第863話◆性質の違う二つの気持ち

 地面を赤く染めるのは首を刎ねられたホーンラビットの血か、それともホーンラビットの角に刺されたアベルの左太ももから流れる血か。

 きっとその両方。


 アベルの穿いているズボンが黒いせいでわかりにくいが、太ももという場所とその色の変わり具合から出血はかなり多い。

 ホーンラビットの角は十センチ程だが、それでもそれがザックリと刺さった傷はそれなりに深いはずだ。

 それでもその傷がまるでなんともないように表情一つ変えずに立っているのは、さすがAランクの冒険者。

 それとも、感情や弱みを隠すことに慣れている貴族故か。


 いつもアベルなら最小限の防御魔法を常に展開しているためホーンラビットの攻撃程度なら弾き返してしまうはずなのだが、そのままくらってしまったということはその防御魔法すらも自分で無効化していたのだろう。

 セレちゃんに迷うということがどういった結果になるかを教えるために。


 身近な人物が自分のせいで傷つく。

 それは大きなショックとなり、トラウマにもなりうる。

 だがそれのことが迷いを捨てる切っ掛けにもなる。


 だからアベルはあえて攻撃を体で受け止めた。


 だから俺はアベルの代わりに割り込まなかった。


 ここで傷つくのはセレちゃんの大切な人じゃないと意味がないから。


 全てはセレちゃんのことを考えた計算済みで効率的な行動。


 だけどやっぱり仲間が怪我をするのを見るのは辛いし、そうなるとわかっていながらアベルの意思を優先して、それを止めるのを我慢するのも辛い。


 強力な回復魔法持ちのジュストが控えているとしても。


 今日のアベルの夕飯は野菜マシマシだな。


 目の前で仲間が傷つくのを見ているしかできなかった、俺の気持ちを考えなかった罰だ。


 だって俺が同じことをしたら、アベルだって氷の粒をたくさんぶつけてくるだろうから。



「お兄様! ごめんなさい! セレが……セレが……セレがちゃんとできなかったから! お兄様が怪我をして……! 早く手当てをしないと!」


 目の前で起こった出来事に、ほんの少しの間だけ放心したような表情になったセレちゃんだったが、すぐに我に返って飛び込むようにアベルにしがみついた。

 手当てしないとといいながら、なかなかの勢いである。


「いたぁ! 怪我をしたんだから、勢いよく飛びついたら痛いでしょ! ほら、これくらいなら俺は平気だから、落ち着いて少し話をしようか。ジュストの回復魔法でもグランのポーションでもいいから、セレと話をしている間に手当てをお願い。護衛の君達は周りをしっかり見ておいてね。それとこのウサギはグランが美味しく料理して」


 アベルの胸に顔を埋めてグスグスと鼻を鳴らしているセレちゃんの頭を、アベルがポンポンと撫でてセレちゃんを離しながら近くに転がっていた石の上に腰を下ろし、怪我をしている方の足を伸ばした。

 ついでにまだ光の鎖で拘束したままだったホーンラビットの胴体を俺の方へシュッと転移させた。

 地面に転がっている頭は俺が手動で回収しておくよ。角は角で調合素材になるから。

 でもアベルは野菜マシマシなのは譲らない。

 出血が多いから貧血に効く野菜や薬草マシマシの刑だ。





「今日は相手がホーンラビットだったし俺がすごく強いからこの程度で済んだけど、これがもっともっと強い魔物だったらどうなっていたかわかるね? いたっ! めちゃくちゃしみるけど何そのポーション!? ていうかやっぱグランのポーションじゃなくてジュストの回復魔法でいいじゃん! ジュストと交代して!! いたっ! しみる! めちゃくちゃしみる!!」


「うるせぇ! 傷薬はしみるくらいがよく効くんだ! あ? ジュスト? ジュストはあっちでなんか変なスライムに絡まれてるぜ」


「ええ~、何このスライム~すごく美味しそうな匂いがする~」


「うぉ~い、ジュスト~。変なスライムに犬系特効の魅了をくらってないかぁ~? って、なんでそんなスライムがこんなところにいるんだ~? ま、ジュストだしなぁ~? ジュストは相変わらず運が悪いなぁ~?」


