第917話◆閑話:陸に上がった亀と今を知る女神――中

 神が事象を司るものなら、古代竜は自然を司る存在である。

 古代竜は神と同様に、世界を維持するために創世の神により作られた特別な種族である。

 だから教えられなくても世界の根幹に関わる普遍の事情は知っている。

 それが使命で、それが存在理由で、それが偉大な力と無限の命の理由だから。


 俺様は始祖からは数代経た混血で古代竜の中では若い方故に、古臭い純血の奴らに比べれば使命感は薄いし、古臭い事柄について微妙に知らないこともあるがな。

 それでもこの樹のことは教えられなくとも、海で暮らし地上のことをほとんど知らなくとも、知っている。

 世界の理に関わる存在なら必ず知っている樹。


 ユグドラシル――世界を支える大樹。またの名を世界樹という。


 創世の神が世界から目を離しても、創世の神が作り出した神々が働かなくても、世界が生命で溢れるように、世界に澱みが溜まらないように、世界を美しく保ち続けるための浄化装置。

 生きものがいるところには必ず穢れや澱みというものが発生する。とくに世界が乱れ、争いが多くなると生み出される穢れや澱みは増える。


 穢れや澱みは生きものが無意識に、そして通常なら全く気付くことがなく体の外に排出している生命の老廃物、自然界の何の属性にも属さない魔力――虚という属性。

 地上の小さき生きもの達だけではない、神であろうと竜であろうとどんな生きものでも生きていればそこには虚が生まれる。

 いい方が悪いが、命のうんこみたいなものだな。


 無が純真無垢の属性ならば、虚はあらゆる不要なものの集合体の属性。

 どちらも何の属性に属さない"なにもない"ことを意味する属性だが、性質は全く違う。

 何にでもなれる可能性を秘めているのが無、何にもなることができないのが虚。

 無は始まりならば、虚は到達点。


 そして虚が世界に溜まりすぎるとあらゆるものを、巨大化すれば世界すら飲み込む虚無という災厄になる。

 その虚という属性の魔力は自然の中で緩やかに分解され無になり、新たな属性に変換されて自然の循環に戻っていく。

 この現象のことは聖合成という。


 しかし自然がおこなう聖合成の速度は緩やかすぎるため自然の中だけでは虚はジワジワと増える、自然のバランスが崩れれば虚の処理が遅くなり虚が世界に溜まりやすくなる。

 その自然だけでは循環しきれない虚を取り込み、大規模な聖合成をおこなっているのがユグドラシルという大樹である。

 ユグドラシルが正常に仕事をしている限り、虚が世界を滅ぼすような虚無になることはないのだ。

 逆をいえば、ユグドラシルがなくなれば世界はいずれ虚無に飲み込まれてしまうというわけだ。


 といっても樹に何かあってもすぐに世界が虚無に飲まれるというわけでなく、ジワジワと虚が世界に広がりそれが長い長い時間をかけて虚無になり世界の侵食を始めるのだ。

 そうなる前に新しいユグドラシルが生えてくれば、再び聖合成により虚は自然な魔力へと変換される。

 俺様達古代竜もユグドラシルほどではないものの自然を司る存在として、そこにいるだけで無意識に聖合成をおこなっており、正常な場合なら個体差はあれど己が生み出す虚より聖合成で虚を分解する量の方が多い。

 つまりユグドラシルに何かあっても古代竜がいる限り新たなユグドラシルが生えてくるまで時間が稼げるのだ。


 そう、古代竜はすごく偉大なのだ。

 小さき者達はそのような世界の摂理など知らずただ漠然と古代竜は強くて偉大な存在だと思っているようだが、古代竜はそこにいるだけで世界を綺麗にしているすごくすごい存在なのだ!


 ま、ユグドラシルが機能しなくなって世界に虚に飲まれそうになると神が出てくるから、多分きっとおそらく世界が虚無に飲まれることはない。

 俺がまだ生まれていない時代にユグドラシルが折れてやばかったこともあるみたいだが、それが折れた後に新たな三本のユグドラシルが生え、そこから一本くらい折れても大丈夫なように株分けやら挿し木やらでユグドラシルを世界各地に植えまくったらしい。

