第888話◆少し遅い朝

 キッチンの窓から差し込む光の鋭さが増し始める時間。

 開け放った窓からはまだ朝の気配の強い風が吹き込んでくるが、それもすでに温さを帯び始めている。

 いつもより遅い朝、朝でも暑さを感じる真夏の空気と調理器具の熱でキッチンは汗ばむくらいの気温のはずなのだが、左耳のソウルオブクリムゾンがごく自然に熱を吸い込み体感温度はそこまで高く感じない。


 おいこら、外から吹き込んでくる風や調理で発生する熱を吸い込むのはいいが、調理器具の魔石の魔力を吸うのは許さないぞ。

 ほら、良い子にしていたら火属性の食材の料理をお裾分けしてやるから。


 焼き上がったばかりの厚切りサラマンダーハムを小皿に載せると、左耳からヒュルッと竜の頭の形をした炎が伸びてきてハムをパクッと咥えて耳飾りへと戻っていった。

 まったく、食い意地の張った炎である。


 キッチンで一人朝食を作りながらフリーダムな炎にため息をつく。

 朝食の支度を手伝ってくれている三姉妹とカメ君は、できあがった料理を食堂に運びにいってキッチンには俺一人だけ。

 焼いて並べていたレッドドレイクのソーセージの数がいつの間にか減っているので、サラマンダーハムを焼いてみたら、キッチンに俺一人になった瞬間にこれである。


「出てきたらみんなに紹介してやろうと思ってんだけど……あちっ! わかったわかった、無理に出てこなくていいよ。家のみんなには詳しいことは言わずシュペルノーヴァの眷属ってことで話しとくよ」

 ソウルオブクリムゾンの中でそわそわしているので出てきたいのかと思いきや、そうでもないらしくパチパチと火花を散らしてツンツンしているようなアピール。 

 どのみちアベル達に見られているのだから、チュペの存在は隠せない。

 いきなり出てきて大騒ぎになる前に、みんなにはちゃんと話しておかないとな。

 ちゃんと紹介しようと思ったのだが、チュペは恥ずかしがり屋みたいで耳飾りから出てきたくないようだ。

 それならチュペの意思を尊重して俺が適当にチュペの話をしておくよ。


 箱庭から無事脱出した俺は、リビングの前で待ち構えていたカメ君やラト達にものすごく念入りに浄化をされた後、服を着て朝食の準備をしている。

 俺達が帰ってきた時間はいつもなら朝食の時間。

 みんな食事もしないで俺達の帰りを、リビングの扉の前で待ってくれていたのだ。





 別荘にあった"仮の扉”を使って戻ってきた我が家のリビングに誰もおらず、ただ箱庭と同じ魔力だけが残っていて、リビングにはずっと誰もいなかったような空気が漂っていた。

 カリュオンが箱庭に吸い込まれた時、苔玉ちゃんが肩から転がり落ちてキエエエエエッてなったとか言っていたが、箱庭だけではなくリビングにすら入ることを拒否されていたのかもしれない。

 俺達がいないことに気付いて大騒ぎで箱庭を触ることを避けるためだろうか。

 箱庭はギリギリの状態だったみたいだし、俺達が中にいる時に外から弄られると何があるかわからないのでリビングまで立ち入り禁止にするのは正しい判断だと思うが、それができてしまうキノコ君は何者なんだ?

 やっぱキノコ君も妖精だし、俺の理解を超える力を持っていてもおかしくない。小さくても妖精なんてそういう存在だから。


 リビングには誰もおらず、リビングのすぐ隣の食堂にも誰もいないようだ。もちろんどこかで朝食をとっているような気配もない。

 ただリビングの扉のすぐ外に待ってくれていると思われるみんなの気配がして、無意識に表情が緩くなった。


 ただいま、心配をかけたね。


「ふお!? みんなここで待ってたのか!? ごめん、そしてただいま!! っていうか俺はあんま悪くない気もするけど、心配してくれていたみたいでありがとう。朝飯はまだかな? 俺達も飯はまだだからすぐに作るよ」

 扉のすぐ外にいくつも気配がするのでそっと扉を開けて廊下に出ると、思っていた以上にすごいことになっている光景が目に入り、驚きと同時にずっと待ってくれていたことへの嬉しさが混ざり変な声が出た。


 どうやらみんなリビングの扉の前に集まって俺達を待ちながら寝てしまっていたようだ。

 扉に最も近い位置、扉の真ん前にカメ君と苔玉ちゃんと焦げ茶ちゃんが転がっており、扉の脇では壁にもたれかかった体勢で三姉妹がスースーと寝息を立てている。

 そして少し離れた場所でラトがシャモア姿で廊下に詰まるような体勢で寝そべってプープーといびきをかいていた。


「カメェ……」

 最初に動いたのはカメ君。

 扉が開くとすぐに顔を上げコロンと裏返しに転がった体勢からピョンと起き上がって後ろ足で立ち上がり前足で目を擦りながら、そのまま二足歩行で俺の方に歩いてきた。

 二足歩行のカメなんて世にも珍しいのだが、カメ君だから気にしない。そもそも俺の肩の上でもよく立ち上がっているしな。

 もしかして俺がいなくてさみしかったのかな?

 俺の顔を見るなり寄ってくるってことは、いつものように肩の上にくるのかな?


 シュッ!


