第826話◆竜と話すには
光沢のある白金の鱗、竜の鱗というのはもっとこうザラザラしているものなのだが、アルコイーリスの鱗はピカピカに磨き上げられた大理石のようにツルツルとした手触り。
鱗の表面に曇り一つないガラスでも貼られているのかというほど、澄みきった光沢。
ただただ美しいとしか言いようがなかった。
見た目は美しく手触りもツルツル。
そのツルツルの上でオルゴールを受け止めるためヘッドスライディングをしたので、当然のようにツルッツルと滑ってアルコイーリスの背中から腹へ滑り台を滑るようにシューーーーッと滑って寝そべるアリコイーリスの胸元辺りの地面にステーンとゴールをしてしまった。
滑り落ちながらも、オルゴールが壊れないようにしっかりと抱きかかえていたため、両手が塞がって体勢が立て直せず、滑り落ちた体勢のまま尻もち状態での着地。
ものすごく間抜けな体勢の俺が視線を感じて顔を上げると、アルコイーリスのおっそろしい顔が視界を占領していた。
バッチリと開いた目の瞳孔はギラギラと金色に輝き、キュッと縦に細く長い黒い瞳孔が確実に俺の方へと向けられており、バチッと目があってしまいそのまま逸らせなくなった。
まったく感情がわからない竜の顔だが、目が少し潤んで充血しているように見える。
寝起きだからかな? あ、もしかしてうちのカメ君が目潰ししちゃったせい? いや~、ホントすみませんでした~~~!!
あ、なんかオデコの辺りにちょこっと土が付いているのは俺が踏んだところかな? いや~~、急いでいたのでマジすみませんでした~~~~!!
後頭部はここから見えないのでノーカンでお願いします!!
なんて軽口を叩けるわけなどなく、アルコイーリスのおっそろしい顔の前に完全に思考も体も停止してしまった。
蛇に睨まれて動けなくなるカエルとはこんな気分なのだろうか。
そういえば、つい最近同じようなことがあった。つい最近どころか昨日の出来事だ。
アスモダイの屋敷の窓から俺達の方を見ていた金髪仮面、アイツと目が合った時も時が止まったように体が動かなくなり、一瞬が永遠のように長く感じられた。
あの時と同じ、腹の底から込み上げるような恐怖。絶対的強者相手に感じる格の違い。
どうして俺は戻ってきちゃったかなぁ……でも、オルゴールを受け止められたのはよかった。
そうだ、オルゴール。オルゴールを返さなくては。
恐怖と後悔があるのだが、腕の中で形を留めているオルゴールに安心して、こんな状況にもかかわらず口元が緩みそうになった。
それにあの半面の奴と対峙した時と違い、体の先端から凍るように冷たくなっていくような嫌な恐怖ではない気がする。
恐怖はあるのだが、それは畏怖のようなもの。
だってこちらを観察するように見つめる目には、理性と知性が感じられたから。
だがそれは安心できるということではない。
俺を品定めするような視線。俺の意図と行動を見極めようとする視線。
正しい選択ができなければ、圧倒的力に押し潰されてしまうだろう。
正しい選択肢があるかどうかは不明なのだが。
ほんの一瞬がものすごく長い時間に感じられた。
オルゴールを返さなくてはと、硬直する体に動けと何度も強く命令して、ようやくオルゴールを抱え込む腕が動く気配を見せた。
このままオルゴールをアルコイーリスの方へ差し出して、落ちそうだったのを受け止めに戻ってきたことを伝えなくては。
恐怖と緊張で腕がプルプルと震えるのを抑え込みながら、オルゴールをアルコイーリスに差し出そうとした時――。
「カアアアアアアアアメエエエエエエエエエッ!!」
アルコイーリスの尻尾の方へコロコロと転がっていったカメ君が、鬼気迫る表情でその尻尾を駆け上がりこちらに走って来ているのが見えた。
もしかしてアルコイーリスが俺に攻撃をしようとしているように見えて、助けに来ようとしているのかな?
その表情やこれまでの態度からして、カメ君もアルコイーリスを怖がっているように見えたのだが、それでも俺のために向かってきてくれてるのかな?
ありがとう、カメ君。カメ君が助けに来てくれるとすごく心強いよ。でも大丈夫、まずはオルゴールを返そうと思うんだ。
パシッ!
