第914話◆聖なる蝉

 木々の枝が行く手を遮り歩きにくい獣道を抜けると視界が眩しい夏の光で満たされ、ジリッとした強い直射日光が熱と共に肌の露出部分に刺さった。

 眩しさに思わず細めた視界を支配する明るい夏の光の向こう側に、光よりも更に俺の視界を支配したそれがあった。


 思わずそびえ立つ壁と勘違いしそうになったそれは超巨大な樹。

 壁と錯覚するほどの太い幹は上に高く伸び、伸びた先では鮮やかな緑の葉が茂る枝が周囲に大きく広がっている。

 そこにあるという確信はあったが実際にそれを目にすると、その想像以上の大きさと神々しさに圧倒された。


「これがユグドラシル……違う、ユグユグの樹か」


 その圧倒的神々しさに無意識にユグドラシルという名が口から漏れ、慌てて訂正した。

 知らない。俺は何も知らないし、気付いていない。

 これはただのユグユグの樹。ユグドラシルっぽい聖のガーディアン、ユグユグの樹なのだー!!


 箱庭の外から見ていた時は、森から突き出しているやたら目立つでかい樹というだけの印象だったが、こうして箱庭の中に入り間近で見ると想像していた以上に大きく、上を見上げても俺達のいる場所からはてっぺんを見ることができない。

 まさに世界の根幹になる樹。世界の軸となる樹。

 神話から思い描いていた姿すぎる樹に、この聖なる巨木を見るのが初めてではない気すらしてくる。


 それは前世でも世界樹と呼ばれる樹の登場する神話があり、それらのイメージ画をいくつも目にしたせいか。

 それとも俺の故郷に似たような大きな樹があるからか。


 風に乗り運ばれてくる森の香りと蝉の大合唱。

 初めて見るはずなのに強烈な既視感、俺がよく知っている夏の光景。

 これがデジャヴというやつか。

 これは前世のばーちゃんちで過ごした時の記憶かな。

 転生開花がうずうずと懐かしさを引っ張りだそうとするが、今はその時ではない。


 ユグユグの樹になんともいえない既視感を憶えながらも、あまりの圧倒的な光景に目を奪われ見入ってしまった。

 それはアベルやカリュオン、ジュストも同じだったのだろう。

 俺達は横一列に並び、続く言葉もなくただひたすら大きな樹を見上げていた。

 その時間はほんの一瞬だけだったのだろうが、その瞬間の時間が随分心地良くてゆっくりとしたものに感じられた。


 樹を見上げてもてっぺんを見ることはできないが幹に存在するそれは目に入り、一瞬だけ浸ってしまった懐かしさから現実へと意識を引き戻された。


 天へと伸びる太い幹が枝分かれが始まる辺りにある独特の凹凸。

 よく見なくてもそれははっきりと女性の上半身の形をしており、凹凸は頭部や胸部に、枝や葉が腕や髪の毛のようになっている。

 まるで樹に女性が埋まっているような、樹そのものが女性のような印象を受けた。

 きっとあの女性のように見える部分がユグユグちゃんの本体なのだろう。


 そのユグユグちゃんがいる部分を避けるように、蝉が幹に張り付きミンミンと鳴いている。

 ユグユグの樹の樹液をタップリと吸っているのか蝉のくせにぽっちゃり体型で、透き通った羽に走る翅脈が淡い白金色に光っており、蝉の分際で無駄に綺麗で幻想的な生きものと化している。

 聖属性のガーディアンであるユグユグの樹の樹液を糧にしており、その影響を強く受けているのだろう。蝉からは明らかに聖属性の魔力が感じられた。

 蝉のくせに、聖なる樹液を吸いすぎて聖なる蝉と化しているようだ。

 ま、幻想的に見えても蝉だし、しかもでっかいんだけどね。

 その大きさは森で見かけた蝉よりも遥かに大きく、人の頭よりも二回りくらい大きそうだ。


 大きな蝉達がユグユグの樹にたくさん張り付いているが、それはユグユグちゃんのいる場所を避けた位置で争うことなく行儀良くミンミンと鳴いている。

 彼らが多い位置がユグユグちゃんを取り囲んでいるようで、蝉達がユグユグちゃんの眷属のようにも見えてくる。


 そんなお行儀良く張り付いているだけの彼らの中に一匹だけ異質なもの――白金の光を帯びる蝉達を押しのけ、幹を這い回るそいつ。

 大きさも蝉達よりも遥かに大きく、成人男性よりも更に大きいくらいだろうか。頭から生えている非常に長い角まで含めるとその大きさは更に倍になる。


 ミンミンうるさいだけでお行儀のいい蝉君達を押しのけ、時には踏みつけたり幹から蹴落としたりしているお行儀の悪いそいつは――黒光りする大きな体と、鋭く長い角を持ったカブトムシだあああああああああ!!!


