第824話◆竜を眠りに誘うもの

「ダンジョンが作り出したアルコイーリスの模擬体だとしても、これは次元が違いすぎる。撤退でいいよな?」

 眠る巨竜から目を離すことなく、小声で撤退の意思を確認する。

 圧倒的すぎて本物のようにしか見えないが、ここはダンジョンの中。ダンジョンの作り出した偽物のはずだ。

 そうだ……偽物だからこそ近くに俺達が存在していることが許されるのかもしれない。


 本物ならばきっとそれは――人間など近付くことの許されない太陽。


「ケ……ッ!」

「キ……ッ!」

「マ……ッ!」

 カメ君達が悪態のような声を小さく漏らしたのが聞こえた。

 こらー、頼むから刺激しないでくれーーーー!!

 しかし扉が開く前までの威勢はなく小声なあたりに、カメ君達もあまり余裕がないのだということを察する。

 やっぱ、撤退で正解だ。


「たかが偽物に赤毛達がびびり散らかして帰りたそうだから、今日のところは見逃してやるカメ~。本気を出せばピカピカの偽物などに我々が負けるわけはないけど、今日は本気が出せない気分だから勝負はお預けだクサ。ベ、別にびびってるわけじゃないんだからネンド、今日はちょっと疲れているだけだからネンド。ちょっと、君達! こんなのと戦うのは無理だから、煽るのはやめてよね!」

「うぉ~い、アベルも大きな声を出すのはやめろぉ~。というか、聞こえたらまずいから見えたものを声に出すなぁ~。静かに撤退するぞぉ~」

「カリュオンさんの声もよく通ってますよ」

 カメ君達も変に煽らないで! 俺の肩の上から前足の中指を立てるのもやめて!

 苔玉ちゃんもカリュオンの肩の上から変顔をアルコイーリスに向けるのはやめるんだ! 焦げ茶ちゃんもジュストの肩の上からアルコイーリスに向かってお尻を向けてフリフリするのはやめるんだ!

 ここは平和的に撤退するんだ~~!!

 って、アベルもでかい声を出すんじゃねーし、カリュオンは元から声がでけーし、それを指摘しているジュストの声も俺達よりも高くてすごく響いているぞ!

 俺以外の奴ら、もっと緊張感を持って真面目にやれ。


 ゴソッ!


 ゲッ! 動いた!

 ほら! 俺以外の奴らが騒ぐから!


「カッ!?」

「キッ!?」

「モッ!?」

 眠るアルコイーリスをコソコソとおちょくるような行動をしていたカメ君達が、それをやめて身を縮こまらせた。

 うんうん、少しの間大人しくしていてね。


「シッ! とにかく静かに、気配も抑えて。少し遠いが、赤い魔法陣から撤退しよう。十分距離を取ってから、アベルの転移魔法でいっきに撤退するぞ」

 俺以外が騒がしいので、アルコイーリスの横をすり抜けて紫の魔法陣から脱出するのは危険すぎると判断をして、赤い魔法陣から撤退することを提案してアルコイーリスから目を離さずジリジリと後退をする。


 この距離に俺達がいても眠っているということはそうとう深い眠り……もしかすると休眠期というやつかもしれないが、つい先日ピカッとしただけで休眠中のマグネティモスが目覚めかけ周期外れの土竜の寝返りが起こりかけた例もある。

 あの時はマグネティモスの寝起きが悪そうだったのと、カメ君のカメカメ催眠の術で寝直してくれて大事に至らなかったが今回もそう運良くいくとは限らない。

 深い眠りだと思っても、些細なことで目覚めてしまうかもしれない。そうなれば――。


 ブフゥ……。


 アルコイーリスがため息のように大きく息を吐き出し、瞼がピクピクと動きゆっくりと持ち上がるような動きを見せた。

 心臓が痛いほど心拍数が上がり、口の中がカラカラと乾いたような感覚になり言葉を発することもできず、体も強く緊張し硬直したような状態になる。


 ゆっくりと開いたアルコイーリスの瞳は黒い瞳孔が大きく開いており、その周囲が瞳の金色で縁取られているように見えた。

 何か夢でも見て眠りの中で瞼が持ち上がっただけか?

 丸く開いている瞳孔がユラユラと揺れて閉じる気配がない。


 しかしこの明るさであの瞳孔の大きさ、眩しさで目が覚めてしまうのではないだろうか。

 勝てるわけのない存在がいつ目覚めるかという恐怖と戦いながら、緊張で硬直しようとする体に動けと命令をする。

 開いた瞳孔はどこを見ているのかわからない。何も見えていないのか、それともすでに俺達を見ているのか。

 どこを見ているかわからない目はこちらを見ているように思え、目が合ったような気分にもなり体がこわばり続ける。

 だがまん丸の瞳孔はただ虚にユラユラと揺れているだけ。

 頼む、もう一度目を閉じて眠ってくれ。


 ――――――――。


 込み上げてくる恐怖を前に祈ることしか思い付かない俺の耳に、それは不意に風に乗って流れ込んできた。

「歌……?」

 すぐ横でアベルが小さく呟いた。

 そう、歌。歌が聞こえてきた。


 どこから?