「カッ!? カーーーーーッ!!」
こちらに走って来ているカメ君を視界の端っこで見ながら、アルコイーリスにオルゴールを返そうと腕を緩めようとした時、走っているカメ君がヒュッと伸びて来たアルコイーリスの尻尾の先端ではたかれて、カメ君の体がクルクルと回転しながら宙に舞った。
「カメ君!!」
ずっと動こうとしなかった体があっさりと動き、アルコイーリスから目を反らしカメ君の方を振り返った時には、カメ君は放物線を描いて空中に飛ばされながらも体勢を整え飛ばされた先で華麗に着地をした。
しかし、そこは――。
「カメ?」
ペカーッ!
アーーーーッ!! 華麗に着地した場所が紫色の魔法陣――塔の外へと出される魔法陣の上だーーーー!!
ああ~、着地したから魔法陣が作動して紫色の光の柱が上がった~~!!
そのままカメ君の姿がヒュッと消えてしまったーーーー!!
最後にカ~~~~メ~~~~って声だけを残して。
アルコイーリスさん、ナイスコントロール。ダンジョンが作り出した存在だとしても、さすが古代竜の始祖を模したもの。
きっと今のは偶然じゃない。
カメ君をわざとあの魔法陣の上に弾きとばして、俺だけを残したんだ。
その意図は――矮小な人間の俺がわかるわけがない。
しかしカメ君を無事に外に帰してくれたということは、話が通じる相手の可能性が高い。
目潰しをして後頭部に水鉄砲までしたのに、尻尾でペシッで済ませてくれたのは温情ありすぎにも思える。
だが相手は人間なんかより遥かに上位の生き物である古代竜、決して甘い考えをしてはいけない。
自分の行動の理由をちゃんと伝えてオルゴールを返すことだけだ。
『音の出る、落ちそうだったから。あー……あっと……拾った。壊れないため? えっと……返す!!』
付与で頻繁に使うので読み書きなら問題なくできる古代語。
魔法を使うなら魔法の発動に使うこともあるため、発音や聞き取りの方もギルドの講習会で学ぶものなのだが、俺は魔法が使えないのでやさぐれてこちらの方は適当にしか学んでいなかった。
よって古代語で会話をするのはかなり苦手。
その苦手な古代語でアルコイーリスに自分の意図を伝えることを試みた。
上位の中でも更に上位に位置するような竜は、人間よりもずっと知能が高く当然のように言葉も理解する。人間の使う言語も、人間の知らない言語も。
それは竜が長生き故に戯れに耳に入った言葉を覚えるのか、それともジュストのように言葉を理解する特殊なスキルがあるのか。
言葉を理解する竜の特徴として、人間の言葉を理解していても人間の言葉では会話をしてくれない。
それは竜のプライド。
中には人好きで、こちらに考慮して人がわかる言葉で話す変わり者の竜もいると聞くが、そもそも会話に付き合ってくれる竜の方が圧倒的に少数派だ。
だがもしその少数派の竜と会話を試みようと思うのなら、その竜が生きた時に敬意を払う意味を込め、その竜が生まれた時代に近い言語を予想して選んで話しかけるのだ。
また竜も会話をする気があるなら、自分の気に入っている言語で話かけてくることがあると聞く。
相手が話すに足る存在か試しているのかもしれないが。
だから、俺は自分の知っている限りの古い言葉、付与のために学んだ古代語でアルコイーリスに話しかけた。
アルコイーリスはきっとそれよりもっともっと古い時代の生まれかもしれないが、俺がかろうじて話せる精一杯の古い言語。
三姉妹に教えてもらった神代文字は読み書きはできても、正しい発音まではできず聞き取りも自信がなく会話なんて到底できない。
とりあえず敵意や悪意はないことを前面に出しながら、行動の理由、オルゴールを返却する意思、そして太古の存在に対する敬意を示しオルゴールをアルコイーリスの方へと差し出した。
そんな俺を見るアルコイーリスの瞳孔が一瞬広がって、すぐにまた鋭い縦長の細い瞳孔に戻った。
その反応にどういう意味があるのか考え始める前に――。
パカッ!
俺がオルゴールを前に差し出した時の弾みなのかなんなのか、何もしていないのにオルゴールの蓋が少しだけ開いて、そこから声変わり前の少年の声が聞こえ始めた。
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