第875話◆絶対にないと言えないとしても

 ぶつかり合った魔力の爆発で発生した煙と、舞い上がった砂埃や粉砕された植物の破片で一度悪くなった視界が少しずつクリアになり始める。

 舞い上がったものが地面へと落ち、徐々に戻って来た視界に見えるのは、雑な男アベルのせいですっかり風通しがよくなってしまった森。


 俺達がいる場所からアベルの魔法が放たれた方向にまっすぐと、闇魔法がドーム状に広がってきてアベルの魔法とぶつかり魔力爆発が起こった周囲の木々が高範囲でごっそりとなくなってしまっていて、小さな星だけが瞬く夜空がよぉく見えるようになっていた。


 クリアになった視界の先に見えたのは地面にペタンと座り込む小さな黒い人影。

 その人影を確認してすぐに走り出し、その名を呼んだ。


「ジュスト!!」


 考えるより先に走り出してしまったが、きっと大丈夫。

 今ならアベルが森をぶち抜いた後――それはスゴロクのルールをぶち壊したということだから、きっとマスもサイコロも関係ない。

 だから一直線に走っていく。


「ちょっとグラン! 何があるかわからないんだから注意して!」

 俺を追って走り出したアベルの足音と声が聞こえてきた。

 何となく足元が覚束ないような走り方だけど大丈夫か? 今ので魔力を使いすぎたんじゃないか?

 ジュストと合流したらドラゴンペアーを追加で渡すよ。


「魔物とか変な魔力の気配はしねーけど、一応気を付けろぉ。っと、ジュストっぽいのが見えるのは縮こまっちまってるけど、そっちは大丈夫かぁ?」

 アベルに続いてカリュオンも走り出す気配。

 二人が俺に続いてきているなら、多少のことならきっと大丈夫だと思える安心感。


「ふ、ふえぇ……グランさん? また? 今度は三人一緒で? ふえええええ……偽物でもグランさん達と別れるのはやだぁ。偽物でもいいからもう僕を置いていかないでぇ……何度も何度も置いていかれるのはやだぁ……早くキノコさんのお願いを叶えて本物のグランさん達の所に帰るんだ……それまで今度は消えないで一緒に進んでくださいぃ」

 近付くにつれジュストの姿がはっきりと見えてくる。

 犬顔なのでわかりにくいが、明らかにションボリとした表情に不安と戸惑いでユラユラと揺れる虚で黒い瞳。

 俺達に気付いて立ち上がり、こちらに足を進め始めるが尻尾も耳もシュンと垂れてしまっている。


 聞こえてきた言葉から察するに、ジュストも俺達と同じように偽物に遭遇したのだろう。

 しかもその恰好からは、俺の偽物だけではなくアベルやカリュオンの偽物にも遭遇したのだろうということが窺われた。

 俺がいつも着ているパーカーに、アベルのマントを羽織り、靴はカリュオンの金属製のブーツ、更にその腰に掛けているのは俺がアベルに貰ったストーカー機能付きマジックバッグでは!?


 きっと偽物の俺達にめちゃくちゃ世話を焼かれたんだろうな。

 わかるぞ。俺がもし偽物としてこんな場所でパジャマ姿のジュストに会ったら、絶対に家に帰られるようにしっかりと物資を持たせてたくさん励まして見送るからな。

 そう……自分が偽物だとわかっているなら、自分の全てを犠牲にしてでも本物が生き残るようにするだろう。

 それは遭遇した相手がジュストでなくて、アベルやカリュオンだったとしても。


「ジュスト、大丈夫か!? 安心しろ、俺達は本物だ、絶対にジュストを置いていかない! 絶対に一緒に家に帰るぞ!」

 フラフラとこちらに向かってきているジュストの正面まで全力で走り、その両肩をガシッと掴みながらまっすぐとジュストの目を見てはっきりと言った。

 絶対に置いていかない。絶対に一緒に家に帰る。


「グランさん……? 本物の……?」

 見開かれた目の中でユラユラとしている黒い瞳が更に激しく揺れ、だんだんと瞳孔が小さくなり始め俺の顔に焦点が合い始めた様子がはっきりと見えた。


「ちょっと、グラン! 何があるかわからない場所でいきなり走らないで! ヒッ……ついでに魔法使って疲れたし、ドラゴンペアー以外の食べるものが欲しい……ヒ……ッ。ていうか、ジュストは範囲魔法を使う時はちゃんと周囲を確認して! おっおっおっ俺はちゃんと気付いてて、撃ったんだからね!」

 ヒィヒィ言いながら、思ったより早くアベルが追いついてきた。

 アベルの魔法の先にジュストがいたことで気付いた上でのあの奇行大魔法だったのかと思っていたのだが、さてはこいつ適当にでかい魔法を使おうとした後にジュストに気付いたな?

