第862話◆冒険者というもの
最初は小さなスライム。
自分で飼育した個体には愛着は湧いてくるし、観察しているとただのゼリー状の姿からも案外表情や感情のようなものを感じるが、野生のスライムは濁っていて汚いし動きも本能的で可愛さには欠けるので遠慮なくプチッと倒すことができる。
それでもふとした拍子に我が家にいる可愛いスライム君達を思い出して、心が揺れそうになることもある。
スライムと同様に虫も殺すことにあまり戸惑いを感じることはない。
倒した後のグロテスクさに戸惑うことはあるが、倒すこと自体はそうでもない。むしろ不快感を覚える類いの虫だと、積極的にプチッとする。
でも蝶のように見た目が綺麗な種だと少し戸惑うかもしれないし、プチッとしようとした瞬間に目が合ったような気がすると戸惑うこともあるかも。
その時に触覚をピロピロとされたら命乞いをされているような気分になって、そのままどこかにいってくれるなら殺さなくてもいいかななんて思うこともある。
ま、その触覚ピロピロの後に顔面に向かって突撃してくる奴もいるので、そういう体験があると一瞬迷ったとしても反撃されるよりましとスパーンッといける。
虫よりも大きな小型のトカゲやヘビやカエル。
ここら辺になるとスライムや虫に比べて知能が高く、表情や仕草からなんとなーく感情のようなものがあるようにも思えてくる。
それでもこいつらは小さくとも毒を持っている種が多く人に害があるイメージが強いため、駆除するのにそこまで抵抗はない。
じゃあ、それよりももう少し大きいネズミやウサギのような小動物。
知能はそこまで高くなくとも人間と同じ哺乳類。そしてモフモフとしていて、見た目もスライムや虫や両生類、爬虫類に比べ可愛く見えるし、その仕草や表情には感情をはっきりと見ることができる。
そこから垣間見えた感情によっては、害獣だとわかっていても迷いが生まれそうになるかもしれない。
だがそれでも刈り取らなければならない存在を刈り取るのが、俺達冒険者の仕事だ。
セレちゃんにはその覚悟があるかな?
「く……」
セレちゃんの剣が止まったのは、尖った角を額から生やしたモコモコのウサギの魔物、ホーンラビット。
大きさとしてはホーンラビットにしては小型で、裕福な家庭で愛玩用に飼われている小型のウサギより一回り大きいくらい。
おそらくまだ若い個体だろう。
ホーンラビットは平地から山間部まで広く分布する草食性のウサギの魔物で、額に十センチを超える程度の角が一本生えているのが特徴で、大きさは普通のウサギとあまり変わらないくらいだ。
見た目も角が生えていること以外はほぼウサギで、パッと見は非常に愛くるしく人に害を成すような魔物には見えない。
しかしこのホーンラビット、ユーラティア各地に棲息し畑を荒らす害獣の筆頭である。
強さランクとしてはFランクと弱い部類で、冒険者でなくとも狩りにある程度慣れている子供なら難なく狩れる魔物である。
俺も子供の頃はよくホーンラビットを狩って、肉や角や毛皮を集めていた。
草食性であまり大きくなく見た目も愛くるしいホーンラビットだが、意外と縄張り意識が強く気性が荒い。
食物連鎖の下位存在であり捕食者に気付けばすぐに逃げ出す傾向にはあるが、逃げられないと悟った時や相手が隙を見せた時は額の角を突き出して突進をしてくる。
また個体によっては下位土魔法を習得しており、土属性系の身体強化を使ったり、小石を飛ばしたり、砂を撒き散らして目潰しをしてきたりしてくることもある。
角もその長さなら刺されれば重傷になりうるし、刺された場所や回数によっては命の危険もあるため、人の生活圏に近い場所に出没する個体は駆除対象である。
そのホーンラビットを発見して即光魔法の鎖で拘束したセレちゃんが、剣を構え硬直をしている。
先ほど、ネズミの魔物の親子を駆除した時も光魔法で拘束した後、次の行動に移るまで少し時間がかかった。
そう、対象が大きくなれば、そして知性や感情を垣間見ることのできる相手となれば、だんだんと自分が命を刈り取る――殺すという行為をしていることを実感するようになるのだ。
命を奪うという行為に抵抗があるかないかには、個人によってかなり差がある。
俺が故郷で当時狩りを教えられたのはまだ子供の頃だった。
大人の仕事を近くで見ながら育ったため、山の生きものを狩った獲物が腹を満たすものとなるということはすでに理解しており、狩りに対する抵抗感はあまりなかった。
ただ初めて大人達について狩りの現場にいった時に、自分より大きな生きものの命が消える瞬間というのを目の当たりにし、その後しばらく生きものが死ぬ瞬間の感覚を思い出しては落ち着かなくなっていた。
子供だったから自分がどうしてそんなことになったか理解ができなかったが、今思えば命が失われる瞬間に大きなショックを受けていたのだろう。
