第860話◆身近な危険
プルミリエ侯爵領はユーラティア王国の南東の端に位置し、その領都フォールカルテの周辺はなだらかな平地で南には海、北の内陸部へ進めば低い山々が連なっている。
少々距離はあるが東にはシランドルとの国境となる大河の河口もあり、そこまでがプルミリエ侯爵領だ。
またプルミリエ領西部は海と山間部の距離が近く、この辺りは山の斜面を活用した農業が盛んな地域で、茶や薬草、果物等の名産地だ。
ユーラティア東部の物流の要を握るプルミリエ侯爵家の統治下である地域のため、王都から遠く離れた地方であるにも拘わらずプルミリエ領はユーラティアの中でも非常に治安の良い地域である。
その領都であるフォールカルテの町は市街地と住宅地の地区の外周に防壁が設置されており、ここから内側には地上から魔物に侵入されないようになっている。
その防壁の外側はフォールカルテの郊外地区となり、漁民や農民の集落が点在しこの辺りには弱い魔物が出現するが、領主の支援を受けながら集落ごとに魔物対策をしている感じだ。
先日俺達が訪れたウンダ地区の集落も、フォールカルテの郊外地区にある小さな集落の一つである。
セレちゃんの野外実習で向かったのは、防壁から外に出たフォールカルテの郊外地区。
先日薬草やシージュエルを採取した海岸は防壁の内側の地区だったが、今日は魔物がうろちょろとしている町の外。
といってもフォールカルテの中心部から歩いた辺りの集落と集落を繋ぐ街道沿いで、防壁の外側ではあるが街道を挟んで内陸側には田畑や民家、海側には漁業施設、そして海に浮かぶ船の姿が点々とあるのが見える。
防壁の外ではあるが領主による管理と冒険者ギルドによる魔物の駆除が行き届いているため、人が生活している領域に人を襲うような大型の魔物の姿も気配も全くなく小型の魔物の気配がするくらいだが、それらも自分よりも大きな人間を恐れ目に見える場所には姿を現すことは滅多にない。
滅多に出てくることもなくあまり強くもないのだが、全く出てこないわけでもなく不意に人と遭遇すれば襲われることもある。
命に関わるほどでなくとも重傷を負う危険もあり、中には毒を持っているものもいる。また、魔物によっては人を襲うことはなくとも農作物を荒らすものもいる。
よって防壁の外で生活する人々の周辺にそういった魔物がいないか見回りをして、人に害がありそうな場所で魔物を発見すれば追い払う、または駆除をするという仕事がDからCランクの冒険者向けにある。
Dランクといえば冒険者として初心者を卒業し、中級者と呼ばれ始めるランク。
Eランクまでは町の中の仕事が中心だが、Dランクからは町の外での仕事も増え稼ぎも一気に増える。
そんな初心者を卒業したばかりの冒険者に振られるのが、こういった町の周辺に棲息する危険度の低い魔物の対応である。
また町の周辺は冒険者以外にも警備兵も見回りをしているので、万が一ランクの低い冒険者では対応ができない魔物が出現した場合は、速やかに撤退して警備兵に報告し援護を求めることになっている。
大きな町の周辺は基本的に危険な魔物は駆除され比較的安全ではあるが、話の通じない魔物相手に絶対ということはない。
冒険者の仕事に慣れてきた時期の者達が、予想外の危険に巻き込まれやすいのもこういった一見安全で簡単そうに見える依頼の時なのだ。
セレちゃんは現在、冒険者の最初のランク現在Gランクから一つ上がったFランク。
本来なら町の中での安全な仕事しか受けることのできないランクだが、今日はAランクの冒険者が三人も同行しているので特別にセレちゃんがDランク相当の内容の依頼を受けられることになった。
Aランクが三人もくっ付いていてもFランクはDランクの依頼を受けることはできないし、Aランクが三人でDランクの依頼を受けるというのも可能ではあるが普通はやらない。
今回はリリーさんの根回しにより、Dランク相当の内容の依頼を俺達が一緒だという条件で、Fランクのセレちゃんでも受けることのできるEランクの依頼にしてしまうという強引な裏技である。
まさにこれが権力というやつである。
冒険者ギルドは権力に影響されないようギルド長は、身分の高い家門出身者が選ばれるのがほとんどだ。
しかしさすがにリリーさんは領主の娘さんだしなぁ、ギルド長も頼まれると断れないよなぁ。
フォールカルテのギルド長のことはあまり知らないが、プルミリエ家とは関係ない家門だとしてもプルミリエ家は侯爵家だから、それ以上の身分の家門ってもう公爵家か王家になるもんなー。
それにどっからどう見てもすごくいいところのお嬢様っぽいセレちゃんが、普通の冒険者と同じように活動するのは難しい。本人にとっても、冒険者ギルドにとっても、そして一般の冒険者達にとっても。
