第832話◆灼熱の階層

 落ちる!!

 足元に突然ポッカリと黒い穴が空き、吸い込まれるようにその中に落下した。

 落下――といえば落下なのだが、ただ落ちているというより真っ暗な筒状の空間の中を滑り降りているような感覚。

 周囲真っ黒で何も見えず掴まる場所などもなくそのまま滑り落ちるに任せるしかない状態。

 それがただの落下ではなく、空間魔法だと気付くのにはそう時間はかからなかった。

 どうやら足元に発生した空間魔法による穴に落っこちてしまったようだ。


 ぬわぁ……昼間にアベル達にものすごく心配をかけて、夕飯で穴埋め串揚げパーティーをしたばかったりなのに、見張りの交代時間までに帰れないとまた心配をかけちまうことになりそうだ。

 今回は俺は悪くねーんだけどなぁ……と、おそらくこの突然の空間魔法の発生と関係あると思われる存在に意識を向けた。


 ふくらはぎには赤トカゲ君ががっちりとしがみついている感覚。

 それは温かいを通り越してジリジリと熱く、まるで火の魔力の塊がふくらはぎに張り付いているよう。

 滑り落ちながらふくらはぎに視線をやると、ふくらはぎにしがみついている赤トカゲ君と目があって――ニヤリ。

 気のせいかもしれないが、赤トカゲ君が不敵な笑みを浮かべたように見えた。


 それが気のせいかどうか確認しようとした直後――ゴオオオオオッ!!


 やばいくらいに強烈な熱気と超強力な火属性の魔力を滑り落ちる先に感じて、咄嗟にふくらはぎに張り付いている赤トカゲ君に手を伸ばして無理矢理ふくらはぎから剥がして腕の中に抱え込み、落下の最後にくると思われる衝撃に備え身体強化を発動しながら。

 その行動を取っている最中、落下していく先に見えたのは真っ暗な空間の終点に光る赤味の帯びた光だった。


 そして視界が急激に明るくなり、濃厚な火の魔力の中に放り出されたような感覚と共に肌が焼けそうな程の熱風が頬を撫でた後、受け身を取る間もなく衝撃。

 落下して地面に落ちるような――ようなではなく、実際空中に投げ出されそのまま尻もちを付く体勢で地面に落ちた衝撃だ。


「痛え、そして暑い。ついでに眩しい」

 落下直後の感想がすぐに口から溢れた。

「グゲ……ッ」

 それから苦しそうな赤トカゲ君の声。

 落ちると思ってついギュッと抱え込んでしまっていたのが苦しかったようだ。

「ごめんごめん。あの空間魔法の空間を抜けたら最後に放り出される気がしてさ。落っこちて怪我をしたらって思うとつい力が入っちまった」

「ゲ……」

 そんな変な顔で睨むなって。落っこちた弾みで俺の下敷きになって潰れるよりいいだろ?

「それより、ここは……」

 どこだ?

 と言いそうになってすぐに息を飲んだ。


 息苦しい程の火の魔力と焼けるように熱い空気、そして赤味の強い環境光。

 俺はこの場所を確実に知っている。

 ここに来るのは久しぶり……いや、王都にいた頃にドリー達と何度か来たな。

 少し懐かしく感じたのはきっとその時の記憶。そしてすぐに焦りと恐怖で心拍数がいっきに上がるのがわかった。


 息苦しい程の火の魔力と焼けるように熱い空気、周囲を赤く照らす光。

 ここは――三十階層の火山洞窟!?

 滑り落ちながら感じた強い火の魔力はこの火山洞窟のものだったのか。

 俺がいるのは広いドーム状の空間、その入り口に見えるのは溶岩の川とそれにかかる橋。

 数度しか来たことがないがしっかりと覚えている。

 この場所は三十階層は三十階層でもボスの火竜のねぐらだ!!


 気付いた時には喉の奥がヒュッとしたのがわかり、尻もちの体勢から腰が抜けたように立ち上がることができなくなった。

 手遅れだと思いつつも気配を消し息も止めると、灼熱の空気の中、体の芯から冷え切った感覚がつま先から頭のてっぺんまで広がった。


 このダンジョンの最下層である三十階層は火山の内部にできたような洞窟である。

 いたる場所に溶岩の川や池があり、それらを超えて進まなければならない灼熱の階層だ。

 もちろん溶岩の中に落ちてしまえば、普通の人間なんてジュワッと燃え尽きてしまうし、気合いを入れた火耐性装備だとしてもただではすまないはずだ。

 火耐性装備で固めたカリュオンですら…………カリュオンなら普通に溶岩の中を泳ぎそうな気がしてしまうから困る。でもきっとカリュオンでも無傷は無理だろうなぁ。


 魔物だけではなく溶岩にも注意しなければ即死が待っているこの階層は、魔物も火属性を持ったものがほとんどでボスも強烈な火属性のレッドドラゴンである。

 そのランクはSどころかS+以上と評価されており、個体によってはSSの域になり不用意に手を出されないことを推奨されている。

 洞窟内なので飛び回ることはないが、超強力な火属性の魔法や炎のブレス、巨体から繰り出される物理攻撃だけで、ちっぽけな人間など簡単にプチッとされてしまう。

 このねぐらから出て来ないのが救いだが、それでも対峙すれば一瞬の隙が命取りになる相手である。

 そんな危険なボスであっても、最上級といっても過言ではない火竜素材と運がよければ手に入る強力な装備品や稀少な魔道具は一攫千金の浪漫が詰まっており、浪漫と欲望、そして最上級の竜殺しという名誉のためにこのボスに挑む者は後を絶たない。


