
ちくしょうめ! 赤毛の家にいる時はちっこいし、三人揃ってポンコツ非常識なのですっかり油断していたわ!
そーだよ、こいつらは女神だよ!! こんな力があるのなら、俺様のお守りなんかいらねーじゃねーか!!
……ああ、そういえばラグナロックに聞いたことあるわ。
こいつらは本体である樹から離れると、だんだん幼くなって力が弱くなり樹に近いほど本来の力をできるようになると。
ここはユグドラシルの樹の上、つまり女神達が最も発揮できる場所。
赤毛の家ではポンコツで弱っちくて、守ってやらなければ少し強い奴らにすら敵いそうもない女神が、女神らしい力を発揮できる場所。
だとしてもポンコツ女神より俺様の方が強いに決まっているのだが、突然の急上昇は偉大な古代竜だってびっくりすのだ!!
おっおっおっおっ俺様は空を飛ぶことに慣れていないからびっくりしただけで、高い所が苦手なわけでも女神より弱いわけでもな……カッ!? カメーーーーーーーッ!?
「あら、こんな所にキツツキが……樹に穴を空けるのはダメよ! 今日は追い払うだけで勘弁してあげるから、もうこの樹はつついちゃダメよ」
キツツキ!? 樹に張り付いてクチバシで幹をつついて穴空けていた鳥が、風魔法でピューッと上昇中のポンコツ女神に掴まれてポイッと空中に投げられた。
慈悲深いことを言っているように聞こえるが、どう見ても投げた! 鳥を掴んで迷うことなく投げた!
ま、鳥だから投げられても飛べるから大丈夫か……。
パキッ!
「あら、今何か踏んだわね。枝の上に何か小さな枝があったような……多分の鳩の巣ね。あの子達は巣を作るのが適当すぎるのよね。私が踏まないように、巣ってわかるように巣を作りなさい」
うむ、何かを踏んで割れた音がしたな。
ただの細い枝が太い枝の上に置いてあっただけ? これ鳥の巣なのか?
ポンコツ女神はすごくガサツだと思うが、これは踏まれても仕方ないな。
次からは踏まれないように巣に見える巣を作れよ。それでもこのポンコツは踏みそうだが。
って、うおおおおおおお!! また急上昇がーーーー!!
こ、これはイジメだ! ずっと海で生きてきて陸のことをあまり知らない俺様を、いきなりこんな高い所まで、しかも高速で無理矢理連れていくなんて、空を飛ぶことができない海の生物に対するイジメだ!!
べべべべべべべべべ別に高い所が恐いわけではないが、いきなり急上昇は誰だってびびびびびびびっくりするだろ!!
わかったぞ! 賢い俺様は今まさに理解したぞ! ラグナロックが女神達は意地悪だと言っていた意味を!!
これだ、このことだ!! あいつもきっと、これをやられたに違いない!! これは確かにイジメだーーーーーー!!
だがラグナロックは十二枚の翼があってバサバサと空を飛べるからこのくらいの急上昇も、高い場所も平気だろ!?
粘着質で小心者のビビリなキンピヵ……うおおおおおおおお!! 下を見たらめっちゃ高い、そしてめっちゃ広い森が広がっている!! 海の方がもっと広いけどな!!
しかもものすんごい上まできてる!! でも頂上が見えない!! ああ~、雲が目の前に見える~~~!!
この樹はどんだけでかいんだ! このポンコツ女神どんな勢いで樹を登っているのだ!!
わかったぞ! この女神は木登りの得意なサルの女神……おおおおお、サルの女神がピョーンとして急上昇カメーーーーー!!
「ヵ……ヵメェ……」
急上昇の連続がようやく止まり、大きく息が漏れた。
もうこれより上にいくことはないだろうと確信して女神のワンピースから肩へと移動すると、夏だというのにヒヤッと冷たい風が吹き抜けた。
ついでに下を見ると、風の冷たさなど関係なしに腹の下辺りがヒヤッとする。
べべべべべ別に恐くなんかないぞ!! こんな場所にきたのは初めてで、用心深い俺は警戒をしてヒヤッとしただけだ!!