だからこういう特別措置で、冒険者の仕事を体験する機会を設けるという対応は間違っていないと俺は思う。
特別措置かもしれないが、高位の貴族のお嬢様が俺達平民の生活に興味を示し知ろうとしてくれるのは、普通ならあり得ないことであり、そしてありがたいこともであるのだ。
いつか貴族のところに嫁ぐことになると思われるセレちゃんが、俺達平民の暮らしにほんの少しでも興味を示してくれたことが、俺達の暮らしをよりよくするきっかけになるかもしれないから。
そんな権力行使で受付のお姉さん達には手間を掛けることになったと思うのだが、俺も依頼されている側なのでどうしようもできない。
どうしもようできない俺にできることは、受付のお姉さん達に愛想良く笑顔を振りまくくらい。
あ、笑顔が気に入ったらいつでもお茶に誘ってください。年中無休二十四時間営業で彼女募集中なのでホイホイついていきます。
こうしてセレちゃんが受けた依頼は、フォールカルテ郊外の街道沿いに出現する有害な魔物の駆除。
依頼を受けて現場に移動してから、一時間程度の短い時間の見回り。
まずはパッと見ただけでは気付かないような小さな危険から。
「そこにあるラッパみたいな花が咲いている蔓状植物、こいつはクレージーアンヘルといって人が口にすると麻痺や呼吸困難、時には幻覚症状も発症することもあって、大量に摂取すると命も関わる危険な植物なんだ。実や根が何となく食べてみたくなるような形をしているが、どっちも人間にとって有毒だから腹が減っても食べたらダメだぞ。調合次第では喘息の薬にもなる植物だが、取り扱いは非常に難しいんだ。一部では蘇りの薬の材料だの、不死薬の材料だのいわれているが全部眉唾! 絶対に信じたらいけないよ、っていうかわかっていると思うけど死者を蘇らせる薬や不死の薬なんてないから、どんなことがあっても信じたらいけないよ」
フォールカルテの市街地を囲む防壁から外に出てすぐの場所で見つけた植物の前にしゃがみこみ、その植物の危険性をセレちゃん、ついでにジュストにも説明をしている。
複数ある防壁から外に出るための門の一つから外に出てすぐのところ。幹線街道へと続く最も大きな門ではないが、町に出入りする地元住民の利用が多い門である。
比較的人通りの多い場所ですら、当たり前のように危険が潜んでいる。
「クレージーアンヘルの毒性はわたくしも知っておりますわ。似たような野菜に紛れて……間違えて料理に混入することがあるかもしれないので、気を付けるようによくいわれましたわ」
「そうそう、俺が子供の頃に似たような野菜に紛れ込んでたのを食べたことがあるから、その野菜も含めて大嫌いだよ」
おいおい、料理に紛れ込むって物騒だな。
庶民の食卓には食べられる野草が出てくることは普通なのだが、お貴族様の家でもそんなことがあるのか。
クレージーアンヘルは種が散らかりまくるから、どこでも生えているし畑の周辺に生えているものが農作物に混ざることもあるからなぁ。
クレージーアンヘル全体を見ることができる状態なら他の食用できる植物と間違えにくいが、実や葉や根を収穫してバラしてしまうと薬草のプロでもない限り、鑑定スキルなしでは似たような植物と間違ってしまってもおかしくない。
そしてクレージーアンヘルに限ったことではなく全ての毒性の植物にいえることなのだが、毒性の植物の近くには別の危険もある。
今日の俺達はこちらがメイン。
「クレージーアンヘルは危険な植物だけど、そのクレージーアンヘルの近くには危険な生きものがいるかもしれないんだ。いや、これはクレージーアンヘルに限ったことじゃなく、こいつは町の中にも外にもいて、小さければすごく弱いけど、それでもやっぱり危険な生きものなんだ。ほら、そこにもいるよね」
大きく成長し葉を繁らせラッパ状の花を咲かせているクレージーアンヘルの幹を指差し、セレちゃんの視線をそちらに誘導した。
繁っている葉の中には虫に食われたように大きく欠けているものが何枚もある。咲いている花の中にも花びらやその中身が失われているものもある。
それは何かに食われた跡。
クレージーアンヘルを食った奴、現在進行形で食っている奴が俺の指が示した先にいる。
「スライムですわ!」
それに気付き、セレちゃんが目を輝かせた。
「そう、スライム。クレージーアンヘルを食ってその毒性を取り込んじゃった奴だな。じゃあこれから、毒スライムを退治しようか」
人々の生活のすぐ傍に潜む危険の排除――俺達冒険者の最も主な仕事であり、冒険者らしい仕事の基本中の基本である。
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