 そんなやっべーボスのねぐらだと思われる場所に放り出されてしまい、心も体もヒュッとなってしまった。

 しかしそれはすぐに緩めることができた。


「あれ? いない? 誰かが倒した後か?」

 いつもならこの広い空間の一番奥に寝そべっている赤く大きな火竜の姿は見えず、特有のやべー魔力も感じない。

 竜が隠している宝箱なども見当たらないところを見ると誰かが倒した後のようで、ホッと緊張が解ける。


 ここの火竜は一度倒されると再び出現するまでには月単位の長い時間を要する。

 それは、ダンジョンが強力な存在を具現化させるために膨大な魔力が必要だからという説が有力で、発生までの時間が長いほど強い個体が発生するとされている。

 任意ではあるが、ここのボスを討伐した場合もしくは不在であることを確認した場合、王都の冒険者ギルドに報告することが推奨されており、その情報を元に次回のボス出現時期の予想が次回討伐と安全のためにダンジョン情報として公表されことになっている。

 もちろん報告した場合はボス不在を確認後、僅かだが報告に対する謝礼も出るため、ほとんどの場合誰かしらによって報告される。

 報告がされなくても、長期間ボスが不在になるため誰かしらが気付くことと、最高級の火竜素材が近隣のギルドや商会に持ち込まれる量が増えるため、多少遅れたとしてもボスの討伐情報をギルドは把握することとなる。


 ダンジョンに入る前に王都のギルドで見た情報だと火竜はいることになっていたなぁ。

 確か前回討伐から出現するまでの時間が通常よりかなり長かったようで、強力な個体の可能性が高く要注意個体の注意書きがあったな。それ故か、出現後かれこれ一年近く経ってまだ倒されていないようだった。

 しかし今はそれらしき気配が全くない。

 つまり俺達がダンジョンに入った後かその少し前に倒されたことになり、しばらくはあのやべー火竜が出てこないということになる。


 それがわかるといっきに緊張が解け、赤トカゲ君を抱える腕が緩みその隙に赤トカゲ君がピョーンと俺の腕から抜け出して地面に降りた。

 二十三階層のセーフティーエリアより、この階層の方が似合うな。

 火山洞窟の床の上に降りた赤トカゲ君を見てふとそんなことを思った時に気付いた。

 赤トカゲ君は、先ほどの空間魔法の穴のような場所を通ってこの階層から二十三階層に迷い込んだ?

 そして、その穴に俺が嵌まって三十階層に落ちてしまった?


 ダンジョンでは時々あるんだよなぁ、こういう他の階層に繋がる謎の空間や通路。

 それが固定されたものではなく、ランダム発生や時には罠として発動することもある。

 それに嵌まっちまったか?

 俺も、赤トカゲ君も。


 ま、ここがどこかわかったら帰ることはできるなぁ。

 三十階層だから二十三階層まで帰るのは大変だし、合流するまで俺は行方不明扱いでアベル達にまた心配をかけることになっちまいそうだけど。


「ゲッ!!」


 とりあえず一刻も早くアベル達と合流することを考えながら立ち上がると、いつの間にか俺の後ろに回り込んだのか赤トカゲ君の声が背後で聞こえた。

 そして後ろ引っ張られるような感覚がして振り返ると、火山洞窟の壁に突如炎が走り、その炎が扉の形となってパカリと両側に開き、その向こうに黒とも濃い紫ともいえる闇が蠢く空間が見えた。

 俺を引っ張っていたのは赤トカゲ君。

 小さな翼でパタパタと浮きながら、俺の服を引っ張って――。


 うおおおおおおおお……何つう力だ!? 抵抗できねええええええ!!

 って、俺の体が浮いて運ばれてる!? 赤トカゲ君力持ちすぎない!?

 冒険者になったばかりでまた体格があまり良くなかった頃、アベルと一緒に悪乗りをして大惨事になったのがばれた時に、ドリーにこんな感じで摘まみ上げられて運ばれたのを思い出すなぁ。


 それで、持ち上げて運んでどうするつもり!? まさかそこに扉の中に投げ込むつもりじゃないよな!?


 投げ込むなよ!? その怪しい扉の中に絶えええええええええええええっ対投げ込む――っなあああああああああああああああああああああああ!!


 ポイッ!!


 そんな予感がして抵抗しようとしたのだが、そんな間もなく炎の扉の中に投げ込まれた。












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