 眠るアルコイーリスのすぐ近くから。


 囁くように静かに歌う声の、どこかで聞きいたことのある歌。


 ああ、猫耳の時に聞こえてきた歌だ。


 それはただ優しく。穏やかに。


 歌声が聞こえ始めてすぐ、アルコイーリスの瞼がゆっくりと落ち始めた。


 その表情が穏やかなものになったように見え、閉じる直前の瞼の奥で何かが白金色に光ったようにも見えた。


 そしてアルコイーリスの瞳が完全に閉じ、穏やかな寝息と共にその歌が白い空間の中に流れいった。



 アルコイーリスが再び目を閉じた後も歌はまだ続く。

 それは竜を穏やかな眠りに誘う子守歌のよう。

 どこから聞こえているのだろう、誰が歌っているのだろう、どうして突然歌い始めたのだろう。


 どうしても気になってその歌声の源を探った。

 アルコイーリスのすぐ近く、正確には巨大なアルコイーリスが巻き付いている枯れた樹の幹。

 そこで何かがキラリと銀色に光った。


 少し……少しだけ……。

 その声の正体を見極めたくて耳を澄ませ目を凝らす。

 それでもよく見えないから、魔力を制御しながら身体強化を発動し視力を上げて歌声の源を見つめる。


 チカッ!


 再び何かが光った。そのものが光っているのではなく、周囲の光を反射したと思われる鋭い光。

 その光った場所に集中しながら魔力を制御しながらゆっくりと視力を上げていく。


 そして――見えた!!


 光ったのは曇りのない銀色の箱。

 枯れた樹の幹に埋もれるように、嵌め込まれるように、くっ付いている銀の箱。

 どこかで見たことあるような形。


 その箱の蓋が少しだけ開いて、そこから歌声が漏れている。

 箱と歌という組み合わせで何かを思い出しそうになったのだが、銀の箱が見えたことにより連鎖的に見えたすぐ近くのものに息を飲んだ。


「人?」


 樹の幹に包み込まれているような、見方によっては樹に囚われて飲み込まれているような感じで、枯れた樹の幹の中に埋まる青年の姿が目に入って無意識にそれが言葉となって口から漏れた。

 いいや、こんな状態で古代竜の始祖が傍に張り付いているような者が人間であるわけがないな。

 人に見えるが、間違いなく人以外のナニカ。


 歌はその腕に抱えられている澄んだ銀色の箱から流れ出しており、まるでその青年が歌っているかのように見える。

 だがその青年の瞳は閉じられ、唇も動いていない。

 まるで死んでいるかのようにも見えるのだが死体にしては血色がよく、死んでいるのではなく眠っている、もしくは仮死状態なのではないかということにすぐに気付いた。

 それよりなにより最も目を奪われたのは、眠る青年のどこまでも鮮やかな赤い髪の毛。

 目を奪われると同時に、その赤に対する既視感。


 パタン。


 その既視感の理由に気付きそうになった時、赤毛の青年の腕の中にあった銀色の箱の蓋が閉じ、そこから流れていた歌も止まった。

 よく見ると、箱を持つ人物の赤い髪が揺れている。それと一緒に枯れた樹の幹もユラユラと揺れているような気がする。

 あの辺りでだけ風が吹いているのだろうか?