「うっわ、犬系の魔物を引き寄せる植物を食べたスライムかな……何、あれ。まぁ、ジュストだし……そういう植物が偶然近くに生えていてもジュストだし気にしない。わかったかい、セレ。弱いと思った魔物もこんな風に予想外の能力を持っていることもあるんだ。いたっ! ちょっと何!? 何そのヒーリングポーション!? なんで、こんなにしみるの!?」


「ん? 少ししみるのは気にしないで、そのままセレちゃんと反省会をつづけてろ。セレちゃんも安心してくれ、アベルの怪我は俺特製のすっごくよく効くポーションで綺麗に治るはずだから」


「ふぇ……ふぇ……レッド先生、お兄様の怪我を綺麗に治してくださいましぃ……」


「あの……わたくしも回復魔……いえ、野暮でしたわね……」



 街道脇に転がる少し大きめの石の上に並んで座り反省会中のアベルとセレちゃん。

 アベルが説教をする側になっているが、俺もアベルに説教をしたいところだ。

 しかし今はそれを我慢して、反省会の邪魔をしないようにアベルの傷の手当てをしている。

 手当てといってもこの場でズボンを脱がすわけにもいないので、ズボンの上から傷口の浄化効果のあるポーションをジャバジャバとかけているだけだが。

 おっとぉ! この浄化用のポーションはよく効くけれどちょおおおおおおっとしみるんだよなぁああああ!!!


 あ? ジュストの回復魔法? ジュストならあそこでスライムと遊んでるぜ?

 運良くというか運悪く変なスライムに引っかかっちまったみたいだぜ。

 だから俺に任せとけって! ほぉら、リリーさんも空気を読んでくれた!!


 そぉれ、傷口に浄化ポーションをかけた後はヒーリングポーションをぶっかけてやるぜー!!

 すまんな、今日は少ししみるヒーリングポーションが大安売りの日なんだ!!


「よく覚えておくんだ、これが冒険者活動中に負傷するってことだよ。命を奪うという行為に戸惑いがあるのは、人として当然だと思うよ。ううん、セレにはその戸惑いを忘れないでいてほしいと思ってるよ。でもね、自分や大切な人のために必要な時はちゃんと意識を切り替えないといけないんだ。これはセレが大人になるまでの宿題、セレなりに気持ちの切り替えができるようになること」

 時々ギャアギャアうるさいけれど、今日のアベルはすごくお兄ちゃんらしい。

「気持ちの切り替え?」

 アベルの言葉にコテンと首を傾げるセレちゃん。

 気持ちの切り替えなー、わかっていても難しいんだよ。

「ふふ、グランだってもう何年も冒険者をやってるのに、頻繁に変な魔物に釣られて酷い目にもあってるし俺もよく巻き込まれてるからね。そうそう、こないだもダンジョンでヴァンパイアが化けた猫に釣られかけたよね? それくらい気持ちの切り替えって難しいことなんだ。だからセレが独り立ちするまでに自分の身と自分の大切なものを守れるように、気持ちをコントロールできるようになるんだ。きっとね、大人になると守りたいって思うものが増えるから」

 うるせー、猫様を筆頭して可愛いものに釣られるのは仕方ないんだよぉ。

 俺だってその気になれば猫ちゃんくらい………………無理かもしれない。


「大切なものや守りたいものですか? 大切なものは今でもたくさんありますわ。守るのは……わたくしは守られる方ですけど……それでも、先ほどみたいにわたくしのせいで誰かが怪我をするのはもう嫌ですわ。だったら迷わない……迷わないようにしますわ!」