 最後の一言が余計で勘のいい俺は気付いちまったぜ。 

 まぁ、気配に敏感な俺よりアベルの方が先にジュストに気付いたようだったが。

 鈍感アベルが俺より先に遠くの気配に気付くなんて珍しいこともある。悔しいから気配察知のスキルをもっと真剣に鍛えよう。


「よっしゃ、ジュストとも合流できたなぁ。ま、体は無事そうでなによりだ。どっからどう見ても俺達は全員本物だから安心しろぉ。よっしゃ、これで後は家に帰るだけかぁ? 他も引き込まれていたとしても、主様やちっこい奴らなら自力でも帰れるだろぉ?」

 最後はカリュオン。

 そうか、俺達以外も引き込まれている可能性もあるし、俺達がいないことに気付いたラトやカメ君達が箱庭に何かするかもしれないからな。

 カリュオンが引き込まれた時、苔玉ちゃんが引き込まれず家に残っていたとしたらラト達に知らせにいきそうだし、今頃家では大騒ぎになっているかもしれないな。


 ……大騒ぎして、箱庭を弄ってなければいいのだが。

 帰ろう! 絶対帰ろう! 早くみんなでお家に帰ろう!!


「ふ……ふぇ……ふえええええええええ……グランさんだ! アベルさんだ! カリュオンさんだ! ふぇえええええ……森の中で服を着ないで歩き回ってるなんて、いつもの服を着ているグランさんより本物っぽいし、いつもの恰好のアベルさんより髪の毛がボサボサのアベルさんの方がアベルさんっぽいし、こんなに怪しいのに気にすることなくカリュオンさんが一緒にいるならみんな絶対本物だし、ふええええええええ……本物ですよね? 僕を置いていきませんよね? 一緒に進んでくれますよね? ふええええええええ」

 俺達三人の顔を順々に見ているうちに、虚だったジュストの目に輝きが戻り、垂れていた耳と尻尾もピンと上向きになり、尻尾がユラユラとゆっくり振れた後すぐに千切れるのではないかというほどブンブンと回すように振られ始めた。


 ジュストが俺達が本物だと納得した理由にはすごく納得がいかない気分だったが、確かにこのボロボロで怪しい姿であることこそが本物の証なのだ。

 ともあれジュストを無事に保護できてよかった。

 普段はヒーラーとして立ち回っているから光や聖の魔法を使う機会が多いが、ジュストは全属性にそれなりの適性を持っている。もちろん闇の魔力も。

 さすが元勇者である。


「もちろんだ。全員で一緒に前に進んで家に帰るぞ! そしてここまでよく頑張ったな、偉いぞジュスト!」

「ふ、ふええええええ……頑張りました! 何回もふりだしに戻って、何回もグランさん達の偽物に会って、その度に別れて……でも進めってグランさん達が言うから……頑張りましたから褒めてくださいいいいい!!」

 肩を掴んだ手を緩め、そのまま肩の上にポンッと手を乗せここまで一人で頑張ったジュストに労いの言葉をかけると、緊張の糸が切れてしまったのかジュストは鼻をピーピー鳴らしながら泣き始めてしまった。


 この様子ではジュストはしばらく泣き止まないだろうが、それでいい。

 ジュストが森の中で強力な闇魔法を使うことになった経緯や、先ほどジュストが口にしたキノコ君の願いとは何かを聞くのはジュストが落ち着いてからでいい。

 昂ぶった感情を吐き出すのも、メンタルを整える手段である。


 ジュストはまだ十代半ばの子供。そして命のやり取りなんかとは無縁な平和な国で生まれ育ち、つい一年前まではその生活が当たり前だった。

 そんなジュストにとって目の前で、偽物の俺達が消えていったのは偽物だとしても大きなショックだったに違いない。

 まだまだ辛い時はいくら泣いてもいい。

 今は、今はもう、俺達が一緒にいるのだから、俺達の前ではまだまだ年相応の子供であっていい。

 日本という平和な国を知っている俺の前では、日本の子供に戻っても構わない。

 いつまでも俺達がジュストの面倒を見るわけではないが、ジュストがいずれ独り立ちするほどになる日がくるまでは、ジュストが子供でいられる時間がまだまだあってもいい。


 日本よりもずっと死が身近なこの世界。

 ジュストもこれからいくつもの別れを近くで見ることになり、それを身近なものだと自覚するようになるだろう。

 その度に自分の知っている者との別れに怯えることになるだろう。

 世の中に自分が傷つくより恐いことがたくさんあることに気付くだろう。

 大切なもののためには理屈より先に体が動くこともあるだろう。


 俺達は死に近い場所で生きる冒険者。

 そんなことは絶対ないとは言えない、いつそういうことが起こるかわからない職業だが、それでも俺はそれを毎回言うことにする。

 建前だとしても、気休めだとしても言う。

 ジュストだけではなく、アベルにもカリュオンにも。そして全ての仲間にも。


 みんなで家に帰ろう。


 勝手に残される方のやるせなさは、偽物のアベルが教えてくれたから。 


 みんなの中には自分もちゃんと入れて、みんなで家に帰ろう。


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