第833話◆紫に染まる場所

「うおおおい! 悪戯がすぎるぞ!!」

 赤トカゲに服を引っ張られ投げ込まれるように炎の扉をくぐった後、さすがにまずいと思い身体強化を発動して扉の外に戻ろうとした。

 くそ、サラマ君に似ていたのと、敵意を感じない雰囲気のせいで油断しすぎた。

 などと自分の甘さを恨みながら身を翻すが目の前で炎の扉がバタンと閉まり、熱気だけを残すように炎も扉も消えて紫に透き通る壁だけが残った。

 それは濁りの少ないアメジストのよう。

 だが分厚い壁のため、壁の奥は闇のように暗くなり何も見えない。


 炎の扉が消え、咄嗟に脱出口を探した俺の目に入ったのは、そんな紫の壁に囲まれたひたすら広いだけの空間。

 その壁や床が僅かに光を発しているのか、紫色ばかり目に入ってくるが周囲を確認することができるだけの明るさがあった。

 幻想的なアメジスト色の空間。だが光はあまりにも冷たくそして寂しいものに感じる。

 つい先ほどまで感じていた炎の扉も熱気もすでに消え、ひんやりとした鳥肌の立つほどの冷たい空気。

 その空気にはあらゆる属性が入り交じり、この紫に染まった広い空間を満たしていた。


 三十階層の火竜のねぐらと同じくらいの広さだが、天井はそこよりも更に高く見上げた先は紫が漆黒へとグラデーションをして終わりを見ることができなかった。

 広い空間に見えない天井、解放感があってもおかしくない場所なのに閉じ込められたと感じたのは、視界に入る限りでは壁に扉も窓もなく、ここから脱出できるような通路も目に入らなかったから。

 深い深い地の底に堕とされ閉じ込められたような気分になり、周囲を調べて脱出方法を探さねばという気持ちを上回るほどの焦りと絶望が押し寄せてくるのを感じた。


 紫色の水晶に囲まれた広い部屋。

 発見から百数十年が過ぎて調べ尽くされているこのダンジョンで、そのような部屋があるという記録はない。

 どこだここは?

 三十階層のボス部屋に出た炎の扉も、そういう扉の記録はなかったはずだ。

 ということは未知のエリア?

 三十階層のボスの後に出現した場所なら三十一階層? それとも二十三階層の追加エリアのような場所?


 落ち着け、落ち着いて周囲の状況を確認しながら脱出口を探すんだ。

 まずは周囲の生きものの確認。

 目視はなし。背後に俺をこの空間につっこんだ赤トカゲ君の気配はあるが、それ以外の生きものの気配は全く察知できない。

 ゴチャゴチャとあらゆる属性の魔力を感じるが、不思議なくらい生物の気配を感じることができない。


 では何か仕掛けらしいもの。

 パッと見、出口が見えないということはどこかに仕掛けがある可能性が高い。

 この空間で最も目に付くもの――空間の真ん中には周囲と同じ紫色の水晶でできた祭壇のような長方形のものがポツリとあるのが見える。

 目に付くだけではない。この空間に満たされている魔力の源はあの長方形の何かの辺りが最も濃いように感じる。

 その魔力の流れに集中すると、長方形周辺に漂う濃い魔力が終わりの見えない天井の方へと昇っていっている。


 何だ、あれは? 出口への手がかりか? それとも罠か?

 あの何かを触ったらボスが出てきて、それを倒したら出口が出てくるというかいう仕掛けだといやだなぁ。

 他に仕掛けらしいものは……ダメだ、探索スキルで地形を探ってみても、隠し部屋や仕掛けの気配は見つけられない。


 やはり、あの異常に濃い魔力が溜まっている祭壇っぽい長方形のものが、脱出の手がかりか?

 近付いて大丈夫か? 近付いたらいきなりボスが降ってきたり、罠が発動したりしないか?

 周囲の床に落とし穴のような空間の気配はないし、魔法罠のような魔力の気配もない。壁は遠くて罠はなさそうだし、天井なんかあるのかないのかわからない。


 ぐぬぬぬぬぬ……あそこに手がかりがあるかもしれないが、俺が見つけることのできない危険な仕掛けや、危険な敵が潜んでいるかもしれない。

 頼ることができる仲間がいない状況なので、用心深い俺が更に用心深くなる。


「ゲーーーーーッ!!」

「ぐお!?」


 用心深い俺がものすごく警戒をして念入りに周囲の様子を探りなら慎重に判断をしようとしていたら、背後から赤トカゲ君に強い力で押された。

 君、ちっこいのにものすごい力だね。

 え? 進めってこと? あそこに見える長方形の何かの所に?