 しかもその角は、頭部から生える大きく長いものに加え、顔の辺りからももう一本鋭い角が生えている。

 その姿は前世の記憶にある、神話の英雄の名を冠したカブトムシを連想させられた。


 そいつは樹液が効率良く吸えそうな場所を探しているのか、蝉達を蹴散らしながら樹の幹をガサガサと這い回って――。


 ガリッ!


 探し回るの諦めて、鋭い角で樹の幹に傷を付けたーーーー!!


 ガリッ! ガリッ! ガリッ!


 樹液が出てくるまで何度もやる気か!?

 しかもそこはユグユグちゃんのいるすぐ下の辺り、体でいうとおへその辺りだ。

 けしからん! けしからん、カブトムシだ!!

 聖なる樹を傷付けるのもけしからんが、その場所もけしからん!

 よって、てめーはギルティーだ!


 ほら、ユグユグちゃんも嫌そうに枝を揺らして、サワサワと葉がざわめき始めたぞ。

 蝉君達もそれに気付いたようでカブトムシの周囲に集まり始めた。それは葉のざわめきに呼応しているよう。

 蝉君達はやはりユグユグちゃんの眷属なのだろうか。


 幹を傷付け樹液を無理矢理出そうとするカブトムシの周りに集まった蝉達はいつの間にか鳴き止んでおり、先ほどまでのうるささが嘘のように静かな森にはザワザワというユグユグの樹がざわめく音だけが流れていた。

 そして、そのざわめきの音さえ消え不安になるほどの静寂が一瞬。


 ミ゛ッ!!

 

 いくつもの蝉の短い鳴き声がぴったりと重なって静寂の森に響いた。

 それはまるで空気を引き裂くような音。


 ガッ!!


 その音と同時に幹に張り付いていたカブトムシが幹から弾き飛ばされ、コロンと空中に投げ出された。



「音波攻撃かぁ。蝉の魔物なら使うやつもよくいるよなぁ。だがカブトムシ系はかてーからなぁ、追い払うの精一杯かぁ? また、すぐ戻ってくるだろうなぁ」

 俺のすぐ右側で樹を見上げていたカリュオンがボソリ。


「大きさも圧倒的に大きいし、蝉とカブトムシだとカブトムシの方が強そうだね。でも数は蝉の方が多いから、あの数で音波攻撃を繰り返してたら蝉の方が粘り勝つかな。それまでに何匹も蝉が犠牲になりそうだけど。あの蝉達はそうやってガーディアンを守っているのかな」

 と、すぐ左側のアベル。


「ほえぇ……ヘラクレスオオカブトみたいでめちゃくちゃ強そう、蝉さん達大丈夫かな」

 アベルの更に左にいるジュストがナチュラルにポロリ。



 多重に重なった蝉達の鳴き声は音波攻撃。

 重なった音波による攻撃でカブトムシは樹から剥がされて空中に投げ出されるが、カリュオンの予想通りに空中で体勢を立て直し樹の方に戻ってくる。

 角を突き出し、ユグユグの樹に張り付く蝉の中の一匹を狙いながら。


 蝉とカブトムシ、音波攻撃があったとしても固い殻と長い角を持つカブトムシの方が強いだろう。

 だが数は蝉の方が多い、一匹が狙われ犠牲になる間に他の蝉がカブトムシを攻撃する。

 それを繰り返しているうちに、蝉達はカブトムシを弱らせいずれ勝利すると思われる。

 たくさんの仲間を犠牲にしながらもカーディアンを守るのが彼らの役割なのだろう。


 ユグユグの樹を守る蝉君を心配するジュストの優しさに免じて、今回のポロリは聞かなかったことにしてやろう。

 そして今ここに俺がいるから、ジュストの心配も拭い去ってやろう。


 いつもなら多くの犠牲を出しながらガーディアンを守っているのだろう。

 だが今回は俺がいるから大丈夫。


 背負っていたズラトルクの弓を下ろし、矢筒から矢を取り出して、弓を構えユグユグの樹に戻ろうとするカブトムシに狙いを定める。

 撃ち上げの方向、的のは人よりも大きいくらいだが距離はある。

 届くか? 当たるか?

 なんとなくいける気がする。


 そして不思議とズラトルクの弓がいつもよりも輝いて見える。

 それは強い聖属性を持つズラトルクの弓が、ユグユグの樹の放つ聖の魔力の影響を受けているのだろうか。


 矢が逸れてもユグユグの樹に当たらない角度であることを確認しながら、カブトムシに狙いを定め弓を引き絞り矢を放とうとした瞬間。


 バシッ!!


 俺が矢を放つより早く、葉っぱの中から木の実が飛んできてカブトムシ君に直撃し、カブトムシ君は地に落ちていった。



 ………………。



 そうだよね! ガーディアンだよね!

 カブトムシなんかより強くて当たり前だよね!

 可愛くて優しい幼女三姉妹の作ったガーディアンなら、眷属の虫君が危なかったら守ってあげるくらい心優しいよね!


 ええと……俺の出番がなくなっちゃった……どうしよう。


「やぁ、ユグユグちゃん。はじめまして、グランだよぉ」


 とりあえず、弓を下ろして挨拶しとこ。




 

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