 ああ、違う。

 あまりに大きいアルコイーリスが樹に巻き付いて眠っているため、アルコイーリスの呼吸に合わせて樹が揺れているのだ。

 大きな呼吸や体の揺れに合わせて樹が揺れ、その弾みで箱の蓋が開いたり閉じたりして、箱の中から歌が漏れたり止まったりしているのだろう。


 蓋が開けば歌が流れるもの。

 そこまで気付けば、すぐに既視感の原因に辿り着いた。


 シュペルノーヴァのオルゴール。

 ああ、あの時に聞いた歌かもしれない。

 あのオルゴールであの歌を最初に歌っていた人物も鮮やかな赤毛だった。


 シュペルノーヴァとアルコイーリス、どちらも古代竜の始祖ともいわれる竜らしい竜。

 彼らが対のように思えたのは、金のオルゴールとこの銀色の箱、そして赤毛の青年のせいかもしれない。

 あの赤毛の青年、リリトを挟み対のように並ぶシュペルノーヴァとアルコイーリスの姿が、何故だか容易に想像できた。


 あの青年はシュペルノーヴァのオルゴールで見た赤毛の人物、リリトなのだろうか。

 ならば何故こんなところでこんな姿になっているのだろうか。

 ふと、オルゴールの中で見た彼が旅立っていく場面を思い出した。

 あの後、リリトに何があったかは俺にはわからない。

 わからないがあの銀色の箱はきっと、シュペルノーヴァの宝物だったオルゴールと同じように、アルコイーリスにとっても宝物のオルゴール。


 そこから流れる歌を聴いて穏やかな表情で眠りに戻ったのは、オルゴールとその歌声がアルコイーリスの宝物だから。

 澄んだ銀色のオルゴール。あれは銀ではなく、アルコイーリスの色と輝きを連想させる白金なのだろう。

 銀では竜と共に無限の時を超えることができるとは思えないから。


 そしてそのオルゴールを抱く青年が囚われ眠っている樹に寄り添い眠るアルコイーリス。

 赤毛の青年とアルコイーリスの関係性を垣間見た気がした。


 これがダンジョンの作り出したものだとしても、決して邪魔をしてはいけないものだとすでに確信していた。

 もしかすると世界のどこかで、本物のアルコイーリスもオルゴールから時々溢れ出す歌声を聞きながら眠っているのかもしれない。

 いつかこの赤毛の人物が目を覚まし、本物の歌声を聞かせてくれる日を待ちながら。


「グラン、いくよ」

 白金のオルゴールと赤毛の青年リリトに目を奪われていたのはおそらくほんの一瞬だけ。

 アベルが小さく囁いた声で我に返った。

「ああ、帰ろう。あの眠りは邪魔してはいけない」

 ゆっくりとアルコイーリスに背を向け赤い魔法陣に向かって歩き出した。

 すぐ横でカメ君が舌打ちをしたような声が聞こえたが、ダンジョンの作り出したものだとしても彼らをそっとしておいてあげよう。






「ここまで来たらもう大丈夫かな。そろそろ転移するよ」

 アルコイーリスから十分に距離を取った場所でアベルが足を止めた。

 相変わらずアルコイーリスも枯れた樹も大きく遠近感がまともに仕事をしていないが、あの樹の向こうにあった紫の魔法陣の光が小さく見えるだけになっているので距離はもう十分離れたはずだ。

「おう、頼むよー」

 溢れる光の魔力に慣れたからか、それとも十分な距離を確保できたからか俺達の緊張も緩んできていた。

「じゃあ、赤い魔法陣までいっきに移動するよー。地面が金色に光るその中にみんな入ったら発動するからね。赤い魔法陣直通だから移動後は即赤い魔法陣が発動して外に出られるからね、うっかりアルコイーリスが俺達に気付いても逃げ切れるよ」

 アベルがそう言った直後、地面にキンキンピカピカな光の円が現れた。


 アベルの転移魔法はアベルと触れているもの、つまりアベルが掴んでいるかアベルが掴まれているかで共に転移できるタイプと、アベルを中心とした範囲内で転移するタイプがある。

 そういえば最近は、多少距離が離れていても個別に転移魔法が発動できるようになったとか言っていたな。王都の地下水路事件の時、バラバラの立ち位置にいる俺達を纏めて町に送り帰そうとしたあの転移魔法だ。

 今回はアベルの周辺を転移させるやつかなぁー。

 アベルの転移魔法の特徴として、転移の対象の周囲にその規模に合わせた魔法の光が出る。

 今回は大人三、子供一、チビッ子三の大所帯なので、魔法陣のサイズも大きく動いている魔力の量も多い。

 っちょ、大丈夫か!?


「ケーッ!」

「キーッ!」

「モーッ!」

 もう逃げ切れると確信したのか、チビッ子達が邪悪な顔をしながらアルコイーリスに向かって何かを言っている。

 通訳がなくてもわかるぞ! これは絶対禄でもない悪口を言っているやつだ!

 やめろ! 油断するにはまだ早いぞ!!


 思ったよりド派手な金色と思ったより多い魔力のでの発動と、カメ君達のトリプル煽り。

 咄嗟に身体強化で視力を高めてアルコイーリスの方を見ると、ゴソゴソと白金の巨体が揺れているのが見えた。

 アルコイーリスの体が揺れるとそれに合わせて枯れた樹の幹も揺れ、樹の上ではそこに埋もれる赤毛青年リリトの体も揺れているのが見えた。

 その腕の中にある白銀のオルゴールもグラグラと揺れて位置がずれているのが見えた。


 落ちる!!


 そう思った直後、足元から目の前の金色の光が上がり、アベルの転移魔法が発動した。

 後は赤い魔法陣に転移されられ、そこから連鎖的に塔の外に出されるだけ。

 もうこの空間とはお別れだ。


 なのにどうしてだろう。

 どうしてもあの白金のオルゴールが地面に落ちて砕け散るのを見送ることができなかった。


 ここはダンジョン。全ては仮初めの存在。

 壊れても、消えても、死んでも、ダンジョンがまた作り出す。


 それなのにどうして――。


 気付けば身体強化を最大まで発動して、偽物のアルコイーリスの方へ向かって走り出していた。

 背後にアベルの声を聞きながら。そしてアベル達の気配が俺からいっきに遠ざかった直後消えるのを感じながら。


 走り出した俺の視線の先でアルコイーリスが瞼を開け、丸く開いていた瞳孔がキュッと縦に細く閉じるのがはっきりと見えた。


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