第840話◆閑話:赤いギルド長の秘密――肆

 いるはずのない者がいて、しかも超湿度の高い笑みを浮かべていて思わず叫ぶところだったが、偉大なる古代竜がこんなことで驚くわけにはいかない。

 はーーーー、めちゃくちゃびびって心臓がバックンバックンしてるわ。

 ハンブルク達には俺がなんとかするとは言ったが、こちらから探して会えるような奴ではないので奴の方から来てくれたのは助かったのが、いきなりすぎて心の準備ができてないわっ!

 とりあえず茶でも淹れて落ち着こう。そして夜明け近いこの時間にいきなり宿屋に突撃してきたことに小言を言ってやらないと。


「深夜に突然訪ねてくるのはやめろ。俺は明日も仕事なんだ」

 人の常識視点で非常識な奴だと思うが、そもそも人の基準の常識がこいつに通じるわけがない。

 俺の宿泊している宿の部屋に勝手に入り込み、ソファーで寛ぐ半面野郎にとりあえず宿に置いてあったティーセットで茶を出してやる。

 どうせこいつは食など必要ない存在だが、とりあえず俺も茶を飲んで落ち着くのだ。

 まったく……びっくりさせやがって……。


「僕もシュペルノーヴァも眠る必要なんてないでしょ。あ、古代竜は時々長く眠るんだったよね? でもこまめな睡眠は必要ないよね? 相変わらずシュペルノーヴァは地を這う者の真似事が好きだね」

「ああ、好きだな。俺は人に紛れて暮らし、彼らと同じサイクルで暮らすのも悪くない。終わらない時の中、他者の真似事をしてみるのも悪くない」

 確かに古代竜にはこまめな睡眠は必要がない。

 小さき者とは体内時計が違いすぎるため、本来古代竜の睡眠は休眠期の長期睡眠だけでよいのだ。

 それでも人の中で生きているならば、人と同じように暮らすのが俺の生き方だ。


「ふぅん? 寝てる時間って無駄じゃない? その時間に他のこともできるじゃないの? あ、でもね最近話した人間が言っていたんだ、無駄なことにも価値があるって。変だよね、無駄って要らないものでしょ? なんで無駄なことに価値があるんだろう? シュペルノーヴァが出したこのお茶も、俺にもシュペルノーヴァにも不要で無駄なものなのに……しかもすごく苦くて美味しくない」

 俺が出した茶を眉間に皺を寄せながら飲む半面野郎。しかし苦いと言っているわりには、心なしか機嫌が良さそうだ。

 その光景と奴の話に思わず目が丸くなった。

「お前が何かを口にするのは珍しいな」


 神という存在は信仰や魔力を糧とするため食事の必要はない。

 古代竜も自然に魔力を糧として生きることができるため食事は必要がない。

 俺にとって食は生きるためのものではなく、ただの娯楽でしかない。半面野郎のいうところの無駄なことの代表である。

 いつもなら茶など無駄なものだと興味すら示さないのだが、今日は珍しく俺の淹れた茶を口にして、その感想まで言っている。

 しかも人間と話して、その内容を覚えているだと!?

 リリト以外のことには全く興味がなく、リリト以外の情報を記憶することを無駄だと思っていそうなこいつが!?

 耳を疑うどころか、話を理解するまでに間ができてしまった。


「ふふ、無駄なことが好きで楽しいって話す人間と、一緒に食事をしてみたんだ」

「マジか……」

 マジか……驚きすぎて心の声が漏れた。

 食事なんて必要ないことをするのは無駄だと、リリトがいなくなって以来食べ物を口にすることはなかったこいつが?

 リリトが勧めたものは食べていたが、それは食自体に興味があったのではなく、リリトが食べることが好きでリリトが食べるならという理由だった。


「でもやっぱり無駄なことをやる意味ってあるのかなって、彼らと別れた後に思っちゃった」

 なんだ、いつもの気まぐれか。

 こいつはいつもそう、それが自分にとって価値があるかないか判断をする。自分にとって価値がないと思えば無駄だと思い興味を持たない。

 元々が神であるがために、完璧ではなくとも小さき者達よりもずっと万能で完璧に近く、自分の力だけでほとんどのことが完結してしまう。

 故にこの世にあるものが自分にとって不要なものばかりに思えてしまう。


 いや、実際そうだ。

 古代竜だってそう。他者の力を借りずとも己だけで完結をする。

 だからといって、終わらない時間を他者に関わることなく過ごすことは俺にはできなかった。

 リリトに引っ張り回されるうちに、たくさんの無駄で楽しいことを知ってしまったから。

 そしてその無駄で楽しいことをしていると、それが好きだったリリトを思い出すから。


 だが半面野郎は俺とは違う。

 奴は無価値な自分の一部を、価値のあるものへと昇華させたリリトが奴にとって価値のある存在なのだ。

 リリトが無価値な自分の価値を証明してくれたから。


 父であるあの神に無価値という役割を与えられ、無価値だと捨てられた神。

 奴が無価値でなければ捨てられなかったのだろうか。

 無価値という役割を与えたのはかの神自身なのに、どこまでも身勝手な奴である。


 そして何も持たぬ者として作られ、多くの者のパーツを寄せ集めたせいで万能になってしまったリリトは、半面にとっては自分の可能性を証明するものであり、奴の希望であったのかもしれない。

