第835話◆ごめんね


 ――相変わらずせっかちだな、シュペは。



 誰かの話声? え? 何て言った? あれ? 違う?

 よく聞こえないや。

 それより、意識が飛びそうで頭がグラグラする。

 このまだと倒れてしまう。

 ダメだ、倒れるな。目を開くんだ。音はギリギリ聞こえているけれど、なんて言っているか、何の音かを頭が理解をしてくれない。


 意識が遠のきかけているせいか、耳の中に水でも詰まっているように周囲の音が雑音としてしか聞こえない。

 何か声のようにも聞こえたような……しかしそれよりも気になるものに意識がいく。

 それは、グラグラとする視界に見えるレッドドラゴンへと伸びる両腕。

 それは俺の腕?

 いや、俺はそんなことやってないけど?

 そもそも何で俺がそんなことをやらなきゃいけないんだ?

 ほら、レッドドラゴンも状況がわからず目を見開いて呆けてるじゃないか。


 ――彼の魂を俺の体に詰めても、俺はまだ目覚めないよ。今はシュペが泣いている気がしたから、少しだけ起きて借りただけ。


 相変わらず音はよく聞き取れないけれど、伸ばした手が小さくなりつつあるレッドドラゴンに近付いていくのが見える。

 俺はそんなことをしていないはずなのにどうして?

 何で俺の手はレッドドラゴンに届きそうな場所にあるんだ。


 ――ホント、みんなせっかちだから。姉さんもアル兄さんも……俺の記憶から生まれたシュペも。


 目を見開いて呆けていたレッドドラゴン、我に返ったような表情となり、ゆっくりと震えながら瞼が降り始めその目が細くなった。

 そして小さくなってもまだ大きな顔が俺の方に近付いてくる。

 やばい、逃げなきゃ。

 だけど意識がもうろうして体が動かず、目に見えるものが自分の視界のものではないように思えてくる。


 ――ごめんな。まだ、まだだから。約束は必ず守るから……いつか、そのうち、また今度……だけど必ず会えるから。


 近付いてきたレッドドラゴンの頭が指先に触れるが、その感覚は全くない。

 更に手のひらに頭を擦りつけているのが見えるが、それもまた。


 ――その時に必ず成し遂げるから。


 そのレッドドラゴンの表情が、飼い主の帰りを待ちわびていたペットのようで気付けば恐怖心はなくなっており、先ほどまで攻撃をされていたことへの怒りすら忘れつつあった。


 ――だから彼は元の場所に戻してあげよ。


 相変わらず耳には水が詰まっているな感覚で、聞こえてくるのはゴロゴロとくぐもった音だけ。


 ――ほら、本物のシュペもすぐそこまで来ているし、彼の友達もそろそろ気付きそうだから。面倒なことになる前にね?


 レッドドラゴンにはもう恐怖も怒りも感じないが、ソウルオブクリムゾンは相変わらずレッドドラゴンから魔力を吸収しているのか、レッドドラゴンの姿はどんどんと小さくなっていっている。

 もうやめてやってくれ。そんなに小さくなってしまえば、もう悪さはできないだろ。

 俺を元の場所に帰してくれればそれでいい。

 甘いと言われても、やっぱりサラマ君とそっくりだからこのまま消えてしまうのは、何だか悲しく思えてしまう。


 ――気になるの? だったらついていっていいよ。俺の耳飾りはシュペとの約束の証しだから、それに紛れ込んで


 ほら、もうすっかり小さくなって、ワンダーラプターより小さいサイズの顔で俺の顔を覗き込んでいる。

 そのサイズでも相変わらず変顔でおちょくられている気分になるが、何だかその顔をどこかで見たことがあるような気がした。

 きっとサラマ君に似ているからだな。カメ君達と遊んでいた時にそんな顔をしていたのかもしれない。


 ――そうだね、彼はまだソウルオブクリムゾンを使いこなせていないから、たまに助けてあげて。


 やっぱり耳はまだよく聞こえない。

 意識も定かではなく、この光景が強い魔力に当てられて意識を失いかけて夢でも見ているのではないかという気分。


 ――うん、俺は大丈夫。また俺の記憶と魔力から門番が生まれるから。


 フワフワとした感覚の中レッドドラゴンがどんどん小さくなって、ついに視界から消えた。


 ――ごめんね、俺の記憶の中のシュペ。何度も辛い思いをさせて。


 何でだろうな、少し寂しい気分と申し訳ない気分。

 俺は何も悪くないのに……ごめん。


 ――もう少し待っていて。心はもう帰って来ているから。でも、もう少しここで眠らせて。もう少し眠って力を取り戻すまで。竜の時間ならきっともう少しだから。


 レッドドラゴンの姿が見えなくなったから、帰らなきゃ……みんなの所に。

 でも少し、眠いから少しだけ横に――。




 ――力を取り戻した俺が父殺しになる前に、もう少しあの頃の夢をここで見ていさせて。




 え? 何か言った?




