第834話◆絶対に帰る

 深紅に染まる視界と、灼熱に焼かれる感覚。

 だがそれが炎と熱であると理解し、無意味と思いつつも顔の前に腕をやりそれを防ごうとする余裕があるという違和感。

 更には俺のすぐ傍にあるリリトの入った棺を気にする余裕すらある。


 棺は何か強力な守護魔法がかかっているようで、棺が燃え上がったり溶けたり、また中に眠る者に影響がでているようには見えなかった。

 強力な炎を受けながらも何の変化もない棺にホッとした気分になり、視線を炎の主の方へと向けた。


 深紅の視界の向こうには深紅の巨大ドラゴン。

 真っ赤な鱗に、溢れ出す火の魔力が具現化した炎が角や翼、尾の先でメラメラと燃え、体には薄らと特徴的なハニカム模様が見える。

 俺はアイツを知っている。

 つい先ほど不在だと思っていた三十階層の主、Sランク超えのレッドドラゴン。


 そんな奴のブレスが直撃して、炎に包まれながら相手を確認する余裕と咄嗟に腕で顔を庇う余裕があるのか?

 火耐性バケツで固めたカリュオンならそのくらいの余裕はあるだろうが、俺は機動性重視で防御も魔法耐性もそこそこしかない防具で、俺自身もカリュオンのように高耐性で尚且つ防御に特化したギフトやスキルを持っているわけではない。


 なのに、やっべー炎のブレスをくらったことを理解できて、体を動かす余裕があるということ。

 本来なら一瞬で致命的ダメージをくらって床に転がっているか、或いは消し炭になっているか。

 直撃をくらいながら思う、これはそれ程の威力を持った炎のはずだ。


 しかしその炎の中で感じるのは眩しいとか、燃えさかる火の傍にいるように熱い程度だ。

 そのうえ、炎よりも確実に熱いものが俺のすぐ傍にあった。


「あっつ」


 浴びせられた灼熱の炎より熱を感じる左耳に手をやると、指先がソウルオブクリムゾンに触れ、その熱さでぱっと手を下げることになった。

 こいつ、先日のペトレ・レオン・ハマダで大火災になった時のように炎と火の魔力を吸収してる?

 だからレッドドラゴンに浴びせられた炎のブレスが、燃え上がる焚き火の近くにいる程度の熱さなのか?

 よく見ると俺に向けられ吐き出された炎は俺の体を包んでいるように見えて、顔の左側に吸い込まれるようになびいている。

 だがそれだけでは炎に焼かれてもおかしくないのだが、レッドドラゴンの吐き出した炎は耐えられない程熱くはなく、俺の体にも装備にも大きなダメージはないように見えた。


 そうしているうちに炎はだんだんと薄くなり、その向こうにいるレッドドラゴンの姿がはっきりと見えるようになった。

 レッドドラゴンから俺はどう見えているのだろうか。まだ炎に包まれて見えているのだろうか。

 立ってはいるが黒焦げになって死んでいる、もしくはもうすぐ死ぬとでも思っているのだろうか。

 ドラゴンの表情から感情を読み取るなんて俺にはできず、炎の向こうに見えるレッドドラゴンからは強い殺意しか感じることができなかった。


 視界に向こうには炎を吐き出し終えまだ口を開けているレッドドラゴン。

 おそらく勝利を確信しているであろう様子で、その口がゆっくりと閉じていくのが見える。

 レッドドラゴンが炎のブレスを止め、その炎はソウルオブクリムゾンが吸い込み、俺を包む炎はもうほぼ消える。

 俺はほぼ無傷で。


 徐々に閉じていたレッドドラゴン口が半開きの辺りで止まり、口の陰から見える目が徐々に見開かれるのが見えた。

 ドラゴンの表情から感情を読み取るのは無理だと思ったが、これはわかる。明らかなる驚愕。

 何で生きているのか、何で無傷なのか、そんな顔をしてもわかっているだろ?

 だってお前はさっき、ソウルオブクリムゾンに興味を示して触れようとして拒絶されたじゃないか。


 ま、驚いたのは俺もだけど。

 シュペルノーヴァがくれたものだから桁外れの性能だとは思っていたが、まさかこのダンジョンのボスの火炎ブレスを吸収してしまうほどとは。

 これなら他の火属性の攻撃も無効化されるか? だったらこのレッドドラゴンにタイマンでも勝てるか?

 いや、ダメだ。火属性の攻撃が無効化されたとしても、こいつの巨体から繰り出される強力な物理攻撃もある。

 それにこいつはメチャクチャタフで、火属性攻撃が俺に通用しないとしても普通に殴り合えば、先に体力が尽きるのは確実に俺の方だ。


 どうする?

 逃げ場もないし、勝てる見込みもないし。

 左耳ではレッドドラゴンのブレスを吸収したソウルオブクリムゾンが強く発熱をしている。

 この溜め込んだ火の魔力で攻撃か?

 いや、こいつには火属性の攻撃は効かないどころか、吸収して自分の魔力を回復する。

 それともシュペルノーヴァの力を借りた炎なら、こいつにでも通用する可能性はあるのか?