 故にどこまでもリリトに執着する。


 だが本当にそれだけなのだろうか。


 他にも理由がありそうな気はするが、いつも薄気味悪い笑みを浮かべ感情の読めない奴が、腹の底で考えていることなど俺にわかるわけがない。


 ま、何を考えていようと面倒くさくて迷惑すぎる奴にはかわりないのだ。

 そんな奴が人間の言葉に影響されて、無駄だと思っていることをやったことに一度は驚いたが、やはりただの気まぐれかと納得しかけた時に聞こえた奴の言葉にポカーンとしてしまった。


「無駄だと思ったんだけどさ、それをしていた時は無駄も悪くないなって思った理由がわからなくて気になるから、もう一度彼らのとこにいってみようと思うんだ。それとなぜかわからないけど、もう一度無駄なことをしてみようかなって気分なんだ」


 今、何て言った?


 またその人間のとこにいくって? 無駄なことをしてみようと思うだって?

 今まで果てしない時の中でずっと無駄なことには全く興味を示さなかったこいつが、何を言っているのか一瞬理解できなかった。

 リリトがいなくなってから変わることのなかった、変わろうとしなかったこいつに何があったんだ!?


 リリト以外にこいつが興味を示したのは信じられないのだが、それが事実ならリリトから別のものに興味を逸らすきっかけになるか?


 少しはこのはた迷惑な行動が改善されるか?


 いや、それは対象が変わるだけで行動は変わらないかもしれないな。

 しかしリリトから興味が逸れて人間に興味を示しているうちには、リリトを起こすためにあちこちで迷惑すぎる暗躍をしていたのも落ち着くだろう。

 変な生きものを次々と作られるより、人間と飯を食ってくれていた方が世界の平和のためになる。


 こいつに興味を持たれた人間は、偉大な古代竜の爪の先ほどくらいには可哀想と思うが、世界の平和のために生きている間にはこいつの興味を引きつけておいてくれ。

 リリト以外のことに興味を示さないこの元神に興味を示されるなど、人間としては偉業中の偉業だから誇るがよい。


「時には無駄なことをするのは悪くないぞ。その無駄で無価値なことだって楽しい時もあるからな」

「それって楽しくなかったら無価値ってことじゃん」

 ああ言えばこう言う。

 素直に楽しいことは楽しいと思えばいいのに、なぜ理由をつけて無駄にしたがる。


「でもさリリトもさ無駄なことが好きだったよね。食事が好き、物作りが好き、旅が好き、誰かと関わるのが好き――全部僕達には不要なことなのに、それが楽しいって言ってたよね。それがなんで楽しいか僕にはわからなかったけど、リリトが楽しそうなのを見るのは楽しかったよ。今はそれが見られないからつまんない。ね、やっぱリリトを起こそうよ。もう体もあるし心ももう戻って来てるんでしょ?」

 アーーーーッ! リリトに興味が戻ってしまったーーーーっ!!

 相変わらず面倒くさい奴だと思っているうちにリリトの話題になり、いつもの厄介なあいつになってしまった。

 しかもなぜかリリトの心――体の中身が戻って来ていることを確信したような口ぶり。

 今日は何だか機嫌が良さそうだと思ったら理由はこれか。


 しかしなぜ――アッ!!

 そういえば、あのダンジョンでグランだけがこいつを見たみたいな話を昼間聞いたな。

 まさかこいつも――。


「昨日ね、リリトのダンジョンでリリトの耳飾りをつけてる人間を見たよ。あれを渡したのはシュペルノーヴァでしょ? なんでリリトが帰ってきてるのに気付いたら教えてくれなかったの? いつ気付いたの?」

 貴様もかーーーー!!

 違う、あれに他意はない!!

 ただリリトに会えないから他者にリリトの面影を重ねていただけで、ついでに大きな恩ができたからそいつが生きている間だけ偉大な力をちょこっとだけ貸してやろうと思っただけだ。

 別にグランがリリトというわけじゃない!!


 王都冒険者ギルドの問題児リストに名前を連ねるような奴がリリトなわけがない!