「ゲェッ!!」


「ふぉ!?」


 ゴロゴロとした雑音もだんだんと聞こえなくなり視界もだんだんと細くそして狭くなって、自分の意識が飛ぶ寸前なのを頭の片隅で理解しつつ、それに抗うこと諦めようとした時ジリッと焼けるような強い熱さを左耳に感じて意識が一瞬で浮上した。

 それはソウルオブクリムゾンがダンジョン産のレッドドラゴンを魔力として吸収した熱?

 何か激しく燃えるような強い意志を感じたような気がしたのは、気のせいだったのだろうか?


 更に足元から聞こえた声と衝撃で完全に覚醒して、変な声を出してよろめいてしまった。

 そのよろめいた原因はふくらはぎに張り付いた赤トカゲ君。

 その大きさは、出会った時のサイズくらいに戻っており、心持ち痩せたような、ゲッソリしたような風にも見える。

 あのレッドドラゴンが本来の姿だが、ソウルオブクリムゾンに魔力を吸われてちっこくなっちまったのか?

 それにしても、この野郎! さっきは思いっきり俺を焼き払おうとしたくせに、何で俺の足に張り付いてるんだ!!


「ゲエエエッ!!」

 何故か赤トカゲ君に対する怒りはすっかりなくなっている。

 だけど一度焼き払われかけたので、いきなり張り付いてこられてもまた何かあるのではないかと警戒してしまう。

 ふくらはぎから赤トカゲ君を引き離そうとすると、猛烈にイヤイヤをされてボッと小さな炎を吐き出されてしまった。

 力強さはなく一瞬で消えた弱々しい炎。

 やはり力のほとんどをソウルオブクリムゾンに吸われてしまったか?


「もー、何だよ。もう怒る気も失せているし、これ以上悪さをしないならさっきのことは許してやるから、足から離れてくれよ。それから、どうして俺をここに連れてきたんだ、俺にどうしたかったんだ? 俺にどうしろっていうんだ?」

「ゲ……ゲ……ゲ……」

 赤トカゲ君は俺のふくらはぎにしがみついて、時々こちらを見上げながら頭をコツコツとふくらはぎにぶつけている。

 変顔なのだが少し情けない困り顔にも見えて、何となくそれがごめんねポーズに思えてきた。


 そして何より気になるのは赤トカゲ君が俺をここまで連れてきた理由。そして、その後の行動の理由。

 尋ねてみたもののサラマ語はさっぱりわからないので、赤トカゲ君が何か語っていたとしても理由なんてわかるわけがない。

 レッドドラゴンの姿の時なら会話くらいできたのだろうか?

 でもソウルオブクリムゾンに魔力を吸われて、本当にちっこいトカゲになってしまったみたいで大きな魔法を使う程の力も残っていないようだから、知能はあっても会話は無理だろうなぁ。

 もういいや、ダンジョンの不思議現象に巻き込まれただけだと思えば、まぁそんなもんかって出来事だ。

 そうだ、ダンジョンは何が起こるかわからない場所だから。


「まぁいいや。俺は元の場所に戻してくれればそれでいいよ。お前にも、ここで眠っている彼にも危害を加える気なんてないから。で、どうやったら戻れるんだ?」

 言葉は通じなくてもそれだけはなんとか教えてほしい。

 元の場所に戻してくれるなら、もうそれでいい。

「ゲ……」

 俺のふくらはぎに張り付いて頭をコツコツとしていた赤トカゲ君が、俺の言葉にそれをやめてピョンとふくらはぎから離れて地面に降りて小さく頷いた。

 お? 帰り道を教えてくれるのかな?


 でもその前に。

 赤トカゲ君が俺とリリトの眠る棺を交互に見て、ピョーンと棺の上に飛び乗って中を覗き込んだ。

 すぐ横にいた俺にあれだけ激しい炎が吐きかけられたにもかかわらず棺も中身も無傷で、やはり強力な保護魔法の類いがかけられていることを示していた。

 中で眠るリリトの表情は穏やかで、棺の上からそれを見つめる赤トカゲ君の表情は少し寂しそう。


 眠るリリト、リリトの傍にいる赤いトカゲ。


『どうだ、シュペ一緒に行くか? サラマンダーの子供みたいにちっこくなって俺の肩の上に乗れよ』


 ふと、シュペルノーヴァの黄金のオルゴールから聞こえたリリトの言葉を思い出した。

 まさか――。



「ゲェ?」



 答えに気付きそうになった時、棺の上に乗っていた赤トカゲ君が変な顔で俺の方を振り向き、俺の背後を前足で指した。

 それに釣られて後ろを振り返ると、ソウルオブクリムゾンに篭もった火の魔力の熱が収束する感じがして目の前に炎の筋が走り扉の形を描いた。

 炎によって描かれた扉はここに来た時と同じようにパカリと両側に開き、その向こうには火山洞窟の景色が見えて――。


「ぐあっ!」


 そしてやはりここに来た時と同様に、いきなり後ろから小さな気配に持ち上げられてその扉の中に放り込まれた。


 許してやろうと思っていたが、こんの赤トカゲーーーーー!! 一回くらいお説教をしてやろうか!!!!






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