第827話◆完璧をやめた偽の太陽
オルゴールの蓋は完全に開いたわけではなく半開きの状態で止まり、そこの隙間から声だけが聞こえてくる。
「なー、聞こえてるんだろー? 無視すんなよー。この言語だってちゃんと理解してるんだろ? 俺よりずっとずっとたくさんの言葉を知ってるんだろ? だからさー、俺の知らない言葉の地に一緒に付いてきて通訳係をしてくれよぉ」
ユーラティア王国のある大陸で現在広く使われている言語に非常に近く、俺でもそれなりに意味もニュアンスも理解できる言葉。
そして聞き覚えのある声。
「え? シュペルノーヴァ? シュペならこの間、北の方に行った時に寒いって癇癪を起こして、雪や氷を全部溶かして大災害になりかけたのが父さんにバレて謹慎中。え? 俺? うん、寒いのは嫌だから春がくればいいのになって――いてっ! 何だよ、寒いより暖かい方がいいじゃん」
なんかとんでもない名前ととんでもない話が聞こえてきたけれど、このオルゴールがシュペルノーヴァのオルゴールと同じ時期のものなら、この話は今の時代の話ではないはずだから聞き流しておこう。
この澄んだ声、この人懐っこい話し方、ああ……これはきっと彼だ。
シュペルノーヴァのオルゴールが映し出した彼――リリト。
これは彼の少年時代の声。
「え? 自然にはバランスがあって過酷な環境にも意味があり、そこで生きる者にはその環境に適応しており、その環境が必要でもある? どんなに厳しい環境でも? 厳しい? ああー……そうだね、それが辛くて厳しいって思ったのは俺の考えだね。そっか……俺から見たものと、他の者から見たものでは感じ方が変わるもんな。だったら俺にとっては正しいと思っても、他者にとっては正しくないことがあっても不思議じゃないな」
リリトは誰かと会話をしているようだが、その相手の言葉は聞こえない。
おそらく話し相手の声はオルゴールに記録されていないのだろう。
リリト少年は誰と話しているのだろう。
このオルゴールがあの黄金のオルゴールと対になるものだとしたら――。
「うん、ありがと。よくわかった。次はもっと考えて行動するよ。さすが、何でも知ってるアルコイーリス」
予想通りの答えがすぐに聞こえた。
蓋が完全に開いていないので、シュペルノーヴァのオルゴールの時のように映像は見えない。
それでもなんとなく察する。もしこの場面が見えたとしたら、きっとアルコイーリスから見たリリトがこちらを見ながら話しかけてきているのだろう。
「だからたまには一緒に遊びにいこうよ? ね? え? まだまだ父さんのところで学ばないといけないことがあるから無理? 竜の頂点に立つ者だから、一刻も早くそれに恥じない完璧な竜にならないといけない? イーリスは真面目だなぁ。シュペなんか隙あらばサボって父さんから逃げ回ってるのに。いつも真面目なとこはイーリスのいいところで、いつも頑張ってるのはイーリスのすごいとこだね」
なんか少しシュペルノーヴァに親近感が湧く話が聞こえてくるな。
いや、決してそんなことを思っていい相手ではないのだが……完璧な存在にしか見えない古代竜の意外な一面に好感度が上がってしまった。
「でも時々息抜きはした方がいいと思うよ。シュペがよく言っているよ、娯楽からも学ぶことはたくさんあって、休息は心の余裕になるんだって。うん、シュペは遊びすぎで休みすぎかもしれないけど。だからイーリスもたまには休も? 俺しか見てないときなら完璧じゃなくて大丈夫だろ? そこでたまには休憩しよ? 忙しいなら邪魔はしないけど、サボり魔のシュペを三回誘う間に必ずイーリスも一回は誘うから、そのうちの三回に一回くらい付き合ってくれるならそれでも嬉しいから。俺は完璧じゃなくてもイーリスのことは――」
言葉の途中でチリッとした熱を持った白金色の風が吹き、オルゴールの蓋が閉じた。
俺の正面には長い首をグルリと巡らせ、こちらを見据えるアルコイーリスのおっかない顔。
その双眸がユラユラと揺れながら俺を、俺が差し出すオルゴールを見つめている。
突然オルゴールが開いて流れ出した声を聞き入ったのは、俺だけではなくアルコイーリスもだったのか。
そして白金の風が吹いてオルゴールの蓋が閉じたのは、アルコイーリスがこれ以上オルゴールから流れる声を俺に聞かれたくないと思ったからか。
とにかく返さなきゃ。アルコイーリスの宝物のオルゴールを。
『返す、受け取って。大事な、オルゴール』
会話の方の講義ももう少し真面目に受けておけばよかったと後悔しながら、たどたどしい古代語でアルコイーリスに訴える。
とにかくこれを返して、俺はお家に帰りたい。
目一杯前に差し出したオルゴールを持つ手にチリッとした光の魔力を感じ、アルコイーリスがオルゴールを受け取ってくれると確信した時――。
パカッ!