もうこれより上にいくことはないと確信したこの場所は、バカでかいユグドラシルのてっぺんに最も近い枝の上。
何故その枝が折れないのが不思議なくらい細い枝の上にポンコツ女神が立ち、その枝よりちょろっと高くまで伸びているユグドラシルの終着点の幹を右手で掴んでいる。
空の高い場所を吹く冷たくて強い風がぶつかってくると、ポンコツ女神の白いワンピースがバタバタとはためき、細い樹の先端も女神が足場にしている枝もグラグラと揺れる。
この状態で枝が折れないのは、ポンコツであってもユグドラシルが自分の分身として作り出した女神だからだろう。
分身故に決して本体を傷付けることはない。
俺様が人の姿になればポキッといってピューッと落ちてもおかしくないので、賢い俺様は小さな子亀の姿のままポンコツ女神の肩の上にいる。ここは間違いなく安全地帯だ。
ここはユグドラシルのてっぺん、意識をしなくてもどこまでも遠くが見えてしまう場所。
地上では壁のように太かった幹の頂上部分は、少しでも力加減を間違えれば折れそうなほど細く、常に吹き続ける天近くの風に揺らされて続けている。
頂上付近の枝の上にいる俺達も、風に揺れる樹と共ユラユラと揺れる。
それはまるで、波間を漂っているような気分。波と同化しそうなあの感覚と同様に、この揺れは風と、そして空と同化してしまいそうな感覚に陥る。
だがそれは決して悪い気分ではない。
海ほどではないが、空の上というのも悪くない。
ああ……俺様は今、ずっとずっと海から見上げていた、かつては羨んでいた場所にいるのか――案外たいしたことはないな。
いや、ちょっぴり海と似ているな。
眼下に広がる緑が、どこまでも広がる海と重なって思いの外気分がよかった。
俺様達のいる場所と地上の間には薄い雲が漂い、そのずっとずっと下には広大な緑色が視界の限界まで広がっており、視界のギリギリ辺りで森が途切れその向こうはもう霞んで見えない。
赤毛の家はあの森が途切れる辺りだろうか。
無意識に目を凝らし、遥か遠く木々の隙間に点のように見える赤い屋根を見つけて満足をする。
うむ、さすが俺様。海だけではなく地上でも素晴らしき俺様の目。
赤毛の家を探したわけではなく、竜の目の本気を出さなくても俺様の目がすごいということを再確認しただけだ。
「これだけ遠くが見えても、まだまだ世界のほんの一部だけなんて世界はとても広いのね。いつか今は見えない場所が見えるようなって、知らないことをたくさん見てたくさん知りたいわ」
すっかり大人の姿になった女神が、藤色の長い髪と白いワンピースを風になびかせながら遥か遠くを見つめ感情の読めない表情で言った。
今の俺様はカメさんなので、カメ語しか話せないのでカメェと返事をしておくだけ。
だがその気持ちはわかる。
かつて海しか知らなかった頃の俺も、そんな気持ちで空をゆく者達を見ていた。
海は広い、だけれど世界はもっと広い。
そうやってずっと海から見ていただけの世界を知ると、それは俺様が想像していた以上に広かった。
世界の広さを知ったつもりでいたが、それでもまだまだ知らないことはたくさんあって、知ったつもりになってちょっぴり失敗もしたけれどな。
そして今、やはり世界は知らないことで溢れている。
だがそれは悪くない。
新たに知るというのは楽しくて、それを教えてくれる奴らといると楽しいが連続になる。
だから知らないことがたくさんある今は嫌いではない。
ユグドラシルのてっぺんの景色を知ったこの瞬間も、ここに俺様を連れてきたポンコツサル女神も嫌いではないぞ。
「でもいつかその時がくる頃にはグラン達はきっといなくて、昔を思い出すことが苦手な私は彼らのことを思い出せなくなっているの。そう思うと未来は楽しみだけど、やっぱり今が一番ね。この一番がいつまでも続けばいいのに、一番だったことをずっと憶えていられればいいのに」
今を知る女神――今しか知らない女神の空色の瞳がユラユラと揺れ、それに釣られて俺の心もユラユラと揺れる。
ああ、そうだ。
長い時の中、奴らと過ごすのはほんの一瞬。
時が過ぎればいつしかその記憶は薄れ、この感情も記憶の奥深くに沈んでしまうだろう。
だからそれを忘れないように、忘れても思い出したい時に思い出せるように記憶を記録に残しておこう。
おっさんが金の箱に記憶を閉じ込めていたように、俺様もその魔法をおっさんに教えてもらったから、過去を忘れてしまいやすいポンコツ女神にもそれを教えてやろう。
そうだな、今日会ったモールは指先が器用なみたいだから、奴らに記憶を閉じ込めるための箱を作ってもらうことにしよう。
だって忘れてしまうには惜しいくらい今はこんなに綺麗なのだから。
雲よりも高いこの場所からカメッと広範囲に弱い雨を降らせると、西に傾いた日の光に照らされ森の上の空に大きな虹が現れた。
きっとこの大きな虹は遠くからも見えるだろう。
竜の目で赤毛の家を覗けば、ちょうど箱庭から戻ってきた赤毛達が、晴れた空から突然降り始めた雨に気付き外に出てこの大きな虹をポカンと見上げている。
その顔も面白いから記録に残しておいてやろう。
心に残る記憶は今があるからこそで、今は必ず過去になり、未来は必ず今となり一瞬でいきすぎていく。
今とは一瞬だけの儚いものなのだ。
この世には永遠を望めないものの方が多いから、今の一瞬を少しでも――。
「あら、グラン達が帰ってきたみたいね、思ったよりも早かったわ。せっかく大きな虹が目の前に出たのに……ううん、虹も綺麗だけどそれをポカンと見上げているグランの顔も面白いわね。あー、洗濯物を出しっぱなしだったわ。あら、グランが気付いて大慌てで取り込みに……あっ、グランの死角から悪戯好きのピクシーがバケツをグランの足元に転がしたわ。あーあ、つまずいてこけちゃった。グランを手伝おうと後ろから続いてたジュストもこけたグランに突っ込んだわね。それをアベルが煽るから、グランが近くにいる虫を拾ってアベルに投げ始めたわ。いつもの光景すぎてすぐに忘れてしまいそうな一瞬だとしても、やっぱり今は楽しいわね」
そう、すぐに忘れてしまいそうな何でもない一瞬の積み重ね。
だけどそれが今が嫌いではない理由。
俺様にとってなかなか見ることのできない景色を見ているのも悪くはないが、そろそろどうでもいい日常に戻りたくなってきた。
どうでもいい日常の中の一瞬をできるだけたくさん積み重ねるために。
「そろそろ戻りましょうか。ふふ、ここからの景色はいつだって見ることができるから、今しか見ることのできないグラン達の大騒ぎの方が重要だわ」
「カメカメ――カメエエエエエ!?」
言われてみればそうだと納得して返事をしている途中で急降下が始まった。
いらない! こんな今はいらない! もっと普通に日常に帰らせろ!!
ああああーー、この一瞬よさっさと過去になれーーーーー!!
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