第699話◆おやすみなさい
最初は朝靄のようなしっとりと水分を含んだ空気。
それが霧雨となり、小さな雨となり、そしてだんだんとその粒は大きくなって戦いの痕跡が残る荒野を濡らしていく。
その雨で濃い土の魔力は水の魔力で中和され、地面からボコボコと生まれていた魔物も止まったようだ。
暑く乾いた荒野に降る雨はあまりに気持ちよく、雨具を身に付けることなくそのまま打たれるがままで、周囲に散らかる魔物の残骸の回収を始めた。
降り始めた雨は、メイルシュトロックを飲み込んだアースドラゴンから溢れた海水と血を浄化するように地面を洗い流し、メイルシュトロックが力を失いアースドラゴンから吹き出す海水が止まる頃に雨も静かに止んだ。
残されたアースドラゴンの首から下を回収し、片膝を突いた状態でハムカツサンドを食べ終わったカリュオンに肩を貸し立ち上がらせ周囲を見回すと、雨で濡れた地面に戻ってきた日差しが降り注ぎ、植物の気配などないと思われた地面から一斉に緑が芽吹き始めた。
カメ君の場所を中心に赤茶けた荒野が緑色に塗り替えられていく。
荒野のエリアで水魔法を使った後によく見られる現象なのだが、カメ君が降らせたと思われる雨の範囲は広く、視界の限界を超えた向こうまで緑に満ちた世界に塗り替えられていった。
荒野独特のほこりっぽさがなくなり爽やかになった空気の中、カリュオンに肩を貸した状態でその光景をしばらく見つめていた。
緑の絨毯の中に色とりどりの花が咲き始めたところで我に返った。
折角生えた植物を摘まなきゃ……じゃなくて、カメ君!!
カメ君は何をカメカメしてたんだ!?
この雨とその結果の緑はカメ君のおかげとして、あの謎のカメカメと割れ目に何を投げ込んでいたのか気になる。
「カメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメ」
まだカメカメしてるううううううううう!!
荒れた大地がすっかり小さな草花に覆われた後も、切り込みのようにそこにある割れ目に頭を突っ込み相変わらずカメカメしているカメ君。
何なのそのカメカメ!?
ずっと聞いているとお経みたいに聞こえてくるよ!!
って、お経って何だ!? 転生開花はちょっと引っ込んでろ!!
そうそう、お経って聞いていると眠くなるんだよなぁ……だから、転生開花は大人しくして……スヤァ……。
はっ! 危ないカメカメ経のせいでうっかりこんなところで寝るところだった。
「言葉に魔力を乗せた強烈な睡眠魔法か。聞き入ってしまうとカメ語が理解できなくてもめちゃくちゃ眠くなるな」
横を見れば、ハムカツサンドを食べるためにバケツを外していたカリュオンが、シパシパと何度も瞬きをしている。
お経みたいで眠くなると思ったら、睡眠魔法だったのか。カメ語が理解できなくてよかったぜ。
これはダンジョンの真の主に向かって放っているのかな?
鷹君達が主さんの睡眠を邪魔してしまったみたいだしな。またぐっすり寝てくれれば落ち着くってことかな?
溢れてきた土の魔力はカメ君が吸収して一部は水の魔力に変えたみたいだから、土の魔力の異常増加による魔物の連続発生は止まって、カラカラで暑かった荒野がすっかり草原になっているな。
周囲を全部水の魔力に塗り替えるわけではなく、多くなりすぎて暴走するように魔物を作り出しているものだけ取り除いて、土と水の魔力がバランス良く満たされた心地良い空間にするなんて、ダンジョンの主さんにも気を使っていて、さすがカメ君!!
そういえば、竜種は上位になればなるほど食事をとらなくとも魔力を糧に生きていくことができる個体が多いと本で読んだことがある。
周囲の魔力を吸収し自分の力とし、自分の発する魔力で周囲を満たす。自分と違う属性でも吸収できるが相性の良い属性ほどスムーズに吸収できるとかなんとか。
竜種のほとんどが自分の属性にあった場所に棲み、最上位の竜の棲む環境がその竜の属性に満たされているのはそういうことなのだ。
――というのはでっかいでっかい竜の話で、カメ君の話じゃないからね。
カメ君もそんなことができるのかなぁー? さすがすごいカメー!!
で、カメ君は割れ目に何を投げ込んでいるの? 白い何か……骨!?
ええ、何の骨!?
あっ! 今度は、ちっこいシーサーペントをどこからともなく取り出して投げ込んだーーーー!!
ああ、なるほど。竜種の骨には不眠症改善の効果があり、スリープ系のポーションの材料にもなる。当然ランクの高い竜種のものほど効果が高い。
シーサーペントも亜竜になるのでその骨は不眠症改善の薬になる。シーサーペントならそこそこランクも高いし、目を覚ましそうなダンジョンの主にも効くのかなぁ。
投げ込んでいた骨はシーサーペントの骨かなぁ。もしかして面倒くさくなってシーサーペントを丸ごと投げ込んだ?