 カメ君がトコトコと歩いてきたので肩の上にくるのなかって思ったら、いきなり浄化魔法をかけられた。

 確かに半裸でめちゃくちゃ汚いけれど、もっとこう俺達の帰還を体いっぱいで喜びを表現しながら迎えてくれてもよくない!?


 シュッシュッシュッ!!


 ぬああああああ~、更に追加の浄化魔法が~!!


「キ?」

「……モ」


 カメ君に続いて苔玉ちゃんも耳をプルプルッと動かした後ヒョコッと起き上がる。

 焦げ茶ちゃん――は耳がピクピクしたけれどそのまま更に丸くなってしまった。

 そして……。


 シュシュシュシュシュシュッ!!


 ぬあー、何故か苔玉ちゃんと焦げ茶ちゃんからも浄化魔法が飛んできたぞー!!

 焦げ茶ちゃん、寝直したんじゃないの? 実は起きているの!?


「もしかして、みんなここで待っててくれたの? あ、グランはすごく汚れてるからもっと浄化魔法をかけてあげて。うわ、俺は汚れてない! 俺は綺麗! 俺は臭くない!」

 俺に続いてアベルがリビングから顔を出したら、アベルも一緒に浄化魔法をかけられた。

 諦めろ、お前も結構汚いし汗臭いし泥臭いし焦げ臭い。

「帰ったぞー、俺はちゃんと服を着てるからアベルやグランほど臭くないぞー」

 もちろんカリュオンも出てくるなり浄化魔法の刑に処されていた。

「僕は貰った装備品を付けていて、それは消えちゃったのでそこまで汚れて……わっ」

 当然のようにジュストも。


「ふあぁ……あら、グラン達が帰ってきているわ。でも貴方達何だか臭うわ」

「ふわ……いつの間にか寝てしまっていましたわ……おかえりなさいませ。確かに何だか炎臭いですわ」

「おかえりなさいぃ、でも少し汚れているみたいですからぁ、綺麗にしましょうねぇ」


 ああ~、座り込んで寝ている姿は可愛いかった三姉妹達も起き出して即浄化の女神と化してしまった~。


「ぬ、無事帰ってきたか。あの箱庭はどうしてくれようか……」

 臭いとか汚いとかには全く触れていないのに、いつの間にかヒトの姿になったラトからもナチュラルに浄化魔法が飛んできた~!!

 って、どうしてくれようかって、あの箱庭にはしばらく触らないで! ラト達が触らなければだいたい平和だと思うから触らないで!!


「カメッ!」

「キッ!」

「モッ!」


 ラトの発言にカメ君達の表情がキュッと鋭くなって、浄化魔法の連打が止まった。

 でもこの険しい顔も俺達を心配してくれているから。

 いつからここで待っていてくれたのだろうか。

 長ければ苔玉ちゃんが弾かれてカリュオンが引き込まれた時から。

 全員がその時からではなかったとしても、心配をしながら俺達を待っていてくれたことに代わりない。


「まぁ、少し落ち着いてくれ。今回は箱庭が原因だけど、箱庭だけが悪いわけじゃないから朝ご飯を食べながらちゃんと話をするよ。それから改めて心配してくれてありがとう。そして、ただいま」


 そう言うと、チビッ子達が顔を見合わせた後一呼吸置いて怒濤のような浄化魔法が降ってきた。





 こうして帰還を歓迎する浄化魔法ですっかりピッカピカになった俺は、もはやシャワーを浴びて汚れを落とす必要もなくなり服だけ着替えて朝食の準備へ。

 いつものように三姉妹とカメ君がキッチンで料理を手伝ってくれる。

 そして今日からはチュペも。


「あ、こら。レッドドレイクのソーセージは人数分しか焼いてないからつまみ食いをすると足りなくなるだろー。もー、追加を焼かないといけなくなったじゃないかー」

 ま、こいつは今のところ俺と二人っきりになった時につまみ食いをして邪魔をしているだけなのだが。

 隙をついてはつまみ食いをするので、チュペ用にサラマンダーのハムを焼いてやったのがそれはで満足をせず、一人二本ずつ用意していたレッドドレイクのソーセージをつまみ食いしやがった。

 全く油断も隙もない。


 でも森の大火事を消してくれたから、そのお礼は必要だな。

 チュペは火属性の食材が好きなようで、ハムエッグ用のサラマンダーハムやレッドドレイクのソーセージばかりをつまみ食いする。

 もしかするとまだまだ力は戻っていなくて、火属性の魔力が含まれるものを取り込もうとしているのかもしれない。

 調理器具の魔石から吸収すると魔石の劣化がはやくなるので食材から。


 ソウルオブクリムゾンはその辺の火属性のものから何でも魔力を少しずつ吸収していたようだが、それをチュペが制御してくれるなら俺もありがたいな。

 チュペは恥ずかしがり屋でソウルオブクリムゾンからは出てくる気があまりないみたいだから、誰にも見られない場所でチュペがこっそり食べられるようにチュペ用の料理も用意しておくことにするか。


「俺はチュペのことを何も知らないからさ、チュペの好きなものとか好きなことを教えてくれよな。どうせ食べるならチュペの好物がいいだろ? あちっ! 何だよ、台所はただでさえ暑いんだからチリチリ発熱するのはやめろー!」


 こうして怒濤のようだった夜が終わり、いつもが戻ってきた。

 ちょっぴり恥ずかしがりでツンツンした炎の竜をこっそりと追加して。


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