「ふふ、言うのは簡単だけど実行するのは難しいから、大人になるまでの宿題だよ。迷う相手は今日みたいな小さな生きものだけじゃないからね、じっくりとセレ自身が考えて納得して気持ちを切り替えていくんだ。きっとそれができるようになったセレはちゃんと強くなっているはずだし、大切なものを守る心構えもできてるはずだからね」


 さすがに俺はもう冒険者歴が長いのですっかり慣れて気持ちの切り替えはできているが、それでもやっぱり可愛いものをみかけるとついあまくなりそうになる。

 可愛いものだけではない、知性の高いもの会話のできるもの、そして人間により近い姿をしたもの。

 冒険者として経験を積んできた俺だって対峙すれば迷いが生じるものはたくさんあるし、人間と命を奪い合うのは今だって苦手中の苦手だ。


 しかし魔物の中には見た目の愛らしさや言葉が通じることを利用して隙をついて攻撃してくる奴も少なくないし、理不尽な理由で人間に襲われることもある。

 それらに対して迷いがあれば、自分が奪われる方になってしまう。

 アベルが体を張ってまで教えたかったのはそれ。


 そうならないために、あまい心など必要ないという考えもある。

 でもそのあまさこそが人間らしさであり、命をいうものの重みを知っている証拠だと俺は思う。


 だからホーンラビットに剣を振り下ろせなかった時の気持ちをずっと忘れないでいてほしいと思う。

 この先セレちゃんが心も体も強くなって剣を振ることに抵抗が減ってきても、今日ホーンラビット相手に覚えた感覚は決して間違ったものではないのだから。

 そして迷った結果に起こったことも忘れないでほしい。

 性質の違う二つの気持ちと上手く付き合ってほしい。


 アベルの言うように切り替えることができればいいが、言うのは簡単でも実際には難しい。

 セレちゃんがまた同じような場面に遭遇したら、今回ほどではなくてもきっと少しは迷うだろう。

 だけど今はそれでいい、少し切り替えられるようになればいい。

 セレちゃんはまだ守って貰う側でいられるから、いつか守る側になるまでの宿題。




 アベルとセレちゃんの話を聞きながらアベルの傷口にジャバジャバとポーションをかけているうちに、気付けば日差しが夏の西日特有のギラギラした光となっている。

 アベルの傷口はほぼ塞がって血も止まっている。


 流れた血の汚れと俺がバシャバシャとかけたポーションのせいでズボンはドロドロだけどな。

 まぁこれはアベルの自業自得。


 しみるポーションばっかりをぶっかけたから最後に痛み止め効果もあるヒーリングポーションもかけておいてやるか。

 バシャーッ!!


「ちょっとグラン!! そんなにポーションをかけなくてももう傷は塞がってるよ!! って、ズボンがすっごいドロドロなってる!!」


「ああ~、場所が場所だけにお漏らししたみたいになってるなー。いいかい、セレちゃん。怪我をしてかけるタイプのポーションを使うとこうなるからね、こうならないために魔物を前にして迷ったらだめだよ。セレちゃんや大切なお兄様がお漏らししたみたいになるのは嫌だろ? 今日はお兄様がお漏らしをしたみたいになったけど、次はセレちゃんがなるかもしれないからね」


「お、お漏らしみたいになるのは嫌ですわ! わたくしちょっと覚悟ができたかもしれませんわ!」


「お、そりゃアベルもお漏らしをした甲斐があったな!」


「してない! お漏らしはしてないでしょ! というかこんなになってるのはグランのせいでしょ!!」


 あ、やべ。これはわりと怒っているアベルの顔。

 これ以上怒られる前に逃げるか。


「あ~、そろそろ撤収の時間だな~。よぉし、今日の授業の最後は体力テスト!! 冒険者ギルドまで競争だーーーー!!」


「ちょっとグラン!! そうやって逃げるつもりでしょ!!」


 走り出した俺を憤怒の表情で追いかけてきているアベルの足はきっともう大丈夫そうだな!!


 お家に帰るまでが野外授業!!


 さぁ、みんなでマラソンだー!!



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