第882話◆炎の化身
伸ばした手を戻しながら、何故だかわからないが以前にもこんなことがあったような感覚になった。
いつだったかな? はっきりと思い出せないほど昔の記憶?
――いいや、昔どころかつい最近ペトレ・レオン・ハマダを燃やした時を思い出しただけか。
良い子の俺は森を燃やしたことなんかないし、一般人の俺がその消火作業をシュペルノーヴァに頼むようなことなんてあるわけがない。
それなのに何故か、燃えさかる森の上空へと飛んでいく小さなトカゲを見上げながら、その光景を見るのが初めてではないような感覚になっていた。
小さな炎の竜が、竜巻の起こす強風に巻き上げられるように森の上へと舞い上がる。
同じく強風に煽られ竜巻の方へと伸びるように燃え上がる真っ赤な炎のすぐ先には小さな炎の竜の姿があり、まるでそれを捕らえようと伸びる触手のよう。
「チュペ! 無理をしないで戻ってくるんだ!」
無理だ、大きすぎる。あの竜巻に吸い込まれたら、あんな小さな炎はバラバラになって消えてしまう。
元はシュペルノーヴァを模した存在で、巨大なダンジョンのボスだったとしても、一度は力を吸われ消えかかり今もまだ小さいまま。
そんな小さな体で無理をするなと空に向かい叫べば、小さな炎の竜がこちらを一瞬振り返ったようにその炎が揺らいだ。
だがチュペルノーヴァは俺の言葉に従うことはなく、竜巻へと近付いていく。
森から燃え上がった炎は意思があるかのようにチュペルノーヴァに向かって一直線に伸び、遂にそれがチュペルノーヴァの小さな炎の体に絡みつき捕らえた。
最初は尻尾の先端、次に後ろ足、そして翼、前足へと炎が絡みついた。
それでもチュペルノーヴァは速度を緩めることなく、火炎竜巻に向かい羽ばたいていく。
呼んだのは俺。シュペルノーヴァの力を借りようとしたのは俺。
チュペルノーヴァはそれに応えてくれただけ。
シュペルノーヴァに比べてずっとずっと小さな体で。
何で?
俺が呼んだから? 力を貸してくれと言ったから? 竜巻を吸い込んでくれと言ったから?
まさか、ちっこいチュペルノーヴァが出てくるとは思わなかったんだよ!!
だからキャンセル!! 今すぐ、さっきのお願いはキャンセル!!
キャンセルするから、戻ってくるんだ!!
戻れという言葉が叫び声となって口から出ようという時、竜巻の強風に巻き上げられた森の木が燃えながらチュペルノーヴァの方へと飛んでいった。
「チュペ、避けろ!!」
ボッ!!
「え?」
俺が戻れという言葉を飲み込み避けろと叫んだ直後、チュペルノーヴァの方へと飛んでいった木がチュペルノーヴァにぶつかる直前にボッと音を立てて一瞬で灰になった。
その光景に間の抜けた声を出した俺は、きっとすごく間抜けな表情をしていただろう。
そして気付いた。
その炎に。
自分は人間で、チュペルノーヴァは小さくても古代竜を模した存在だということを。
炎の支配者、炎の化身、原初の炎――数々の異名がシュペルノーヴァの本質を語る。
つい先日、炎そのものともいえるシュペルノーヴァの圧倒的な力を自らの体で感じて記憶に焼き付けられたばかりだ。
全ての炎を隷属する存在、それがシュペルノーヴァであると頭の芯までわからされた。
そう、それはシュペルノーヴァを模倣したものであっても。
たとえ小さな姿であっても。
シュペルノーヴァという性質には変わりがないのだ。
なんという傲慢。
人間如きが、人間の物差しで古代竜の身を案じるなど。
チュペルノーヴァに絡みついた炎がチュペルノーヴァを捕らえたのではなく、チュペルノーヴァが森を燃やす炎を従えたということに気付いたと同時に、自分の傲慢さにも気付くことになった。