空気を読まないオルゴールの蓋が再び少しだけ開き、今度は成人男性の歌声が流れ始めた。
これも聞き覚えのある声な気がする。きっと大人になったリリトの声。
突然開き流れ出した歌にアルコイーリスが動揺したのか魔力が揺らぎ、その影響か少しだけ開いたオルゴールの蓋がすぐに閉じ歌が止まった。
あー……そういうことか。
突然、歌が流れ出したり止まったり。
何もしていないのに蓋が開いたり閉じたり――このオルゴール、蓋が壊れてしまっているんだ。
それに気付き、オルゴールを掲げたまま指先で留め具の部分を触ってみるとカチャカチャと音がした。
蓋の留め具が緩み、締めたとしてもすぐに勝手に開く。
それだけではなくおそらく蝶番の部分も不安定で完全に開かない、もしくは無理に完全に開こうとすると蓋が外れるかもしれない状態なのかもしれない。
だから小さな揺れで蓋が開いたり閉じたりする。
永遠の時を朽ちることなく残る金属だとしても、それで作った細工が壊れないということではない。
形あるものはいつかは壊れる。
大切な想い出の品だとしても。
それでも直すことはできる。
完璧にではなくても、完全に壊れる日を遅らせることはできる。
ここはダンジョン。ダンジョンが作り出したものなら、それを弄ったとしても結局作り出された状態に戻されてしまう。
壊れたオルゴールとして作り出されたのなら、修理をしたところでまたすぐに壊れた状態に戻されてしまう。
それでも言わずにはいられなかった。
『俺、蓋、直せるかも。直すと中にあるものが、また見られる。かも。直す?』
俺の片言の古代語にアルコイーリスの金色の瞳がユラユラと揺れた。
少しずつ瞳孔が大きくなっているのは、きっと悩んでいるから。
しかしその瞳孔がすぐにキュッと細く締まり、アルコイーリスの頭が左右に振られた。
そしてその後、その大きな頭、鋭い牙の生えた口が俺のすぐ目の前まで近付いてきて――。
紫色の魔法陣に入る直前に振り返れば、アルコイーリスが再びあの樹に巻き付き眠りについている。
そして樹の幹の中では赤毛の青年が相変わらず固く目を閉じ眠っている。
その腕の中には白金色のオルゴール。
そのオルゴールの蓋は壊れたまま。
少しの揺れで蓋が開き、少しの揺れで再び閉じ、開いた時だけリリトが喋ったり歌ったり。
直すかという俺の問いにアルコイーリスは首を横に振った。
そして俺にもわかる言葉でその理由を教えてくれた。
眠る自分にはオルゴールが勝手に喋って勝手に歌っているくらいでちょうどいいから。
その方がリリトらしいから。
頼んでもないのに勝手に話かけて、自分と同世代のシュペルノーヴァが歌が好きだから私も歌が好きだろうと勝手に歌って、飽きたら帰っていく。そしてまたそのうちやってくる。
ここにいる自分は本物ではないから。このダンジョンの記憶の中の存在だから。
このダンジョンが消える時、自分もこの偽のリリトと、そしてオルゴールと共に消えるから。
それまで眠りながら彼の声を聞く。
本物の彼が帰ってくるより、このダンジョンが終わる方がきっと先だから。
思ったよりもずっと穏やかだった声に気を取られていた俺の手にあるオルゴールを、光の帯で優しく包み引き寄せリリトの腕の中に戻したアルコイーリスは、再び枯れた樹に巻き付くように体を丸めた。
人間などに興味はないから、もうここから立ち去るようにと告げて。
何よりも賢く知能の高い存在だからこそ、自分が何者かということも自分の状況も結末もはっきりと把握して受け入れている。
そして長い時間を生きることになれている存在だからこそ、この空間で大切な想い出と共に眠り続けることができる。
俺の視点から見れば寂しいのではないかとか悲しいのではないかと思うのだが、それはあくまで俺の感覚。
オルゴールの中で少年リリトが言っていたことを思い出す。
『俺から見たものと他の者から見たものでは感じ方が変わる』
俺よりもずっと知能の高い存在が思うことを俺が理解できるわけがない。
俺の物差しで彼の感情を理解した気になってはいけない。
それでもここで想い出を抱いて眠るアルコイーリスの虚像の見る夢が、幸せな夢であって欲しいと願うことくらいは許してほしい。
そんな俺のくだらない自己満足な想いに気付いたのか、立ち去れと言われ紫の魔法陣に向かう俺にアルコイーリスがボソリと言った。
ダンジョンの外にいる本物の自分は、もしかするとオルゴールが直ることを望んでいるかもしれない。
本物の自分は、本物のリリトを守りながら、ずっとずっとリリトが帰ってくる日を待っているはずだから。
帰って来ないとわかっていても、オルゴールを聞きながら待ち続けているはずだから。
だがそれは人間が気にするようなことではない。
太陽は偉大で大きく完璧なものだから、人間などにそんな弱みを見せることはないから。
ここにいる自分は偽物だから、もう完璧であることをやめた者だから。
リリトと自分しかいないここでは完璧ではなくても許されるから。
だから少しだけ人間が近付くことを許し、少しだけ心の内を話してやっただけ。
本物は本物の太陽で何より完璧だから、人間が太陽の心配をする必要などない。
だけど万が一本物の太陽に近付くことがあるのなら――。
紫色の魔法陣に踏み込む瞬間に小声で聞こえた偽物のアルコイーリスのお願いに足を止め、そちらを振り返った時にはアルコイーリスは目を閉じていた。
床から紫の光が上がるとほぼ同時に薄らと開いたアルコイーリスの金色の目が見え、そして最後に白金色の風に乗って彼の言葉が届いた。
オルゴールを受け止めてくれたことを感謝する――と。
再び眠りに就こうとするアルコイーリスとずっと眠っているリリトとリリトが囚われている枯れ木の上に突如現れた鮮やかに輝く虹は、彼らの穏やかな時を象徴しているようで、転送直前の俺の脳裏に焼き付いた。
※本日発売の電撃大王6月号にコミカライズ版グラン&グルメの第二話が掲載されてます。
電撃大王30周年記念のプレゼント企画でコミカライズの作画担当の雛先先生のサイイン入り色紙が当たります。
マンガ肉囓ってるグランがとてもグランなのでよろしかったら電撃大王30周年記念サイトを覗いてみてください。
電撃大王様公式HPから行く事ができます。
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