 ソウルオブクリムゾンを受け取った時に間近で見たシュペルノーヴァの方がこいつより確実に強いのは身を以て感じているが、イヤーカフスで借りることができるシュペルノーヴァの炎の力がこいつに効くかどうかはわからない。

 しかも俺はまだソウルオブクリムゾンを使いこなせず、あの炎を纏った攻撃を使えば俺自身も大きく消耗して、荒野の時みたいに動けなくなってしまうだろう。

 それでレッドドラゴンを倒しきれなかった場合、俺の負けが確定してしまう。


 炎が効かないだけで、俺に勝てる見込みができたわけではない。

 ほら、奴も気付いて俺との距離を詰めてきた。

 俺一人では何ともならない。


「ソウルオブクリムゾン、俺に力を貸してくれるか? 俺は仲間のとこに帰らないといけないんだ。また心配をかけちまう前にな」


 それでもやはり、今はソウルオブクリムゾンの力を借りるしかないという答えに辿り着く。


「力を貸してくれ、ソウルオブクリムゾン! いや、シュペルノーヴァ!! レッドドラゴンの火の魔力を吸い上げろ!!」


 すでに一度レッドドラゴンの火炎ブレスを吸い付くし、炎の塊のように発熱しているソウルオブクリムゾンに手を当てて叫ぶ。

 その声に反応して、ソウルオブクリムゾンから発せられた火の魔力が俺の体を駆け巡った感覚がした。まるで炎と一体化したように。

 その気配に驚いたのか、俺との距離を詰めていたレッドドラゴンの巨体がビクリと揺れて、その歩みを止め大きく目を見開いた。

 縦長に細く絞まってした瞳孔が大きく開いてユラユラと揺れ、その目にははっきりと動揺が浮かび上がっていた。


 パァッと開いたレッドドラゴンの大きな瞳孔に映るのは、ドラゴンから見ればちっぽけな俺の姿。

 ソウルオブクリムゾンの魔力の影響なのか、その瞳に映る俺の姿はいつもよりもやたら鮮やかな赤毛に見えた。

 レッドドラゴンの瞳に映る自分の姿に一瞬だけ意識を奪われた直後、レッドドラゴンが急激にこちらに近寄り強大な火の魔力が俺にのしかかってきたように感じた。


 まるでレッドドラゴンがその巨体で俺を押し潰しにきたのかと錯覚するような感覚だったが違う。

 押し潰されそうになったのは、その魔力が俺の想像を遥かに超えるものだったから。

 俺の命令の結果、ソウルオブクリムゾンが吸い上げた魔力が莫大なものすぎて、俺自身がそれに圧倒されてしまったから。


 ここはダンジョン。

 ダンジョンで生まれる者は、ダンジョンの濃すぎる魔力が具現化したものだと言われている。

 ならばこのレッドドラゴンはほぼ火の魔力の塊。

 そしてソウルオブクリムゾンは火の魔力を吸収する。

 一度具現化したものを魔力に戻すのは難しいかもしれないが、炎の頂点に立つような存在シュペルノーヴァの力が込められているこのイヤーカフスならいけるかもしれない。

 いけなくても、こいつの火属性の魔力を大きく削げれば勝機が見えてくるかもしれない。


 だからソウルオブクリムゾン、そしてシュペルノーヴァ、俺を助けてくれ。

 俺は仲間のところに戻りたいんだ。こんなところで一人で死にたくなんかないんだ。


 レッドドラゴンが急激に俺に近付き押し潰してきたような感覚になったのは、奴の魔力をソウルオブクリムゾンが急激に吸い寄せたから。

 吸い寄せられた魔力があまりに膨大で、ソウルオブクリムゾンの力も俺の手に余るものだから。

 だけどこれしかない。

 一人では勝てない相手に、今は一人で勝たなければいけないから。

 まず勝たなければ帰ることができないから。


 うるさいアベルの説教も、カリュオンの苦笑いも、カメ君のカリカリペチペチも、苔玉ちゃんと焦げ茶ちゃんが降らす木の実や石ころも、みんな俺を心配してくれているから。

 心配かけてゴメン。

 いや、今回は心配をかける前に帰って、全ての証拠を隠滅して何食わぬ顔をして合流するぞ!!

 それでこそ俺!!


「俺は絶対に帰るからな!!」


 急激に吸い寄せられる火の魔力に圧倒されながら、それを取り込むソウルオブクリムゾンの熱を感じながら、その取り込んだ火の魔力が体中を駆け巡るのを感じながら、叫んだ。

 重く熱い魔力に押し潰されないように耐えながら、レッドドラゴンを見据えるとその輪郭がユラユラと波打ち、少しずつ小さくなっているような気がした。

 そしてその目に映る俺の髪は赤い火の魔力を纏い、何よりも鮮やかな赤に見えた。


 このまま吸収し尽くせるか?

 俺の体はこの魔力の重圧に耐えられるか?


 グラリ。


 やっぱりきた。

 強すぎる魔力に晒され、体が限界に近付いている。


 魔力を吸収されて具現化を解かれはじめたレッドドラゴンの輪郭が揺れているからなのか、俺の体が限界で視界がグラグラと揺れているのか、どこかへ飛んでいきそうな意識の中で左の耳の傍で誰かが囁いた気がした。

 





 ――相変わらずせっかちだな、シュペは。


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