この時、俺にはまだ前世の記憶はなかった。
前世のことを思い出したのが、故郷で生活が当たり前になった後だったのは幸いだった。
きっと狩りを覚えるより先に前世を思い出していたら、自分が生きるために必要なことだと頭ではわかっていても生きものを殺すことに大きな抵抗が生じて、狩りの技術を身に付けるのが遅れてしまったかもしれない。
そうなるとあの自然の厳しさがすぐ傍にある暮らしの中で、俺が生き残れていたか不明である。
そう命を奪おうとしているのは自分だけではないのだから。必ずしも自分が奪う側でないのだから。
それが前世よりずっと死が身近なこの世界であり、死の近くで生きる冒険者という職業なのだから。
迷えば奪う側から奪われる側になるのだ。
そして奪われるのは自分の命とは限らず、大切な人の命かもしれないから。
奪う側になるのならば、決して迷ってはならない。
だけど――。
「はい、時間切れ」
別にボーッとしていたわけではないが、俺よりもアベルが反応したのが先だった。
というか移動速度だけ考えると無詠唱の転移魔法が圧倒的だし。
それにこれはアベル自身が考えてやったことだから、俺が止めに入らない方がいいはずだと考え直し動き出しそうになった体を制御した。
カリュオンは全く動いていない。
リリーさんとジュストはこの状況に驚いて目を見開き、少し距離のある護衛の人達はざわついた。
俺のすぐ横にいたアベルが転移したのは、セレちゃんの光魔法の鎖で足を縛られたホーンラビットの後ろ足に力が入る気配がした瞬間だった。
セレちゃんが戸惑っていることをすでに感じ取っていたのだろう。
拘束系の魔法は使用中は魔力を消費し続け、その拘束力は魔力だけではなく使用者の集中力にも依存する。
セレちゃんの戸惑いに気付いていたホーンラビットは、ずっと逃げ出すもしくは反撃する隙を狙っていたのだろう。
そして光の鎖の拘束を維持しているセレちゃんの集中力がほんの少し弱まって、それと同時に緩んだ拘束をホーンラビットは見逃さなかった。
そこはやはり小さくとも野生生物。決して油断してはいけない相手なのだ。
セレちゃんの魔力が少しだけ揺らぎ光の鎖が僅かに緩んだ瞬間、ホーンラビットの足がスルリと光の鎖から抜けて角を前に突き出しセレちゃんの方へと大きく跳ねた。
身体強化系の魔法を使ったのだろう、僅かに土の魔力を纏いながら弾丸のようにセレちゃんの腹の辺りを狙って。
それは少しでも実戦の経験があれば、簡単に躱せる程度の勢い。
しかしセレちゃんは、模擬戦を何度もこなしたことがあっても実戦経験はおそらくほとんどない。
だから反応が遅れる。
セレちゃんに限らず、駆け出しの冒険者にはよくある負傷の原因。
小さな戸惑いからの、弱い魔物の不意の反撃。
それに反応できず、思わぬ怪我をしてしまう。
今のセレちゃんのように。
だけどセレちゃんがそうならないように俺達が付いている。
セレちゃんはどうやったって本当の冒険者にはなれないから。
これは冒険者ごっこ。
冒険者ごっこだけれど、そのごっこの中で現実の冒険者の厳しさをセレちゃんが知ることができるのなら。
あのさー、その役ってアベルより俺がやった方がよくない?
カリュオンは固すぎるから無理だと思うけれど、俺は適度に柔らかいから。
ヒョロヒョロ軟弱アベルが、無理に体を張らなくてもいいのにな。
アベルが転移した気配とアベルの意図を感じながら動き出すのをやめて心の中で少し呆れていた俺の耳に、セレちゃんの悲鳴とアベルの呟きが届いた。
「お兄様!!」
「はー……いったぁ……」
それは、ホーンラビットが光の鎖を抜ける気配を察知してセレちゃんの前に転移魔法で体を滑り込ませたアベルの太ももに、飛びかかってきたホーンラビットの角が刺さるのが見えたのとほぼ同時だった。
直後、角を刺したホーンラビットがアベルの太ももを足場に角を引き抜いて逃げようとしたところをアベルが即光魔法の鎖で拘束し、左手でその鎖を操ってホーンラビットを空中に持ち上げた。
同時に右手は護衛を制するように挙げながら。
アベルが大きく息をはいて、セレちゃんの方を振り返り言葉を続けた。
「セレ、これが冒険者だよ。迷えば自分が、もしくは仲間がやられる。俺達は命のやり取りをしているんだ。大切な人を傷つけたくなかったら決して迷ったらいけないよ、これは冒険者に限ったことじゃないけどね。さぁ……よく見ておくんだ、これが冒険者なんだ」
痛いといいながらもアベルは平然と立っている。
ホーンラビットの角が引き抜かれ太ももから溢れる血がアベルの黒いズボンの色を濃くしているが、その負傷を感じさせない動きで光の鎖を操り、セレちゃんによく見える角度までホーンラビット持ち上げた後、魔力で作りだした光の剣でその首を刎ねた。
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