チュペルノーヴァに絡みついた炎はチュペルノーヴァの炎となり、絡みついた場所からその体を大きく成長させていく。
チョロリとしていた尾は長く赤い炎の筋となり、忙しなく羽ばたいていた小さな翼は大きく広がり羽ばたきの速度は遅くなり力強さが増し、炎の本体からちょろんとはみ出ただけのように小さかった四肢も太く逞しくなり、小さかった炎の体は一回りも二回りも……いや、それ以上に大きくなり、今もまだ森から燃え上がり伸びる炎を従えながら急速に成長していった。
そしてそれが森を燃やす炎のほぼ全てを従え取り込む頃には、目の前に迫る火炎竜巻も難なく従えそうなほどの炎の巨竜になっていた。
それはあのダンジョンの最下層に居座る深紅の竜。
こちらから手を出さねば、ただ体を丸めて眠っているだけの巨大な火竜。
だが一度起こしてしまえば、あのダンジョンに棲息する何よりも段違いに強く、身の程をわきまえぬ者を一瞬で灰にしてしまう炎。
普段は火竜の姿をしているが、追い詰めてからとどめまでに時間がかかると周囲の全てを焼き尽くす炎の竜に変化するという記録も残っている。
冒険者ギルドの記録にはあるが、俺はその姿を見たことはない。
近年その姿になったという記録がほとんどないのは、その姿が非常に珍しいものなのか、そうなる前に手早く倒し無理そうなら炎形態になる前に撤退することを推奨されているからか、それともその姿を見た者が生きて帰ってきていないからなのか。
その炎の巨竜が、炎の竜巻を包み込むように炎の翼を大きく広げる。
森を燃やしていた炎はすでに巨竜に吸い上げられ下火になっており、残るは炎の竜巻のみ。
森の炎を吸い込み巨大化していた竜巻も、全ての炎を従える竜の前では吸い込まれる側。
竜巻と竜、二つの大きな炎がぶつかり魔力の火花が飛び散る。
当然だが、勝つのは竜。
すでに圧倒的な炎となったチュペルノーヴァが羽ばたき一つで竜巻を粉砕し、粉砕された竜巻から竜巻が巻き上げた木や岩石が周囲へと飛び散った。
それが猛スピードで俺達の所まで飛んでくるかと思いや、飛び散ったものが途中でボッと発火して灰となりパラパラと地面へ落ちていく。
そして発火する瞬間、チュペルノーヴァと竜巻の周りを包囲するように赤い光の筋がハニカム模様を描いたのが見えた。
竜巻が砕け飛び散ったものが俺達の方に落ちないように、また森以外の場所に落ちないように、赤いハニカム模様の壁が守ってくれているように見えた。
そういえば、カメ君と出会った島から脱出する時はハニカム模様の壁に行く手を阻まれたな。
そしてあのダンジョンのボスの火竜は動き出すと体に薄らと赤いハニカム模様が浮かび上がる。
もしかするとあの炎のように赤いハニカム模様は、シュペルノーヴァの力を示す模様なのかもしれないな。
火炎竜巻が粉砕され、竜巻に向かい吹き込んでいた強風が穏やかな風に変わる頃、赤いハニカム模様の壁はいつの間にか消え、夜空を赤く明るく照らす巨大な炎の竜が空気を揺らし咆吼を上げた。
それはこの森林火災の終焉とその制圧者の存在を周囲に示しているように見えた。
「俺達ってちいせぇなぁ……チュペルノーヴァがちっこくて心配しまくってたのに本当はあんなにでかくて、俺達の後始末を全部やってもらってしまったうえに、守られちまったな」
ソウルオブクリムゾンに助けを求めたのは俺だけれど、全てチュペルノーヴァが片付けてしまい、自分の無力さを後ろめたく思う気持ちが広がっていき、それが言葉となって漏れた。
そして今回あまりに役立たずだった自分がどんどん情けなくなる。
と俯きかけた時、カリュオンがポンと俺の肩に手を置いた。