 そのせいで世界のあちこちにでかい樹があり、そのうちのいくつかは俺様も見たことがある。


 新たな三本のうちの一本が白い奴の森にあるやつだとキンピカラグナロックがいっていた。

 残りの二本のうち一本はマグネティモスの縄張りの近くだったかな、もう一本は東の方だったかなぁ。陸の上のことはあまり詳しくないんだよな。


 それにしてもでかいな。

 元の樹が折れた後に生えたという最初の三本を見るのは初めてだが、想像していた以上にでかい。

 ユグドラシルは虚を多く吸収するほど成長が速いはずだが、ここにはそれほどの虚があったのか。


 そんなのは嘘のように、心地のいい場所に思えるのだが――ああ、あったな。

 森の地下にある巨大な縦穴。

 ああいう場所には澱みや穢れが溜まりやすいし、あそこが古の神捨て場に繋がっているというのなら元神から出た虚が溜まっていたとしてもおかしくない。

 小さき者が出すそれらとは桁違いのものが。


 だが樹が大きく成長しているということは、虚も順調に聖合成で自然の魔力に変換されているのだろう。

 だからここは澄みきった魔力に満たされて、陸地だというのに非常に心地良い。



 巨大な樹の周りは泉に囲まれており、樹の葉っぱの隙間から差し込む木漏れ日が水面を照らしキラキラと輝き、泉の中は海で見ることのない魚が泳ぎ回っている。

 その泉周辺やユグドラシルの樹の上には様々な動物や小鳥、虫の姿が見え、まるで平和の象徴のような風景場所である。

 ……子亀の姿になって、泉にポチャンして泳ぎ回ってみたいなんて思っていないぞ!! 俺は広い広い海派で、狭い泉派ではないのだ!!

 だが帰る前にちょこっとくらいならポチャンしてやってもいいぞ。


 で、そんな世界の根幹に関わる樹の上で喧嘩をしている不届きな虫が二匹が見えた。

 ポンコツ女神が突然森に散歩にいくといい出したのは、こいつらの対応だったようだ。

 鋭く長い角が二本の虫と三本の虫が、樹の上で激しく角を打ち合わせ戦っている。

 角の数だけ見れば三本の方が強そうだが、押しているのは二本の方か……。


 こういう戦いを見るのは嫌いではないが、ここは場所が悪いな。

 偉大な古代竜や神に匹敵する存在であるユグドラシルの上で暴れるなど、たかが虫のくせに不届きな奴らめ!

 ポンコツ女神に付いてきた俺様がビシッと水鉄砲でわからせて――。


「ちょっとーーーー!! アンタ達ーーーー!! ここで喧嘩をすんなっていつもいってるでしょーーーー!! 樹液は仲良く、マナーを守って飲みなさーーーーい!! さもないと、このすっごい槍でプスッとするわよーーーー!!」


 うおおお……不届きな虫どもに水鉄砲をくらわせてやろうと思った俺様の横で、ポンコツ女神がやっべー槍を出してきたぞぉ。

 それ、昼飯の時も出していたけれどその槍なー、遥か大昔に失われたという伝説の槍にそっくりなんだよなぁ。

 その昔ちょっぴり縁のあった古臭い神が持っていた記録用魔導具で見ただけだから、記憶が曖昧でなんともだけどなぁ。


 喧嘩をしている虫はユグドラシルの眷属の虫のようだが、たかが虫にその槍はやりすぎずじゃねーか? 槍だけにってか?

 あー、不届きな虫達が槍にびびって飛び去っていっちまって、俺様の水鉄砲が行き場に困っちまったじゃねーか。

 てか、この程度の喧嘩の仲裁なら俺様が護衛で付いてくる必要はなかったのでは。


 とりあえず、上に撃ち上げてシャワーにしておくか。樹に水遣りは必要だろう。

 ほぉら、偉大なクーランマラン様の偉大なシャワーだぞ~。ユグドラシルもその周辺の小さき生きもの達も、ありがたくこのシャワーを浴びて涼むが良い。

 俺様が空へ向かって撃ち上げた水鉄砲は高い位置で弾け、霧雨のようになって周囲に降り注ぎ、木漏れ日を反射して小さな虹を作り出した。


「あら、綺麗じゃない。ね、どうせならその虹をもっと高い場所に作りましょうよ」


 その虹を見て楽しそうに目を輝かせるポンコツ女神。


「高い場所?」


「そう、樹のてっぺん!」


 ものすごくドヤ顔のポンコツ女神と、ものすごく嫌な予感がする俺様。


「カ、カメッーーーー!?」


 急激な浮遊感にビックリしまくって子亀の姿になり、目の前でヒラヒラとしていたポンコツ女神のワンピースに張り付いた俺の視界に、森の木々が一瞬で下へと流れていくのが映った。



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