 馬鹿野郎、リリトが現代で冒険者になっていたら、きっと世界が注目するようなすごく優秀な冒険者になっていて、世界各地に現地妻がいるくらいモテているはずだ!!

 問題児リストの備考欄にロビーの飯テロ野郎とか、ダンジョンの破壊者とかという意味のわからない書き込みをされるようなことはしないはずだ!!

 それに俺のリリトならあんなカメなんか連れ歩かず、赤毛に似合う真っ赤な火竜の俺を選ぶはずだ! そうだ、カメなんかに俺のポジションが取られるわけがない!!

 俺のリリトなら――おっと、つい興奮してしまった。

 少し落ち着こう。落ち着いて半面野郎の誤解を解かねば、グランの所に突撃されたらグランの愉快な仲間の珍獣達と大戦争になりそうだ。


「いや、あれはそういう意味ではなくて、あの人間に借りができたから、その借りを返すための目印でリリトは全く関係ない。だからあの人間にはちょっかいを出すな。それに万が一あの人間がリリトだとしても、リリトの記憶がなくただの人間として生きているのならそっとしておいてやろうじゃないか。なぁ……リリトはかの神のせいで途方もない回数辛い人生を繰り返したんだ。今度こそ幸せに人生を終えさせてやろうじゃないか……その幸せに俺達がいなくてもいいんじゃないか、リリトが幸せならそれで」


 そう、それでいい。


 もしリリトが誰にも知られることなくこの世界に戻ってきたとしても、俺達に関わりかの神に知られ再び辛い運命に戻されるくらいなら、俺はリリトに再び会えなくてもいい。

 俺はこのままずっとリリトに会えなくていい。リリトに似た誰かにリリトを見ているだけでも満足できるから。


「うーん…………でもリリトならさ、僕達が何かを我慢してリリトだけの幸せを願うより、みんなで幸せになりたいって言うと思うよ。そのみんなの中には僕やシュペルノーヴァもちゃんと入ってるんだ。僕はね、リリトのそういうところが好きなんだ。だから僕はリリトの目覚めを望むことはやめないよ」


「本当に……お前って奴は……」


 反論ができず両目を右手で隠し、上を向き心の平静を取り戻す。

 こいつのそういうところがむかつくのだ。


 迷惑すぎる自己中野郎なのに、ずっとリリトを見て来た故に何よりリリトを理解している。

 一番近くにいた俺よりもそうではないかと思う時があり、こうして時折悔しい気分にさせられる。


 そうだ、リリトなら間違いなくそういう。

 周りが勝手にリリトだけの幸せ願おうとも、リリトはみんなで幸せになろうと言うだろう。

 そしてリリトならこう言う。


 ――シュペ達は馬鹿だな、俺だけが幸せでも俺が幸せなわけがないじゃないか。



 そうだ、今ではなくてもいつかはリリトを目覚めさせ、みんなで幸せになる。

 それが俺が本当に望んでいることだ。

 リリトが幸せでいる時、俺もその傍らにいたい。


 だがまだその時ではない。

 今リリトを目覚めさせたとしても、かの神がそれを知れば次はどうなるかわからない。

 だからまだ先、竜にも元神にも時間はたくさんある。だから慎重に、失敗をしないように。


「だけど、あの神に見つかると失敗しそうだから……そうだね、リリトの体を持ち出してまだそんなに時間が経ってないし、ちょっと慎重になろうかな。それに今はちょっと無駄なことが気になってるからそっちを先にやるよ」


「そ、そうだ! もっと慎重にやれ! リリトの目覚めを望むなら失敗は許されない、慎重にすごく慎重になるべきだ。いいか? 思いつきで変なことはするなよ? 何かあるとリリトの目覚めすら危うくなる。リリトのことで迷ったら俺に相談しろ、いつでも相談に乗るぞ!」


「そうだね、失敗すると更に長い時間を待たないといけなくなっちゃうからね。ふふ……きっともう少し、神や竜の時間ならもう少し。うん、じゃあ少し慎重になるよ。慎重になっている間に、暇潰しとしてリリトが好きだった無駄なことを色々試してみようかな」


 お? 何だかわからないが、半面野郎が少し大人しくなりそうだぞ?

 このまましばらく暇潰しをしていてくれ。

 どこの誰だか知らないが、こいつの興味を引いてくれた奴に最上級の感謝をするぞ。


 やー、これにて一件落着!! 大団円!!

 さすが偉大な古代竜の俺! 厄介な古代の元神も上手く丸め込んじまったぜ!!



 この後、無駄ということに興味を示した半面野郎に、無駄の手始めとして酒を勧めたのだが、俺と無駄なことをするのは無駄でしかなくて興味がないと、さっさと帰っていってしまった。

 ……何だろう、ものすごく納得がいかない。

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