第845話◆足りないと不安だから

 ラトの紹介となると十中八九人間ではないだろう。

 森の民という表現は抽象的すぎで、そして広すぎる括りである。

 よくよく考えると俺はこの森のことをよく知らない。とにかく大きな森ということしか。


 地下には大きな洞窟が広がっており、そこにはモールやドワーフの集落があり、俺は実際には見てはいないが地底エルフの集落もあると聞いた。

 もちろん魔物もたくさん棲んでいるようだし、謎の大きな縦穴や地底湖もあった。そういえばバカでかい地底ナマズもいたな。


 地底だけでもあれだけ広く様々な生命が存在していると考えると、地上の森には更に多くの者達が暮らしていたとしても不思議ではない。

 この森にはそれだけの広さと、豊かさがある。

 きっと俺が知らないだけで森の奥には獣人や亜人、妖精達がたくさん暮らしているのだろう。


 種族の違い故の価値観の違いには不安はあるのだが、人間と価値観が違うからこそ安心もできる。

 この家には人間には知られたくないことが多すぎる。


 アベルによく危機管理がなっていないと言われがちな俺だが、そんな俺でもラト達のことは信頼できる人間以外には知られてはいけないというのはわかる。

 しかしラト本人が紹介してくれる相手ならその心配もなく、ラト達の正体を知っている者ならラト達が住み着いている場所で悪さをするはずもなく、人間の業者よりも信用ができそうだ。

 価値観の違いは気になるが、言葉さえ通じれば交渉はいくらだってできる。


 よし、ラトの話をじっくり聞いて大きな問題がなさそうなら、ラトの紹介してくれる森の民の力を借りることにしよう。



「ラトが認めるような奴なら、身元的には安心そうだな。しかもこの森に棲んでいる者なら、ここまでくる道のりも問題ない感じか? それからもし改装を依頼できるなら、人間との通貨での取り引きはできるのか? 人間の通貨で取り引きできない場合は、報酬は何で払えばいいんだ?」

 そう問題は報酬。

 価値観が違えば、依頼の対価も人間の価値観とは違うものを要求されるはずだ。


 それを尋ねながら、大皿に盛られているベーコン巻きパタイモにピックを刺して口の中にポイ。

 スティック状に切ったパタイモを軽く湯がいた後、スライスしたレッドドレイクベーコンでクルクルと巻いて、黒胡椒をたっぷりとかけて焼いたもの。

 仕上げにチーズを削ってかけて、ついでに刻みパセリをかけて完璧。


 パタイモもパセリもうちの畑産、胡椒はキノコ君に貰ったもの、ベーコンは俺のお手製。

 自作のものだらけで作った料理は、なんだか美味しく感じる。

 今日のおつまみは、昼間にカメ君と選んだ加工肉を使ったものが中心。


 そしてベーコンや生ハムで野菜を巻けば、野菜嫌いのアベルも野菜をもりもりと食べる上に、弁当にリクエストまでしてくる。

 奴のお気に入りは黒胡椒たっぷりのアスパラベーコン。

 これが食べたいがために、実家の厨房から胡椒を失敬してくるとか言っている始末。

 胡椒は買うと高いから、ぜひバレないように持ち出してきてくれ!


 ベーコン巻きパタイモで口の中がしょっぱくなった後は、口の中の塩分を喉の奥へ流すように酒をくいっと呷る。

 今日の酒は、ラトがよく持って帰ってくる妖精に貰った酒を、俺のお手製トマトジュースで割ったもの。暑い日なので氷もたっぷりで。

 もちろんこのトマトも自家製。

 酒をただトマトジュースで割っただけではなく、レモン汁を少し加えた後ちょこっと塩と胡椒を振って、隠し味はレッドペッパー。

 本当はキュウリも突っ込んでやろうかと思ったのだが、野菜嫌いのアベルのために今日はキュウリ抜きで勘弁してやった。

 辛そうなレシピだが、この少しだけ加えた塩胡椒とレッドペッパーがトマトの味を引き立て、甘味が少ないカクテルのわりに口当たりが非常に柔らかい印象になるのだ。


 大人の俺達はこのトマトジュースのカクテルで、ジュストはアップルビネガーをトマトジュースで割ったものを飲んでいる。

 夏の日の光をたっぷり浴びた真っ赤な完熟トマトの飲み物は、健康にも良くて美味しいのだー。

 酒をたくさん飲んでも、トマトでリセット!! つまり健康ドリンク!! つまりたくさん飲んでも健康にいい!!



「報酬か……、森の奥で暮らす者達故に人間の通貨は必要としないので、奴らが望む物品での取り引きになるな。森から出ることがあまりない故に森の外のものを対価として提示すれば、おそらく快く引き受けてくれるだろう」

 そう言って真っ赤なトマトのカクテルを呷るラト。

 トマトのカクテルが気に入ったのか、先ほどからカパカパと飲んでいるけれど大丈夫か?

 まぁ、ラトが飲み過ぎてその辺で寝るのは、すでにうちの恒例行事である。

 もう夏だし、今日は天気もいいのでテラスで寝たらそのまま放置しても問題はないだろう。 


「やっぱ物々交換になるよな。俺の収納の中にあるもので足りるかなぁ……やっぱもうちょっと増やした方が……」

「足りる! 多分足りる! 絶対足りるからとりあえずこれ以上増やす前に、ラトが紹介してくれるって相手と交渉するのが先だよ! 勘のいい俺の予想だと、間違いなく足りるから、それでまだまだ収納の中に使わないものが残ってそうだから、改装の見積もりが終わったら収納の中を整理するよ!!」

 森に棲む者との取り引きになるとやはり人間の通貨ではなく物品での取り引きになるよなぁと、収納の中にあるものが交渉材料になるのか、またはストック分で足りるのか不安になってきた。

 もしかしてもう一度どこかのダンジョンで一稼ぎしなければいけないフラグではー……と思ったらアベルがものすごい勢いで俺の言葉を遮った。


 え? 足りる? 本当に?