魔力が吹き出したせいで少し広がった割れ目だが、あまり大きくはないので骨は小さく砕いてから、シーサーペントはかなり小型のものを投げ込んでいる。
相変わらずお気遣いカメ君だーーーー!!
そして最後に追加で赤い瓶を取り出した。
あ、あれは……ルチャルトラの土産物屋で見たことがあるぞ!!
ルチャルトラ名物の火酒だーーーーーーーー!!
それをドボドボと割れ目に流し込んだーーーーーー!!
完全に寝かしつける、それでダメなら酔っ払わせて潰すつもりだーーーー!!
酒のつまみのつもりなのか、クラーケンの干物を投げ込んでいるあたりがさすがお気遣いカメ君だーーーー!!
カメ君の対応から察するとここのダンジョン主さんは悪い人ではないのかもしれない。
俺も何かお供えしとこ。
火酒のおつまみにミミックの干物でも召し上がって、お腹いっぱいになったらゆっくり寝てください。
ついでにペトレ・レオン・ハマダの他のダンジョンも魔力が溢れているなら引っ込めてください。
カリュオンに肩を貸した状態で、生えてきた植物をサクサクと音をさせて踏みながらカメ君のところに行き、空いている方の手でミミックの干物を収納から取り出して割れ目に投げ込んだ。
その様子を見たカリュオンも俺の肩から腕を外し、パラパラと謎のキノコをマジックバッグから取り出して割れ目に落とした。
「俺達じゃないけどお休みの邪魔してすみませんでした、どうかゆっくり寝直してください」
「おう、これは森でリスが囓ってよく酔っ払って寝てるキノコだぞぉ。よく眠れると思うぜ」
カリュオン、それは食べたらダメなキノコでは……。
「カカッ!」
俺達がミミックの干物とキノコを投げ込んだことに気付いたカメ君が、カメカメを中断して割れ目から顔出してこちらを振り返りうんうんと頷いた。
頷いたってことは、その怪しいキノコもセーフなの?
ていうかカメ君、何をやったの? 真の主さんは大丈夫? もう寝ぼけて時期外れの寝返りなんかしない?
その割れ目の先に真の主さんがいるのかな。
人間から見ると細くて小さな割れ目の先には、地中の奥深くまで続く闇――。
パチッ!!
小さな切れ目から見えるほんの僅かな闇のはずなのに、何故かそれが妙に広大で自分の周囲を取り囲んでいるように錯覚した。
その直後、闇の最も深い場所で突如金色の目が開き、それとばっちりと目があった。
背筋がゾッと粟立ったが、その目がどこか思慮深そうに静かに目を細めると、ただの恐怖ではなく圧倒的存在に対する畏怖のような感情に変わった。
押し潰されそうなほどの圧倒的強者の気配。だがそれは妙に落ち着いてポカポカとして心地のいい気配。
そうそう、寝起きの布団の中のような感じ。
溢れた魔力がもう止まるならこれ以上魔物が増殖することはないだろうし、後は地上に住むもので何とかできると思います。
だから、ゆっくり休んでください。
百年後までどうぞごゆっくり。
俺の感覚では随分長く、実際にはほんの一瞬。いや、そんな闇なんて俺の気のせいだったのかもしれない。
金色の目から目をそらせずにいると、その目がゆっくりと閉じて再び闇だけになった。
その闇の最も深い場所の最も黒い闇が、穏やかに呼吸をしているように揺らめいて見えた。
「グラン、大丈夫か?」
カリュオンの声で我に返り、視界に明るい光が戻った。
「ごめん、ちょっとボーッとしてた。さすがに疲れたなー」
割れ目のあった場所に視線をやると、生えてきた草花に覆われすっかり見えなくなっていた。
「カッ」
俺の肩にピョーンと戻ってきたカメ君が、仕事は終わったとばかりに前足を上げる。
「そっか、ここはもう大丈夫そうかなぁ? 薬草っぽいから採取して帰りたいところだけど、急いで報告に戻らないといけないから諦めるか」
草原と化した荒野に穏やかな風が吹き抜ける。
ペトレ・レオン・ハマダに似たこの階層。
ここの真の主さんは、土属性に満たされた荒野が好みなのだろうか?
余計なお世話かもしれないけれど、たまには花の香りのする草原もいいんじゃないかな。
そうそう、穏やかな天気の日に草原に転がって昼寝は気持ちいいぞ。
おやすみなさい、名前も知らない真のダンジョン主さん。
このダンジョンはとりあえず一段落だと思うが、他のダンジョンは魔力が溢れたままかもしれない。
吹き出す魔力は止まっても、それによってすでに生まれた魔物は消えることはない。
きっと他のダンジョンも同じように最下層では魔物が増えているだろう。
転移魔法陣で出口に戻って、アベルの迎えを待とう。
やっぱ、今日はおうちに帰れそうにないかなぁ。
おーい、見ているか?
って、外はもう日が暮れている頃だな。今日は月がない夜だから三姉妹はもう寝ていそうだ。
ラトは一人で飲みすぎて、三姉妹に迷惑をかけるなよー。
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