 背中を小さな前足でグイグイ押される感覚と一緒に、パタパタと忙しなく翼を動かしているような音が背後で聞こえている。

 明らかに、前に進めと赤トカゲ君が俺の背中を押している。


「わかった、わかったよ。あの何かある所に行けばいいのかい?」

 二十三階層で謎の穴に落とされ、三十階層のボス部屋に出てすぐ謎の炎の扉に押し込まれ、こんどは謎の何かの所へと背中を押されている。

 明らかに赤トカゲ君が俺をどこかに連れて行こうとしている。

 だが、その理由は何だ。

 何故、この赤トカゲ君は俺をここまで連れてきて、あの箱のようなもののとこに行かせようとしている?


「ゲーーーーーーッ!!」

「ぐあっ!!」


 赤トカゲ君に押されながらも前に進むことに戸惑い踏ん張っていたら、息が止まるかと思う程の衝撃と痛みの後、体が勢いよく前に吹き飛んだ。

 あ、これは思いっきり蹴られたやつだ。

 その衝撃、ドリーやハンブルクギルド長にスパーリングで思いっきり蹴り飛ばされた時に匹敵するほど。

 この赤トカゲーーーー!! サラマ君に似ているし、ちょっと面白可愛い顔をしているから寛容な対応をしてやっていたのに、もう許さねーぞおおおおおおおお!!


 勢いよく蹴り飛ばされて吹き飛びながらも床に落ちる前に何とか受け身を取ったが、紫水晶のような透明な床の上を受け身の体勢のままあの長方形の何かところまで滑っていった。

 最後は長方形のあれにぶつかって止まり、その長方形の何かに手をかけて体を起こした。


「こんのチビトカゲエエエエエ!! 変顔が可愛くても、もう許さねーぞ!!! え?」


 その長方形の大きな箱のようなものに手をかけて立ち上がりつい叫んだが、目に入ったものに驚き言葉が途切れ、それと当時に間近で感じた魔力が想像以上に濃密で重く身震いがした。


 長方形の大きな箱、それは成人男性がすっぽりと入るサイズ。材質は床や壁と同じで、紫に透き通る水晶のようなもの。

 この空間に満ちているのは棺桶からじわじわと溢れ出しているのは中身の魔力。

 この箱の中身があらゆる属性の膨大な魔力を保有している証拠。


 そしてその箱が透き通っている故に長方形のものが箱だとすぐ気付き、膨大な魔力に身震いをした後は、箱が何であるか即座に理解し、スッと体が芯から冷えるような気分になった。

 だって、中に入っている”者”がはっきりと見えたから。


 成人男性がすっぽりと入るサイズの長方形の箱。

 しかも中身が入っていれば否定のしようがないそれは――棺!!


 それが棺桶だと俺に確信させた中身は、中に入っている者は間違いなく人の姿をしていた。

 しかもその中身を俺はつい最近見たことをはっきりと覚えている。

 紫に透ける水晶の棺はガッチリと蓋をされているが、同じく紫に透ける水晶の蓋の上からですらはっきりとわかる鮮やかな赤毛。

 昼間にあの場所で見たのと同じ赤毛に同じ顔が、あそこで眠っていた赤毛と同じように固く目を閉じて、棺桶の中に仰向けに横たわっていた。



「リリト?」



 そう呟いたとほぼ同時に、俺がここに吹き飛ばされて来る前にいた方向から、焼けるような火の魔力と貫くような強い殺気が渦巻き俺に向かって叩き付けられた。


 それに気付きその源――俺をここまで連れてきた赤トカゲの方を振り返るより早く、身構えるより早く、回避するより早く、俺の体は真っ赤な炎に包まれた。


 深紅に染まる視界の先に見えたのは、小さな赤トカゲではなく大きく口を開き俺に向かって炎の吐き出す大きなレッドドラゴン。


 だけど、何故だろう。灼熱の炎に包まれながらも、その炎より左耳のソウルオブクリムゾンの方がずっと熱く感じた。


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