 足りなかったらアベルの空間魔法で収納している分も借りることになるかもしれないぞぉ?


「森の奥の方や近隣の森にはエルフや獣人や亜人、妖精がたくさん棲んでいて、ハイエルフもそいつらとちょいちょい取り引きはしているが、俺の予想ではグランの収納の中身で足りると思うぞー。苔玉もそう思うだろ? 苔玉はグランの収納……いや、表向きは面白マジックバッグってことだったよな? の面白さを知らないか~」

「キッ!」

「何だぁ? 面白収納の片鱗はすでに見たことあるかぁ。そうか面白いよな? 多分あの中身で改装費用くらいは出るよな? ま、苔玉と主様達がいるのにぼったくる奴はいねーだろうし」

「キッキッキッ!」

 改装の対価が足りないとアベル達に迷惑をかけそうだし、やっぱもう少し交渉材料を増やした方が……と思っていたら、森エキスパートのカリュオンにも多分足りると言われた。

 苔玉ちゃんもうんうんと頷いている。


 ホントに? ホントに足りる?

 ああ、苔玉ちゃんは以前から時々うちに遊びに来て、俺が倉庫で作業をしているのを眺めていたからね。

 大丈夫? 足りそう?

 いざ交渉の席で足りなかったら恥ずかしいからさ。


「グランさん! 僕、お金はあまり持ってませんが、素材系なら空いた時間で冒険者活動をしながら少しずつ貯めてますから、僕も少しくらいなら出せます! グランさんには、知り合ってからずっと助けてもらってるので、少ないかもしれませんが僕にも出させてください!」

 ああ~~、ジュストは優しくて良い子だなあ。

 あまりに良い子すぎてアベルとカリュオンが生温かい目でジュストを見ているぞ。

「ありがとう、その気持ちはすごく嬉しいよ。じゃあ、もし足りなかったらジュストにも助けてもらおうかな」

 もちろん後輩みたいな存在であるジュストに援助してもらうのは避けたいのだが、ジュストがそう言ってくれるならその好意はありがたく受け止める。

 そうだな、もしもの時はほんの少しだけ援助してもらって、その気持ちはたくさん受け取ってたくさん感謝するよ。

 俺が困りそうな時に手助けをしようと思ってくれるだけでありがたいのだ。

 ……やはり、ジュストの世話にならなくていいようにもう一稼ぎ――。


「ゲッ!!」

 やっぱもう一稼ぎいくべきかという考えが浮かびかけた時、真っ赤なトマトのカクテルをチビチビと飲んでいたサラマ君がビシッと前足を挙げた。

 え? サラマ君も援助してくれるの?

 うちに通い始めて日が浅いのになんか申し訳ないなぁ~。


「カッ!? カメッ!!」

 続いてカメ君も挙手。

 ええ? カメ君はいつも高級海産物をくれているから、今回も頼るのは申し訳ないなぁ~?

 やっぱ、ここは俺が自分で~。


「モ……」

 やっぱ自分で~と思ったところで、ジュストの傍にいた焦げ茶ちゃんもスッと挙手。

 ええ……焦げ茶ちゃんまで?


「ほら、みんな少しずつ出すって言ってるからさ、そこは素直に受け取ろうよ? せっかくダンジョンから帰ってのんびりしてるんだから、またダンジョンに稼ぎにいこうなんて考えないでさ、もしも足りなかったらその時はその時で考えよ? それで解決だから今日はもう考えるのはやめてお酒を楽しも? トマトのお酒に飽きたら、兄上のところから持ち出してきた高いお酒もあるよ?」

 アベルがニコニコしながら向かいの席から、俺に酒を勧めてくる。

「ん? じゃあ、これを飲んだら貰おうかな」

 グラスに残っていた真っ赤なカクテルを飲み干すと、思ったより強かった酒精に少しクラリときた。

 そこにいつの間にかアベルが背の低いグラスに注いだ茶褐色の酒をスッと俺の手元に滑り込ませ、その中に沈む大きな氷がカランと小気味の良い音を立てた。


 あ……これはウイスキーでは? しかもこの香り、間違いなく高いやつ~!

 いつもなら高いお酒は値段が気になって遠慮をしてしまうのだが、もうグラスに注がれて氷まで入っているなら飲まなければもったいない。

 ああ~、喉がカーッと熱くなる酒精の強さ~。それと同時に喉から鼻に抜ける、高級ウイスキーの良い香りで頭がクラクラするぅ~。


「でさ、みんなも援助してくれるって言ってるし、グランの収納の中身で改装費用が足りないなら素直にみんなを頼ることにしよ? それでいいよね?」


 ああ、確かにまたダンジョンにいくのは面倒くさいし、なんだかそれでいい気がしてきたなぁ。


「うん、それでいいかな。もし足らなかった時はみんなに助けてもらうことにするよ」


「そうそう、グランは周りに遠慮して自分で何とかしようとするからね。ふふ、素直に俺達をもっと頼っていいんだよ。みんなね、グランが思っているよりずっとずっとグランには感謝してて、いつかその気持ちを形で返す機会を待ってるんだよ」


 あ、やば……ウイスキーが思ったより強くてクラッときた。


 うん、そうだなぁ……みんなの感謝は素直に受け取らないとなぁ……。


 ああ~、なんかクラッときてから持ち直せなくて頭がボーッとしてきた。


 ごめん、少しだけテーブルに伏せっちゃう――スヤァ……。


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