「それでいいんだ。大きな自然の中、世界の中、俺達みたいなちっぽけな存在ができることなんて限られている。だから頼らせてくれるというのなら、頼れる時は大きな力に頼るんだ。何もできない時があってもいいじゃないか、むしろ何もできないことの方が多いんだ。ま、放火して煽ったのは俺達なんだけどな」
いいことを言っていると思ったら、最後が最悪の事実である。
だが、おかげでもう一度自分の傲慢さに気付くことができた。
「俺達ってちいせぇなぁ……ずっとずっと強くなって何でもできるようになったと思ってたけど、やっぱちいせぇなぁ……箱庭はちいせぇと思ってたけど俺達はそれよりもちいせぇなんてな」
ちいせぇと思っていたチュペルノーヴァよりちいせぇなぁ。
外から見ている時はちいせぇと思っていた毛玉ガーディアンよりも。
人間ってちいせぇな。
危なく、誤解をするところだった。
何でも自分の手で救える、何とかすることができる。
最近何だかんだで上手くいっていることが多くてすっかり傲慢になっていた。
思い出したよ。
自分のできることは意外と少なくて、世界は果てしなく大きくて、人間はその中の小さな存在なんだって。
「でもグランがあのチビトカゲを誑し込んだから力を貸してくれてるんだし、それはグランのおかげで、なんでもかんでも誑し込むのはグランの才能だよ。今はでっかくて強そうになったけど、あんな生意気な奴を頼るくらいならもっと俺を頼るべきだよ! 今回はコンディションが良くないからあの元チビに任せてあげたけどね! あぶなっ! こら、いきなりこっちに火を飛ばしてこないで! いい? グランと一緒に家に帰りたかったらちゃんとグランの言うこと聞いて、俺に意地悪をしたらダメだよ!!」
俺の手を強く掴んでいたアベルがそれを放し、カリュオンとは逆側の俺の横に並び空を見上げた。
息をするように悪態をつくから、上空にいるチュペルノーヴァから小さな火の玉が降ってきた。
チュペはきっともう俺達より強いから、あんま煽っていると髪の毛がチリチリになるくらいじゃ済まないかもしれないからほどほどにしとけ。
アベルに向かって降ってきた火の玉に続き、チュペルノーヴァの体から俺の方に向かって炎が筋となって伸びてきた。
わからなかったらびびって後ずさりしていただろうが、すぐにその炎の行き先に気付き、その場でチュペルノーヴァを見上げて礼を言いながら手を振った。
「ありがとう、助かったよ!」
炎は俺の左耳のソウルオブクリムゾンに向かって伸び、そのまま吸い込まれていく。
その炎と一緒に引き寄せられるように、チュペルノーヴァが俺の方へと近付いてくる。炎をソウルオブクリムゾンに吸い込まれ、少しずつ小さくなりながら。
そして俺の目の前までくる頃には、ソウルオブクリムゾンから飛び出した時の小さな炎の竜の姿になっていた。
だけどその炎は、その時よりずっと赤く力強く見えた。
「ケッ!」
俺の言葉にそっぽ向くチュペルノーヴァは、照れ隠しをしてそっぽを向く時のカメ君に少し似ていた。
「あ、見て下さい。空が明るくなってきましたよ」
ジュストに言われ彼が指差す方向を見ると、木々が焼けてなくなってしまった森の向こうの空が薄らと明るくなってきていた。
「ピエエエエエエエエエエッ!!」
だんだんと明るくなる空を見ていると、火炎竜巻が起こした熱風ですっかり綿毛が乾いて元のモフモフ綿毛となったケサランパサラト君の高い鳴き声が響き、その声に応えるかのように空から白い光の粒が焼き尽くされた森に降り注ぎ始めた。
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